第21話 稲妻の谷に巣くうワイバーン
「……助かったか」
俺は崖の岩肌にあった出っ張りにぶら下がっていた。
腰に巻いたベルトが運良く引っかかってくれたらしい。
体は下向きで尻を突き出し、両腕は肩の高さを保ち伸ばしている。
その両腕の上にはセシリアが仰向けになって顔だけこちらを向いている。
俺の目の前にはセシリアの細くて柔らかそうなお腹があった。
仲間には絶対に見られたくない、何とも間抜けな恰好だ。
ロイドが見たらきっと大笑いするに違いない。
「アル、わたしたち……裂け目に落ちたの?」
「そうみたいだな……っと! 動いちゃ駄目だ! 落ちるっ!」
セシリアが身をよじると、俺の体が前後に揺れた。
揺れが収ってから、俺は慎重に頭を動かして腰の辺りを凝視する。
するとセシリアにもらった誕生日プレゼントであるベルトに、細々とした傷がついていた。
それを見て思わず舌打ちが漏れる。
「ベルトが傷だらけだ……ごめん、セシリア」
「いいのよ、そのベルトのおかげでわたしたち助かったんだもの」
「まあ、それはそうだけど」
俺たちの命を繋いだのは間違いなくこのベルトだ。
しかし助かったといっても、依然として楽観できない状況だ。
わずかでも体を動かせば、引っかかっているベルトがちぎれるかもしれない。
視線だけで下を覗くが、まだまだ底は見えない。
「稲妻の谷か……いったいどれくらいの深さがあるんだ」
「わからないわ。教科書にも載っていないから」
辺りを確認する。見えるのは対面の岩肌。
セシリアのお尻越しに、岩の出っ張りがいくつか並んでいるのを見つけた。
「このままでいても埒があかない。俺の位置からだとセシリアのお尻の下ら辺に着地できそうな場所が見えてるんだけど、そっちに移動しよう」
「きゃっ、どこ見てるの!?」
「いや、違っ……状況把握だよ、状況把握!」
事実を言っただけだが、何とも言い訳がましくなってしまった。
セシリアの視線が突き刺さるが、早めに行動に移したほうがいいだろう。
そう考えていると、辺りが暗くなった。
ギャアという声が上から聞こえ、その主の体が日の光を遮って大きな影を作っているのだとわかる。
頭を上げると、ワイバーンの巨体が徐々に近づいてきているのが見えた。
どうやら俺たちめがけて下降してきているようだ。
「セシリア、飛ぶぞっ!」
「ええっ!?」
両手が塞がったこの状況では剣を抜くことさえままならない。
ワイバーンがすぐ頭上まで下りてきて、鋭い爪のついた脚で襲いかかる。
「おまえも戦いにくいだろう。どうだ、場所を変えようじゃないか……って俺の言葉が通じるわけがな――うわっ!」
「きゃああっ!」
ギャアと鳴き、ワイバーンが伸ばした後ろ脚が俺の背中に触れた。
俺は背中に風の翼を作り出すと、体がワイバーンの翼の風圧で揺れるのを利用して飛んだ。
セシリアの体を俺の胸に引き寄せる。
目指すは向こう側の崖、位置は今の場所より少し下の辺り。
そこには足場になりそうな突起がいくつかある。
「危なかった……! こっちだワイバーン! ついてこい!」
「グワアアアアアアッ!」
大きく吠えて、ワイバーンは俺の後を追ってくる。
向こうのほうが早いが、追いつかれる前に俺は足場に辿り着けるはずだ。
何カ所かある足場になりそうな突起のうち比較的広そうな場所に目をつける。
俺はそこに着地し、セシリアを降ろした。
大人が三人並んで寝そべることができるくらいの広さはある。
いや、はっきり言って広くはないが、さっきの状態よりは全然マシだ。
これで戦える。
「こい、ワイバーン! 決着をつけようじゃないか!」
「ここで戦うの!?」
「他に場所がない。セシリアはできるだけ後ろに下がって!」
俺はセシリアを背にして剣を抜き構えた。
ワイバーンはまっすぐ俺に向かってくる。
得物を狙う獰猛な瞳がギラついている。
「はあっ!」
迫りくる爪を俺はグラナート流剣術を駆使して弾き返そうとする。
しかし単純な力は圧倒的にワイバーンに分があった。
たった一度の攻撃で剣どころか体まで持っていかれそうになる。
地に足をつけて踏ん張るが、それでも右方向によろけてしまった。
「くっ……! 落ちるっ……!」
俺の右足の半分は足場からはみ出している。
すぐに左に移動しようとしたが、今度はワイバーンが体をひねったかと思うと右側から尻尾が現れた。
尻尾がムチのようにしなり、俺を叩き潰さんと迫った。
ワイバーンの尻尾には刃状の棘がいくつもあり、触れるだけで怪我を負うだろう。
まともに直撃すれば体中の骨がバラバラになるかもしれない。
