第10話 槍降って、血固まる

「大丈夫・・・エイトきゅん・・・」


 机に顔を伏せている僕の肩をそっとさすりながら、涼葉が優しく声をかけてきてくれる。


「無理・・・っ、お婿に行けない・・・」


 肉体的ダメージというより精神的ダメージが大きかった。

 思い返そうとすると涙がこみあげてくる。


「大丈夫、そんなときは私がお嫁さんになってあげるから」


 僕は涙目で涼葉を見る。

 僕に共感してくれたのだろうか、うっすら涙目になっている涼葉。

 魅了の影響だとしても、涼葉は本当にいい女の子だ。


 涼葉のお嫁さんになると言う言葉は抜きにして、泣いている人が目の前にいる時に、こんな風に一緒に涙を流せるのは涼葉自身の本来の性格の良さだと思った。


 僕は涼葉越しに教室のドアで機嫌が悪そうにしている朱夏を見たが、まだ怒っていて、貧乏ゆすりをしている。

 とはいえ、ポニーテールは30度くらいだからピリピリゾーン。ちょっかいを出さなければ、安全ゾーンとも言える。


 ギロッ


 朱夏が僕の視線に気づいたか、気づかないかぐらいのぎりぎりで僕は視線を移す。これが遅れると、まさに死線を超えることになる。


(でも・・・話しかけなきゃ、話しかけないで、後が怖いんだろうな・・・)


「はぁ~~っ」


 僕は大きくため息をついた。


 ◇◇


 昼休み。


 ちょい、ちょい。


「ん?」


 涼葉に慰めて貰って、ようやくこうして普通に会話をしながらご飯を一緒に食べていると、朱夏の隣の席のぽっちゃり男子が教室の扉の向こうから僕を手招きしている。


 大仏のような穏やかな彼の笑顔は何を考えているかよくわからない。

 彼が呼んでいる相手が僕か確認するため、自分を指さすと、彼は大きく、そしてゆっくり頷く。


 僕は席を立ちあがり、涼葉に一言、席を外すことを伝えて廊下の方へと向かう。

 教室の扉の前は要注意。

 なぜなら、番犬のように機嫌の悪い朱夏の逆鱗に触れないように細心の注意を払う必要があるからだ。


(チャンスっ!!)


 僕は廊下から来たクラスメイトの男の子二人をカーテンのようにして、朱夏に見えないように廊下へと出ていく。


「ふぅ~~~」


 どうやら、朱夏には気づかれなかったようだ。良かった。


「ここじゃ、まずい。ついてきてくれるかんなぁ?」


 語尾が気になったけれど、彼の大きな背中についていく。


(なんなんだろうな?)


 彼の後をついていくと、そこは昨日涼葉に案内された美術室だった。


「ここまでくれば、いいだろうん」


「えーっと、ごめんね。僕まだみんなの名前を憶えていなくて・・・・」


「ぼかぁ、村上太蔵だぁ。よろしくなぁ」


「始めまして、村上君。僕は・・・」


「西園寺氏だろぉ?よろしくなぁ」


 彼はまん丸いクリームパンみたいな右手を差し出してきたので、僕もズボンで手を拭いて彼と握手する。

彼の手は温かく、そして湿っていた。


「一時間目・・・すごかったねぇ・・・んふっ」

 

