06_コミュニケーション

「表現というのは自分の心の内を表に表す事と思われているフシが有るでしょう。でもちがう。見た相手がどう感じどう考えるか、相手に伝えたい、相手に伝える気持ち、それが表現なのよ。人がただ自分の好き勝手に制作するモノはオナニー。それは自己満足。


芸術の一体何が、人を傷つけ、人の心に爪痕を残すのか。それはその人自身なの。人は芸術に自分自身の何かを見るから傷つくのよ。自分の心のうちにある一番見たくないものを見せられるから、自分は社会に居られな人間であることを自覚され、それでいいたたまれない気持ちになるわけ。それが芸術なのよ。


だけど、そんなものを人前に見せたらどんな騒ぎが起こるのか解らない。予想ができない。それはとても恐ろしい事。だって、もしかして、馬鹿な人がこの中に、ある歴史上の真実を表す象徴を見るかも知れないでしょう? 例えばただ黙って椅子に座る女の子とか。そしてそれはその人にとってもしかすると、とても受け入れられないものかもしれない。そしてその人が、いわゆるその、ええと、偉い人だったら始末に悪いでしょう。


それが、そこには何も描いていないとしてもよ。その人が見たものが、その人自身が勝手に頭の中で想像したものだとしても。それはその人の解釈に過ぎない、はっきり言ってその人の頭の中で起こっている事に過ぎない、ただその人の、その人の心の中でだけ起こっているその人の問題なのに。


でも結局の所、コミュニケーションと言われている事のほとんどは、相手の勝手な解釈に依存しているのよ。馬鹿には何を言っても通じないのよ。頭の中で勝手に変換されちゃうから。


この絵はその事を表現している。解かる? 解かってくれるのなら、一枚あげるわあなたはカナちゃんの知り合いだし」


僕は是非欲しいと言った。それは欲しい。

小林さんは受付のカウンターの下から、A4サイズのパネル取り出し、僕に一枚手渡してくれた。表面には薄く透明なシートが貼られ、そのシート一枚分の厚さの奥に、濃い灰色の背景の中に黒く輝く、規則正しく並ぶ米粒大の円が印刷されている。


「これはあたしが今まで作った中で一番刺激が強いパターンよ。他のは映像を見るためのヒントが必要だった。逆にその制限が、展示の安全性を担保していた。でもこれは、他に何も見なくてもこれを見るだけで、そうね、そよ風に揺れる竹林をラリって見る感じよ。もしかすると音も何か聴こえてくるかも知れない」


そのパネルを見ると、今でも薄っすらと微妙に、糸が絡まった阿寒湖のマリモのようなものが見えているのが分かる。しかも、角度を変えて見るとホログラムの写真を見ているときのような奥行きと立体感を感じた。


「これは絶対人には見せないで。静かな場所で、自分一人だけで見て欲しいの。分かるよね?」

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