剣では対処しきれないと考えた俺は、素早くセシリアに駆け寄って抱きかかえると、タイミングを合わせて真上に跳んだ。
ワイバーンの尻尾は俺たちがいた場所の後ろの岩肌を、ゴリゴリと削りながら右から左へと通過する。
そして着地した俺は足場の中央に移動する。
横目で岩肌を確認すると岩がえぐれていた。
「こんな攻撃まともに受けたら死ぬぞ。何か手はないか……?」
繰り返せば先に体力が尽きるのは俺のほうだろう。
策を講じる暇もなく、ワイバーンは攻撃を仕掛けてくる。
時間だけが過ぎていく。
三度目の尻尾攻撃をやり過ごした俺は、着地に失敗して背中を岩肌にぶつけてしまう。
「アル!」
「大丈夫だ、怪我はしていない!」
しかし背中に思ったほどの痛みはなかった。
「あっ……! 俺は何でこれを忘れていたんだ!」
自分に対して腹が立つ。
俺の背中にはロイドからの誕生日プレゼントがあるのを今になって思い出す。
俺は背中の荷物を地面に下ろす。
今の衝撃で包みがひしゃげていた。
ワイバーンの様子を警戒するが、俺の行動が理解できないのか空中で翼を羽ばたかせたまま浮遊している。
「グルルルルルルル……」
「よし、いいぞ。そのまま黙って見とけ。セシリア手伝って!」
「ええ、わかったわ!」
俺とセシリアは包みの結び目を急いでほどくと、中にあった筒状の入れ物の蓋を外す。
慌てていたので蓋は手からこぼれて谷底へと転がっていった。
それを気にせずに中を覗き込む。
剣の柄が見えたので、左手を伸ばして掴み取り出した。
「おおっ!」
半分ほど取り出すと、鞘も見えたので一緒に引き抜く。
出てきたのは一振りの剣だ。
俺好みの剣身の長さで、いわゆる小剣と呼ばれる類いのものだ。
柄頭にはドラゴンの頭を模した飾りがついている。
握りの部分はドラゴンの鱗のようになっていて実際に握ってみると滑らないように工夫されていた。
「ロイド、最高の誕生日プレゼントだよ」
「見事な剣ね。じっくり眺めていたいけれど、そうはさせてくれないみたい」
「町へ戻ったら見せてあげるよ」
俺は左手に剣術学院で使っている愛剣を、そして右手にはドラゴンの小剣を握る。
やっぱり、これがしっくりくる。
俺は興奮を抑えきれないでいた。
左右の剣を回転させて握り直すと、思わず笑みが漏れた。
そして、アレクサンドリート流剣術の構えをとる。
ちらりとセシリアを見やるが、いつもと違う構えに戸惑っているようだ。
ワイバーンは双剣を使わずに勝てる相手ではない。
セシリアには見られてしまうが、俺は彼女の無事を優先することを決断した。
「さあ、ワイバーン! 本気の勝負をしようじゃないか!」
俺からあふれ出す気迫を感じ取ったのか、あるいは魔物の危機感知能力から魔眼の奥に潜むアレを感じ取ったのか、ワイバーンが一際大きな咆哮を上げた。
ワイバーンの咆哮は辺りに反響している。
次の瞬間、ワイバーンは体を捻り尻尾を振り回した。
(魔眼、――開眼ッ!)
尻尾の軌道を読み、左右の剣を振り抜く。
「ギャアアアアアアアアッ!」
悲鳴にも似た声を上げてワイバーンが苦しそうにもがく。
俺の斬撃はワイバーンの尻尾を斬り落としていた。
斬られた尻尾は血を飛び散らせながら真っ暗な谷底へと落ちていく。
怒りで我を忘れたのかワイバーンはその巨体で俺を押しつぶそうと、体当たりを敢行する。
大きな翼は岩肌にぶつかり血を滴らせている。
それでも突進をやめない。
「アルっ! このままじゃ押しつぶされてしまうわ!」
「安心しろセシリア、そうはならない!」
俺が振るった左右の剣が交差して、そのまま引き抜いた。
ほぼ密着した間合いからの攻撃は、ワイバーンの腹を縦と横に斬り裂いた。
俺は背にした崖と前方のワイバーンに挟まれる寸前に、左腕でセシリアを抱えて魔法の翼で真上に回避した。
下を見るとワイバーンは前のめりに倒れるようにして崖に頭から激突する。
その衝撃で岩肌が大きく崩れ足場は崩壊し、ワイバーンもろとも谷底へと落下していった。
「た、倒したの……? アルが……?」
「ああ、倒した。もうあのワイバーンは俺たちを襲うことはないはずだ」
俺は近くの足場に着地してから納剣し、手で額の汗を拭った。
ワイバーンを死に至らしめた剣技。
アレクサンドリート流剣術〈ドラゴンオーガスト〉。
奇しくも竜の名を冠する技だった。
俺はそれがワイバーンへの手向けであるかのように、心の中で告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます