第102話 【アーシェ】の祈り
「シスンー!」
私はシスンのあとを追った。
「くっ、アーシェ!」
「アーシェさん!」
ティアとマリーさんの声が聞こえるが、私は止まらない。
二人の足じゃ、私の全速力に追いつけない。
なのに、前を走るシスンの背中はどんどん遠くなっていく。
それでも、私は足を止めなかった。
ようやく追いつくと、そこには地面に倒れているシスンがいた。
全身血だらけだ。
それを見て、私は血の気が引いた。
「シスン、大丈夫!?」
助け起こそうと体に触れようとするが、それを嫌がるようにシスンは体を捻って避ける。
「あ……シスン?」
私の言葉がわからないのか、起き上がったシスンは破壊の神デスに向かって歩き出す。
しかし、傷が響くのかフラフラと足元はおぼつかない。
「シスン駄目っ!」
シスンの前に回り込み、その体に手を回す。
「グルルルルルルルルッ!」
「シスン、私のことがわからないの!? アーシェよ!」
シスンの体はドラゴンのような鱗に覆われている。
ザラザラとした感覚に、私は打ちひしがれそうな気持ちになる。
本当にドラゴンになっちゃったの……!?
ねぇ、やだよ!
「シスン……!」
「グガァァァァァッ!」
私を押し返すように、シスンは真っ直ぐと破壊の神デスに向かって行こうとする。
肩越しに後ろを確認すると、ウェイン王子とゴリラスが一心不乱に攻撃を仕掛けている。
【勇者】と【拳聖】の連続攻撃。
おそらく、破壊の神デスが息絶えるまで、それは止むことはないだろう。
「まだ、死なんのかっ! 俺の《ブレイブモード》も長くは保たん! ゴリラス、絶対に手を止めるなよ!」
「わかってる! おでは止まらな――」
「どうした、ゴリラス!? な、なんだとっ!?」
先端を失った触手はゴリラスを薙ぎ払った。
「まだ生きていたか! ゴリラス、早く立ち上がれ!」
認めたくないけど、今の私よりウェイン王子のほうが強い。
今の間にシスンを元の姿に戻さなくちゃ!
「シスン! 止まって!」
私は必死に叫ぶが、シスンには届いていないのか、唸り声を上げるだけだ。
「うっ……!」
そのとき、背中に激痛が走った。
見ると、触手が私の背中を攻撃していた。
ゴリラスはまだ立ち上がれていない。
ウェイン王子は触手の注意が私に向いたのをいいことに、ここぞとばかりに本体に攻撃を集中している。
なおも触手の攻撃は続く。
私の背中を鞭で打つように何度も何度も叩いてくる。
「ううっ……! シスン、お願いだから元に戻ってよぅ……!」
涙が溢れそうになるが、グッと堪える。
シスンを抑える力も徐々に弱まっていく。
私の体力も限界に近いんだ……。
「アーシェさん、大丈夫ですか!?」
「まったく、無茶をしおって!」
マリーさんとティアが駆けつけてくれた。
周りの冒険者も触手を攻撃して引き離そうとしてくれる。
「ほれ、《エクスヒール》じゃ」
「ありがと、ティア。でも、シスンがまだ……!」
「マリー、何かいい方法はあるか?」
「すみません、有効な手立ては思いつきません。ですが、シスンさんはかなり傷ついているように思えます。このままでは命が危ういかと!」
「ティア、シスンにも《ヒール》してちょうだい!」
「じゃが、完全に回復すれば、さっきみたいに暴走するやも知れんぞ?」
ティアはそのことを懸念しているようだ。
マリーさんも判断を迷っているみたいだった。
「お願い! このままじゃ、シスンが死んじゃうよ!」
「ええい、わかった! 《エクスヒール》!」
シスンが癒やされると同時に、背後から悲鳴が上がる。
冒険者たちが触手に弾き飛ばされたのだ。
戦線に復帰していたゴリラスがひとりで触手に相対する。
「いけないっ! 一旦、距離を取りましょう! 二人とも、シスンさんを押し返せますか?」
「うん! やるわ!」
「やるしかないじゃろ!」
三人でシスンと組み合う形になる。
この三人で一番力があるのが私、でもシスンはそれ以上の力で押し返してくる。
ティアは非力なので、魔法でシスンをここから遠ざけようとしている。
マリーさんは腕力自体は周りの冒険者ほどだ。
それでも精一杯力を貸してくれている。
「シスン、お願い! あなたを死なせたくない! 止まって!」
そして、背中に強烈な衝撃が走る。
「きゃあっ!」
「うぬっ……!」
「うっ……!」
私たちは触手の攻撃で吹き飛ばされた。
もちろんシスンも一緒にだ。
飛ばされながら触手の動きを見ると、相対していたゴリラスも瀕死の重傷だった。
全身には痛々しい傷と口から血を流している。
「おでは……まだ死なないっ!」
倒れない!
あれだけの傷を負いながらもゴリラスは懸命に耐えている。
地面に激突する寸前、ティアの浮遊魔法で私たちは音もなく地面に着地した。
すぐさま、シスンの体に手を回す。
今はあそこには行かせられない!
シスンの背後に人影が見える。
あれは……!
