石塚さんの単調でありふれた仕事

佐藤 交(Sato Kou)

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 時が経つのがやたらと遅く感じる。

 掛け時計を確認すると、針は午前十時五十分を指していた。

 部屋にはビニールと紙の擦れ合う音が断続的に響き、目の前の机の上には、ダンボールに入れられた数百個もの卓上カレンダーが置かれている。

 外では営業部のメンバーが業務にいそしむ物音が時折聞こえ、この空間の静けさをいっそう浮かびあがらせているように感じられた。

 一体これを受け取ったところでどれほどの人が実際に使うのだろう。

 栗田高太朗(くりたこうたろう)はきょう何度目かの徒労感に襲われ、体を椅子の背もたれに預け軽くのけぞった。視線の先の壁には、総務部が急ごしらえで作ったのであろう、A4のコピー用紙に印刷された社内パスワードの管理への注意を促す紙が貼られている。

「手、止まってる」

「あっ、すみません」

 正面から声が掛かり高太朗はあわてて姿勢を戻し、カレンダーを手に取った。机を挟んで向かい側に座る石塚塔子(いしづかとうこ)は、手元に視線を落して、卓上カレンダーを封筒に入れ宛名シールを貼るという作業を繰り返している。

「昼までに終わんないよ」

 作業を続けながら塔子が言った。

「毎日同じようなことの繰り返しで嫌になりますね」

 高太朗はたまらずボヤくように口を開いた。

「営業なら、日々新たなクライアントの開拓があったり、契約一つで成績がグンと上がるっていうモチベーションがあるし、デザイナーやエンジニアなら自分の手で物を作るっていう変化や手応えがあるけど、僕たちのやってることってどれも誰がやっても成果に代わり映えのないことじゃないですか」

 塔子はゆっくりと少し顔を上げ、赤いフレームの眼鏡越しに高太朗を一瞥すると、再び作業に戻った。

 しばらく待ったがそれ以上の反応はなく、高太朗は心の中で深いため息をついて、作業を再開した。


 今年の春にこの渋谷にあるIT企業に新卒入社した高太朗が、『コンテンツ管理部門』に配属されたのは研修期間の終わった五月の連休明けのことだった。

 『営業』や『企画』といった希望の部署への配属が叶わず、落胆しつつ指定された席に向かうと、そこはフロアの片隅にある小さなチームだった。主な業務は自社サイト及びクライアントサイトの日々の更新とその周辺の雑務全般。他のメンバーは還暦間近の男性社員(通称・源さん)と、年齢不詳(噂では四十代前半)で勤続十年のアルバイト石塚塔子の二人だけだった。

 このチームの仕事はその名の通り『管理』が中心で、配属されてからこれまで二カ月弱あまりの間、営業や何かを提案するような仕事は一切なし。日々サーバーにアップロードされている画像やテキストのデータを元にサイトを更新し、各部署やクライアントにメールで報告。合間にプレゼント企画のユーザーへの発送業務など雑務を行う。その繰り返しで毎日が過ぎていった。

 業務の改善や変化を提案しようにも、塔子たちは、日々黙々と業務に徹して定時で帰宅してしまうため取り付く島もなく、耐えかねて配属一カ月後に人事部に不遇と転属を訴えてみても、「横川執行役員が研修を見た上での肝入り人事だから」という一言でいなされてしまった。

 そしてそんな葛藤のうちにも時は流れ、今朝もサイト更新作業後、塔子と二人会議室で、自社サイトの懸賞企画の景品である卓上カレンダーの荷造りを行っている。


「おはようございます」

 外から複数人が同時に挨拶する声がきこえ、毎日十一時に行われている営業部全体の定例ミーティングが始まったのがわかった。拡声器を通した声で昨日までの売り上げ数値などがアナウンスされ、今月の残りのノルマが共有されている。営業部に配属された仲の良い同期数人の話によると、営業部はノルマに加え部署内でも日々競争があり、顧客情報をいかに周囲より早く掴み漏らさないようにするかなど、気苦労が絶えないらしい。

 ただ、そんな日々の業務の愚痴のような話も、会社全体の大きな流れから取り残されているように感じている今の高太朗にとっては羨ましく思えた。

 その後、各担当者から連絡事項が報告され、最後にマネージャーからパスワード情報の管理の徹底が強い調子で通達されている。ここ半月ほどの間、社員一人一人にIDの割り当てられた自社サーバー上のストレージに不審なアクセスがあるとの報告があり、全社的に改めて情報管理の徹底が図られていた。

「うちのチームは、個人のストレージを盗み見られても心配ないですね」

 高太朗がやや嫌みっぽく言った。

 これほど社内で大きな問題になっても、塔子らチームメンバーは我関せずで、何かことの先行きを見通してでもいるのかと思うほど、この件について動揺を見せなかった。

「色んな部署の人のストレージに本人以外のアクセスの記録があるって話ですけど、僕らはグループ外の人に見られちゃいけないような機密情報なんてないですもんね」

 憤りを込めるように微かにおざなりな調子で言い、高太朗は作業に戻るため視線を机の上に移した。

「何言ってるの」

 塔子がはっきりとした声で返答した。

 高太朗が再び視線を上げると、塔子もほぼ同じタイミングで顔をあげ、二人の目が合った。

 眼鏡の奥のやや切れ長の目が高太朗をまっすぐ見据えている。

「あるわよ」

 塔子は、手に持っているカレンダーを顎の横くらいの高さまで持ち上げ、指差した。

「これ社内でまだ私たち以外の人たちは知らない『機密情報』よ」

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