 窓の遠くを見つめる村上君は、細めだったが令和の西郷どんみたいに貫禄があった。


「あぁ、ごめんね。授業を妨げちゃって・・・っ」


ガバッ


 僕は西郷どん・・・いや、村上君に力強く両肩を掴まれた。


「何をいってるんだぁ!!?あんないいものを見せてくれて感謝してるんだぁ、ぼかぁ!!」


「ん・・・?」


 僕は何か勘違いしているのかもしれない。

 朱夏とのやり取りではなく別で、彼が喜びそうなことを思い出そうと自分のおでこを人差し指で叩きながら、記憶を掘り返すが該当するようなことは何にもない。


「どちらかと言えば・・・生殺しだなぁ」


「ん?」


 もしかするかもしれない、一応聞いておこう。


「変態ですか?」


「いいえ、変態という名の紳士です」


 そこだけはしゃきっと言う村上君。


「あっ、はい」


 そっちの人か。


「いや、多分村上君の思っているような感じじゃないと思うよ。男の尊厳というか、人間の尊厳が失われるよ?」


「ご褒美じゃないかぁ、尊厳何それ、おいしいのぉ?」


「尊厳が傷つくから萌えるんじゃないの?」


「おぉ、わかっているじゃないかぁ、西園寺氏」


 僕は前後に揺らされる。


「やめて~~っ」


「すまん、すまん」


 村上君は僕の両肩を放して、わざとらしい咳払いを一回して、村上君はもう一度空を見上げ、拳を握り締めて震わせる。


「龍宮寺嬢は天使じゃないかぁ。S嬢界の天使。僕らの救世主・・・素晴らしいじゃないかぁ。あの歳ですでにS嬢の礼儀作法を学んでいらっしゃるん・・・っ」


「えーーーっと、一応聞くけど・・・どこら辺?」


「はぁーーー、そんなんじゃドM会の貴公子の名前が泣きますぞぉん、西園寺氏」


 いつから、ドM会の貴公子になったんだろうか。

 スッと名刺を渡されたが、この村上君は1年生にして、この学校のドM会の書記らしい。

 というか、朱夏は「S嬢界」で村上君は「ドM会」って規模感が違うのはわざとなのだろうか?そこら辺もMたるゆえんなのかもしれない。


「えーっと、どこら辺が天使だったのかな、飛鳥は?」


「上履きを脱いできちんと整えてから、西園寺氏を踏みつけていたじゃないかぁ。汚されたくない、けれど虐げられたい、ぼかぁらには最高のご褒美じゃないかぁ」


「それは、一度うちのこのみ姉ちゃんにメチャクチャ怒られたからだよ」

 

 昔、外で遊んでいる時に土足で飛鳥が・・・踏んできた。

 理由ははっきり覚えていないけれど、僕が悪かったような気もしないではない。

 けれど、このみ姉ちゃんは汚れた服で、心が傷ついて帰ってきた僕を見て、朱夏に大激怒した。


 あんなに怒ったこのみ姉ちゃんと、威圧の二つ名がある朱夏が委縮する姿は今も昔もあの1回だけだろう。


「くっ、女王様がいながら、お姉様もいるだと。羨ましいなぁ。きっと、西園寺君に似て可愛い顔をしているんだろぉ」


 村上君とは仲良くしたいと思ったけど、絶対このみ姉ちゃんは紹介しないでおこう。


「おいおい、距離を取るなよ、西園寺氏ぃ~ん」


 バレたか。

 気づかれない程度に下がっていたつもりだったが、体型に似合わず意外と村上君は敏感だ。


「ねぇ、村上君。君の趣味についてとやかくいうつもりはないけれど・・・生きづらくない?」


「まったく」


 まさか、きっぱり言われると思わなくてびっくりした。


「ぼかぁ、自分のこの溢れるリビドーに正直にいたいんだなぁ」


 拳を固める村上君。


「そして、僕の心が叫んでいるんだ、君と友達になりたいってさ」


「えっ」


 細い目だったけれど、少し見開いた村上君。

 性癖は曲がっているかもしれないけれど、性格は真っすぐだった。

 そんな彼が僕と友達になりたいと言ってきた。


「うん、じゃあよろしく」


なんだろう、このドキドキは。

もしかしたら、村上君はただの紳士だけど、そんな臭いセリフを吐くためにわざわざ回りくどい言い方をしただけかもしれない。

僕は嬉しくなって、手を差し出す。


「ほわっ、ここは誰がお前みたいな変態と友達になんなきゃいけないんだ、って僕を虐げるシーンじゃないのかぁん?」


「えっ、村上君がそれを求めるなら僕もそうするけど・・・?」


「男に殴られて喜ぶ趣味はないんだなぁ。すいません」


 うん、やっぱり村上君は・・・変態だ。

 

(でも、こんな友達でも神奈川でできた初めての友達だ。大事にしよう)

 僕たちは熱い握手を交わす。


「んふ、これで紳士協定ですなぁ。エロいことがあったら必ず写メを・・・」


「黙れ、変態」


「んふっ」


◇◇


「ねぇ、瑛斗君。さっきの大丈夫だった?」


「いやいや、大丈夫じゃねーだろ?心中お察しって奴だぜ、瑛斗」


「えっ、えっと、みんな・・・」


 村上君とクラスへ帰ると、何人かのクラスメイトの女の子と男の子たちが声をかけてきた。どうやら、凹んでいた僕のことを気にかけてくれていたようだ。


「まぁ、俺らがいるさ、元気出せっ。なっ?」


 一人の爽やかなスポーツマンみたいな男の子が肩を組んできて、他の子たちも頷く。


「ありがとう・・・みんなっ」


「それにしても、びっくりしたぜ・・・っ、あんなことが急に始まるなんて」


「ちょっと、田中君っ。瑛斗君のトラウマを掘り返すようなこと言わないのっ。今一瞬、瑛斗君、悲しい顔したよ?」


 どうやら、さっきの朱夏が起こした事件に同情して話しかけてくれららしい。

 どうやって声をかけていいのかわからなかった僕だけど、みんなも会話の糸口を探してくれていたみたいで、みんないい人たちだった。

 

「あっ、でも朱夏も不器用な奴だけどいい奴だから・・・みんな仲良くしてあげてね?」


「お前って奴は自分のよりも他の奴のことを心配するなんて…なんていい奴なんだ」


 田中君は目を袖で擦る。


 魔眼のことばかり意識して気を張っていたのが災いしたらしい。

 村上君じゃないけれど、僕も少しは素直に生きてみよう。


「みんな、これからよろしくね!!」


「もちろん!!」

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