第17話 手掛かりは収束するか

 ろくな説明もなく慌ただしく出立する隆正たかまさたちを、さかえ屋一家は快く送り出してくれた。信二しんじの行方が知れたかもしれない、とはいっても子供の証言、それも人伝てに聞いたものを頭から信じる訳にもいかない。だから、詳細は後日必ず教える、としか今は伝えることができなかったのだ。


 もちろん、栄屋を発つ前に縛り上げた破落戸ごろつきどもは既に手近の自身番に引き取らせている。青海あおみ屋と面通しさせるとしても、今夜のうちに引き連れていくのは難しいだろう。それよりも、一刻も早く猪之助いのすけたちが保護している子供に会い、青海屋に直談判しなくてはならない。もしも信二が捕らえられているなら、助け出せるかもしれないのだから。


「あの……御同心様」

「どうした、お鈴? 怖いのか?」


 隆正たちがそれぞれ袖をたすき掛けにし、裾を端折はしょって青海屋へ急ごうとなった段で、鈴がおずおずと話しかけてきた。男手が一気にいなくなるのが心細いのかと思って訪ねると、しかし、鈴は気丈にもゆるゆると首を振った。


「いえ……あの、気のせいかもしれないんですけど。あの人たち、あたしやお母ちゃんを傷つけようとはしてなかったみたいです」

「そう、だったのか? だから罪に問うなと言いたいのか?」


 破落戸どもが暴れ出した瞬間には居合わせなかった隆正には、鈴の言葉の真偽も真意も判じ難かった。破落戸のひとりは鈴に匕首あいくちを突きつけようとはしていたが、あれは確かに追い詰められてのことだった。だが、だからといって許す理由にはならないと思うのだが。


「違います!」


 首を傾げる隆正に、鈴はまなじりを決して強く答えた。心優しいこの娘も、さすがに店を台無しにした者たちへの憤りは隠せないようだ。……だがその怒りの表情も、すぐに戸惑いを浮かべて曇る。


「ただ、何だかおかしいな、って……。とにかくさかえ屋を壊してやろうって気持ちだったみたいに見えたんです」

「そういや、そうだったかもなあ。器も随分割られちまって……」

「ふむ……」


 娘に口添えする栄屋の主人と、山と積まれた陶器の破片を見比べて、隆正は唸る。破落戸どもが店中をひっくり返したのは、逃げようとしての悪足掻きではない――狙ってやったことだったという可能性もあるのだろうか。


「青海屋のやつ、売った器を台無しにしてもう一度売りつけようとでも思ったんですかねえ」

「いや、それはないだろうが」


 例によって喜平きへいが大真面目に言い出すのは的外れで少しおかしかった。取引のある店のことごとくが襲われる、などと噂になったら、青海屋にも不都合だろうに。そんな乱暴かつお粗末な話では、ないはずだ。だが――


(器屋が器を壊したがったのが本当だとしたら……それも何か関係があるのかもしれないな)


 青海屋で、隆正は信二の預かり物を鈴から受け取る予定だと嘘を伝えている。その預かり物を隆正に――役人の手に渡すまいとしての暴挙、だったのだろうか。だとしたら、壊れても良いものなのだろうか。その程度の品に拘泥して悪事を重ねるのは割に合わない気もするが。あるいは存在していること自体が危ういようなものだろうか。そのようなものが何なのか、隆正には見当もつかないのだが。――いずれにしても、推論の域を出ないことだ。


「……心に留めておこう。知らせてくれて、礼を言う」


 だから、今のところは短くそれだけを述べて、隆正は栄屋を後にした。青海屋にとっても彼にとっても、この夜はまだまだ長くなるようだった。



      * * *



 猪之助の待つ自身番に辿り着くと、青海屋の丁稚たちは隆正たちの姿を見るなり跳び上がるようにして縮み上がった。ただでさえ知らない場所で知らない大人に囲まれていたところに、強面の連中が息を切らせ、汗だくで現れたのだから無理もない。顔も赤くなっているだろうし、鬼に食われるとでも思われたかもしれなかった。


 子供たちのことはひとまず置いて、汗を拭いながら、隆正は駆け寄ってきた猪之助に尋ねた。


「何か分かったか?」

「いえ、若旦那がいらしてからと思いまして。取りあえず白湯と、大福があったのでやりましたが」

「賽銭箱から出た茶器とやらは?」

「はい、これです」


 猪之助が差し出してきたのは、両手に収まる程度の大きさの木箱だった。封が切られているのは猪之助が先に開けたものだろう。側面に達筆で何やら書いてあるようだが、水ににじんだようになっていてほとんど読みとることができない。


「野ざらしになっていたのか?」

「一応は布に包まれていましたが、まあそうですね。それも、雨で滲んだんでしょう」


 猪之助はさすがに言葉が端的で分かりやすく話が早い。そんなことを考えながらそっと木箱の箱を開ける――と、古びた黒っぽい茶碗が現れた。黒と言っても全体に釉薬ゆうやくを纏って艶を持ち、浮き上がる銀の斑点が星にも似て美しい。使いの者がいかにも高そうな、と評したのもよく分かった。


「値打ちものですかね。分かりますか?」

「分かるはずがないだろう」


 隆正には茶道や骨董の造詣などないのだ。あるいは、あの薄雲うすぐも花魁おいらんなら茶器の由来を見事に言い当てたりすることもできるのかもしれないが。ただ、たとえ値打ちは分からずとも、いかにも高価そうな茶器がほぼ野ざらしになっていたのが不可解だ、ということは分かる。今夜になって、青海屋が丁稚たちを使わして回収しようとしたことも。