「エステルさん!」
マリーさんが叫ぶ。
「エステル!」
「エステルさん、どうしてここに!」
マリーさんは咎めるような口調でエステルに言った。
エステルは走って来たのか、肩で息をしている。
体力のないエステルが、恐怖を顧みずここまでやって来たのだ。
「はぁ、はぁ……!」
「エステルさん、休んでいないと駄目でしょう!」
顔を上げたエステルの口元には血が滲んでいた。
「はぁ、はぁ……。みんなが頑張っているのにあたしだけ黙って見ているなんて……できません!」
「その血……! エステルさん、《識別眼》を使いましたね!?」
エステルは頷く。
そして、下唇を伝って新たな血が滴り落ちた。
「ちょっと、何してるのエステル!? やめて!」
「マリー、どういうことじゃ!?」
「エステルさん、今すぐ《識別眼》の使用を止めてください! あなたの体の限界を超えています! さっきも言いましたがそれ以上は命に関わります!」
マリーさんの発言に私はハッとした。
エステルは自らの命を削ってまで《識別眼》を使っているのだ。
どうしてそんな……!?
「はぁ、はぁ……げほっ!」
エステルが吐血する。
「やだやだ! エステルまでそんな!」
「エステル、何をしておる! 今すぐ止めるんじゃ!」
私たちの忠告を聞かず、エステルは弱々しい足取りでシスンの背中に手を回した。
「アーシェさん、ティアカパンさん! あたしには見えるんです。シスンにはちゃんとあたしたちの声が届いています。だから……諦めないで……シスン……に」
またも血を吐くエステル。
《識別眼》を使って見えたものを私たちに伝えるために……!?
「ティア、エステルに治癒魔法を! マリーさんは《識別眼》を使わせないようにして!」
「うむ! ようやったエステル! あとは、任せておけ!」
「エステルさん!」
二人が抜けたので私は一気に押し返される。
それでも、私は諦めない。
エステルが教えてくれた。
シスンに私の声は届いていると。
だったら――!
「シスン! 私の声が聞こえているんでしょ!」
「グルルルルルルルルルルルッ!」
応えてくれている。
シスンも私の声に応えてくれているんだ!
だから、私は呼びかけを止めない!
「シスン! シスン!」
シスンは唸るばかりで止まってくれない。
私はどんどん後ろに押されていった。
ドン、と背中が硬いものに当たる。
肩越しに見ると、それはゴリラスだった。
「ゴリ……ラス?」
ゴリラスが力なく崩れ落ちる。
私の目に映ったのは触手だった。
「ううっ……! ああああああああああああっ!」
ゴリラスを退けた触手が私の背中を突き刺した。
「あっ……! ああっ……! シ、シスン……!」
最後のほうは声にもならなかった。
私の口から血が込み上げてきて、それを邪魔したのだ。
顎を伝い血が流れ落ちる。
脱力した私はシスンから手を離す。
背後からは触手がしなる音が聞こえる。
私にトドメを刺す気なんだ。
もう避ける力も残されていない。
――グシャッ!
衝撃とともに大量の血が私の頭から降り注ぐ。
見上げると、触手が攻撃したのはシスンの頭だった。
攻撃を受けたシスンはぐらりと体勢を崩し、膝をついた。
シスン……!
私は力を振り絞って、シスンの首に手を回す。
今シスンの顔は私の目の前にある。
ドラゴン化したその口が、私の鼻先に届きそうだ。
気づくと、涙がこぼれ落ちていた。
シスン……私の大好きなシスンに戻って……!
「グルルルルルルルルル……」
そして私はシスンにキスをした。
なんだかわからないけれど、勝手に体が動いていた。
涙は止まらない。
口先に触れるザラザラした鱗の感触と、口内は血の味しかしない。
私はもうどうなってもいい、シスンが元に戻ってくれたら……。
背中に激痛が走り、口からはまた血が流れてくる。
意識もだんだん薄れていく。
だけど、私は声にならない声で祈り続ける。
シスン、お願い!
シスン、シスン、シスン、シスン――
触手が背中をグリグリと押してくる。
私の背中を突き破ろうとしているんだ。
ミシミシと背骨が軋むような音が頭に響く。
それでも、私はシスンから離れなかった。
――シスン……!
「…………アー……シェ」
私の背中に優しく手が添えられる。
懐かしい感触。
それはドラゴンの手じゃなく、シスンのものだった。
「シ……スン……!」
「アーシェ、ごめん」
聞き間違えるはずのないシスンの声。
シスン!
私は嬉しさのあまり声にならない声をあげる。
涙でぼやけてシスンの顔がよく見えない。
「ティア! アーシェを治療してくれ!」
シスンは後ろを振り返ってそう叫ぶ。
次の瞬間、腰の封印剣を抜くと――
「デェェェェェスッ!」
と、声を張り上げた。
触手はシスンに襲いかかる。
「《星河剣聖》!」
触手を一撃で分断する。
たちまち触手は塵となる。
そして、私を地面にそっと寝かせた。
「アーシェ、少し待っていてくれ。終わらせてくる」
そう言うと、シスンは立ち上がり破壊の神デスに向けて足を踏み出した。
私はその背中を涙でぼやけた視界で追う。
シスンが戦いを終わらせてくれる。
世界最強のシスンが。
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