05_ギャラリーの二階
僕と小林さんはギャラリーの二階に上がった。
そこは、引っ越しで何もかも片付けてしまった後の部屋の様に何も無くがらんとしていた。フロアにはただ、丸くて背もたれの無い赤い椅子が4つ、中央に、部屋の重さを支えるかのように置かれていた。壁は全部白く加工されていた。二階も展示が出来るようになっているようだったが壁に展示は無く、その代わり部屋の奥の窓際に一つPCが置かれているだけだった。
PCには比較的大きなモニターが一つ繋がれていた。モニターは窓の右横の壁に、窓の縁にピッタリと付けて置かれている。
「いい? 目で見ているものはそこに、その見たままの姿であると普通は考えるでしょう? 例えばその椅子。あなたにはその椅子が見えるでしょう? それは椅子でしょ?」
「ええ、まあ」と僕は答えた。確かに椅子だ。丸い椅子の表面はベルベットで覆われ、詰められたクッションがそれを膨らませている。あれも作品? それとも椅子として普通に座っても良いものなのだろうか?
「それはね。椅子だと思って見ているから椅子に見えるの。でも想像してみて。椅子の4つの足が、木でできた椅子の足じゃなくて、」
と、小林さんは言いながら、手を僕の前に突き出し、指を床に向けてピアノの鍵盤を叩くように動かして見せた。目を覗きこまれる。プラスティックのように主張の強い、人工的な香水の香りがした。
「自由に動く動物の足だったら、ウロチョロ動く動物だと認識されたら、どう? 椅子に見える? それとも赤い色をした小象にみえるかしら?」
小林さんは歩いて、奥の窓際に移動した。遅れて僕も付いて行く。
「安心して。それは本物の椅子よ。でも、これを見てくれる? 何が見えるか教えて」
そう言って指したのは窓の横にあるモニター。そこには極荒くチラつくドットで描かれたモノクロの映像で外の景色がリアルタイムに映し出されていた。
小林さんは話を続けた。
「柳の樹の下に幽霊が見えるっていうじゃない。あれも同じ原理だと思うの。風にそよぐ柳の葉がちょうど視覚野の定常波と同期する時、そこにイメージが見て取れるのよ。それはそれを見た人がそこに有るべきものと心が感じている映像。検証はしていないけど多分そう。
これ、外の景色が見ているでしょう? でもよく見て。例えば左から道を走る車、」
建物は大通りに面していて、窓からは道を走る車が見える。ここは都会にしては車の通りが少ない。近くに交差点が有るのだうか、時々数台の車が固まって走ってくる。
窓に見える車は、窓の視野を過ぎ窓枠の死角に入った後、引き続きモニターにその走る姿を写している。
小林さんは窓から見える一台の車を指差し、車の動きを追って腕を動かしながら説明を続けた。
「窓に見える車が左から右の方に走って来て窓枠に隠れた後、モニターにはその走ってゆく車の続きが見えるでしょう?
でも反対に、右側から走ってくる車は、窓に見え始めてからでないとこのモニターには見えない。よね?
これも下の黒いパネルと同じように、本当は何も写していないの。ただ、それぞれの運動によって視覚を刺激するドットが表示されているだけ。見ているものはあなたの視覚野が無意識に作り出した幻覚なのよ」
「いい?」と、小林さんは再び言った。
「人が自分の目で見ているもの、それはみんな夢なの。眠っている時に見る夢の映像と同じ、ただ無意識が作り上げた夢の中の映像と同じなの。ただ覚醒時は現実からの刺激でちょっとずつ修正されるから、普通は現実とそれほど乖離は起こらなくて、だからそれほど不都合は起きないだけ。でも目が覚めているときでも、例えば柳を見ればそこに幽霊を見てしまう。このモニターのように。条件が揃えば」
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