 ここで初めて、隆正は丁稚たちの方へ向き直った。畳に正座していた子供たちは、もちろん縄を打たれたりなどしていない。だが、たとえ自由の身であったとしても、彼らは帯刀した役人を前に身動きするなど思いもよらない、という様子だった。もはや目に慣れた青海波せいがいは紋のお仕着せが、洗いざらされて少し褪せているのが哀れだった。


「お前たち、これが何なのか知っていたのか?」

「…………!」


 努めて優しい声と表情を繕ってみても、子供たちは激しく首を振るだけだった。声を出すだけでも咎められると恐れているかのよう。隆正としては少々心外でもあったが――鈴をして怖くなさそう、と言わせた若さと頼りなさを信じて、ぎこちない笑みで問いを重ねる。


「信二兄ちゃんが出してもらえる、と言っていたそうだな。信二は今、どこでどうしている? 心配している者がいるのだが」

「あ、あの……あれは、盗みなんかじゃねえです。だ、旦那様に取って来いって言われたんで……」


 丁稚の一人が恐る恐る、と言った震え声で述べたのは、隆正の問いへの直接の問いではなかった。だが、口を開いてくれる気になったなら大分前に進んだと言えるだろう。それに、言葉の端々から新たに情報を得ることもできる。旦那様というのが青海屋の主人のことなら、今回の件は店ぐるみのことと考えて良いだろう。


「お前たちを叱るつもりなどないから安心しろ。暗い中の使いは怖かっただろう。よく頑張ったな」

「信二兄ちゃんのためだから――あっ」


 労う言葉に、丁稚たちは明らかに安堵した表情を見せ――そして、口を滑らせた。多分、彼らとしては信二の名は出してはならないものと言われているか察していたのだろうが。

 だが、もう遅い。隆正や猪之助たちの表情が一瞬にして引き締まったのも、子供ながらに気付いてしまったことだろう。ふたりして顔を見合わせ、顔を青褪めさせると、丁稚たちは代わる代わる隆正に訴えた。


「あ、あの、御同心様。信二兄ちゃんは、おたなから何か盗んで、隠してたんだと思います」

「番頭さんたちに捕まって、隠し場所を言わなかったから……でも、やっと打ち明けてくれて」

「あれも、元々お店のものだから……もとに戻るなら……」


 信二を見逃して欲しい、と言おうとして、図々しいと言い切ることができなかったのだろうか。幼い声が震えて立ち消えていくのを聞きながら、隆正は猪之助とそっと目を見交わした。子供たちの述べた筋書きがやはりどこかおかしい、と言葉に出さずとも視線で通じ合うことができた。


 信二が盗みを働いたと、仮に認めるとしよう。盗んだ茶器を稲荷神社に隠したところで取り押さえられ、青海屋に囚われていたのだ、と。しかし、それなら今日まで黙っている必要はないだろう。むしろ早々に打ち明けて詫びを入れた方が良いはずだ。一度囚われてしまえば逃げられる見込みは薄いだろうし、茶器が高価なものだとしたら、野ざらしにしておくのは青海屋も信二も気が気ではないだろうに。青海屋の方にしても、取り調べは奉行所に任せた方が早かったはずだ。

 信二が今夜になって隠し場所を明かしたのは、鈴を案じたからではないだろうか。鈴が信二を探していると知った青海屋が、想い人がどうなっても良いのかと、信二を脅したのではないだろうか。


(それに、栄屋の件も、だな……)


 出立前に、鈴たちと交わしたやり取りが隆正の頭に蘇る。破落戸どもが店内のものばかりを狙っていたようだった、という話だ。あの惨状が、信二の預かり物を――あの茶器を、打ち壊してしまおうという狙いのためだったとしたら、青海屋が取り戻そうとしていたという丁稚の主張は辻褄が合わないということになる。


 だから――青海屋の疑いはまだ晴れていない。信二も、捕らえるべき罪人ではない。救い出す、とまでは言えないまでも、しっかりと話を聞くべき証人ではあるだろう。青海屋の言い分を、そのまま呑み込む訳にはいかないのだ。


「……そういうことならば、あの茶器はやはり青海屋に返さなければならぬのだろうな。今すぐに、お前たちを送りがてら」

「そんな……!」


 隆正の有無を言わせぬ調子を聞き取ったのだろう、丁稚たちが悲鳴のような声を上げた。青海屋の主人だか番頭だか手代だかに、叱られるのを恐れたのだろうか。怯える子供は哀れだが、しかし、慰めている暇はない。稲荷神社で怪しい動きを見せた丁稚たちと、栄屋で暴れた破落戸どもと。青海屋に立ち入る口実が増えた今が好機なのだから。


 今度こそ青海屋へ、と命じかけて――隆正は、ふと使いの者の報告を思い出して猪之助に尋ねた。


「最初に入った老隠居とやらはまだ青海屋にいるのか?」

「そのはずです。供も連れていましたから、出てくれば分かりますから」

「そうか。一網打尽ということに、なれば良いが……」


 その老人も青海屋の企みに関わっているなら、あるいは今宵のうちに全てが片付くこともあるのだろうか。隆正の耳元で、あの涼やかな声が囁く気がした。


『上手くいけば全て……』


 薄雲うすぐも花魁おいらんの艶めかしい声だ。あの声を聴いたのがつい昨晩のこととは、信じがたいような気もするが。一度に済む、とは一体どういう意味だったのだろう。青海屋の動きも栄屋の騒動も、名前も知れぬ老人も。全てが、薄雲には見通されていたとでもいうのだろうか。


(まさか、な……)


 すぐに首を振ってはみたものの、底知れぬ深淵を覗き込んだような気分が、隆正の肌にひやりとしたものを感じさせた。

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