第3話 アホにつける薬は飲んでも効果はない。

 肩に抱えた4つの小麦粉の袋がずっしりと俺にのし掛かる。小麦粉は徳用の大袋で、一つの重さが20kgを超える代物だ。

 しかし、鍛え上げられた俺の体はそれをものともせずに運んでいく。やはり、筋肉、筋肉は全てを解決する……!


「よっと! うっし、お仕事完了!」


 食堂奥の貯蔵庫にゆっくりと袋を下ろすと、俺は厨房で調理の真っ最中だったメリーの親父さんに声をかける。


「大将、小麦粉の袋の搬入終わりましたよー! 次は何いっときます?」


 その声が耳に届いた親父さんは、料理の手を休めることなく嬉しそうな顔をこちらに向ける。


「おお、もう終わったのか、早いねぇ! じゃあ、次は水の汲み置きお願いできる?」

「あいさー、じゃあすぐ井戸に行ってきますね」


 親父さんの頼みごとにすぐに返事を返すと、俺は床に置かれた水桶を両手に抱える。

 厨房を横切って外に向かおうとする俺の背中に親父さんの声がかかる。


「助かるよコールマン君。それと、もう娘から話はあったと思うけど、お給金出すからほんとにここで働かない?」

「ははは、弟子のアホが今日戻らなかったら考えます」

「本気で考えてよ~、場合によっては宿代もタダにするからさ。頼むよ!」

「善処しまーす」


 結構本気の声色の親父さんに返事をして、俺は井戸に向かうため《白馬の嘶き亭》を飛び出した。

 宿代が払えなくなった日から二日が経った現在、俺はまだ宿代の猶予のための労働に勤しんでいた。

 なぜなら、俺の金づるであり、生命線でもある弟子一号がまだ戻らないからだ。ガッデム。


「ったく、あのアホ一体どこほっつき歩いてるんだ? もしかしてくたばったのか、マジで? 一角兎ホーンラビット10匹討伐程度でか?」


 罵倒の言葉を呟きながら、俺の頭は俺への月謝を抱えたままどこぞの森で野垂れ死んでいる弟子の姿を思い浮かべていた。

 ちなみに、一角兎とはその名の通り普通の兎の額に角が生えて魔物化した生物だ。

 後足の脚力から放たれる角の刺突が危険だが、それ以外に見るべきところはない。むしろ、その刺突が変な場所に刺さって動けなくなるという致命的な欠陥を抱えている。

 しかも全身の至るところが素材として中々有用なこともあり、湧けばすぐに狩られてしまう哀しい魔物である。それでも、持ち前の繁殖力で狩り尽くされることがないのは奴らにとって幸なのか不幸なのか。 

 《悪魔狩りスレイヤー》ギルドが、一角兎につけた危険度等級は星半分。間違いなく最弱クラスで、「こいつに勝てなきゃ家に帰ってママのおっぱいでも吸ってな!」と罵られることを甘んじて受け入れなければならない、そんなレベルの魔物である。


 さっきも触れたが、一角兎は繁殖力が強いため狩られてもすぐに増え、《ハイラント》全大陸で比較的よく見かける魔物だ。しかも、魔物は魔力のない人間などを優先して狙う性質があるので、課題の10匹ぐらいなら早ければ一時間ぐらいで狩れる。それを俺の弟子はどれだけ手間取っているのか。

 と、そこまで考えて俺は気づいた。


 ……しまった。あいつの《魔力持ちマナホルダー》体質のこと、すっかり忘れてたわ。


 俺の弟子はいわゆる《魔力持ち》と言われる特異体質で、魔物や悪魔のようにその身に魔力を宿して魔術が使えるのだ。しかも、体内に魔力があるので、仲間と誤認されて魔物たちに狙われることもない。

 しかし、その代償として《魔力持ち》は、《回復ヒール》に代表される《祝福ギフト》と呼ばれる《加護ブレス》の効果が薄い、出ない、最悪の場合は反転するという制約が課せられている。

 だが、今回の場合は本当ならメリットになる部分の体質が裏目に出た。本来なら寄ってくるはずの魔物が寄り付かない状態で、機動力のある一角兎を狩るのは中々に困難なはずだ。


「いや、それでも五日も戻らないのは流石にあり得んな。補給もないだろうし、《変異湧きイレギュラー》にでも遭遇して死んだかな?」


 魔物は基本的に《魔界リンボ》と呼ばれる魔力の籠った土地に生息する。《魔界》には明確な境界線はなく、その土地に多かれ少なかれ魔力があればそこは《魔界》だ。尋常の人間では呼吸すら困難なレベルの《魔界》もあれば、普通の土地と変わらないレベルの《魔界》も存在する。

 魔物の質は《魔界》のもつ魔力の質と連動しており、基本的に魔力の多い土地の方が魔物も強い。


 ただ、時たまその土地の魔力に見合わないレベルの魔物が現れることがある。そいつらのことを総称して《変異湧き》と呼び、魔力の少ない土地で発生すると、新人ルーキーの《悪魔狩り》が大虐殺されることもあるのだ。

 このところ《変異湧き》が出たなんて噂は聞かないが、発生が偶発的なため可能性としては十分にあり得る話だ。


「あーあ、ちょっとは期待してたのに、残念だぜアホ弟子。あの世という新しいステージで頑張れよ。俺は現世こっちで就職するからな」


 とりあえず不出来な弟子を勝手に脳内で殺すと、俺は水汲みに取りかかる。

 この宿屋の主人夫婦が、建物の一階で経営する食堂白馬の嘶き亭は、そのリーズナブルな値段と圧倒的ボリューム、そしてどの料理も大して外さない味付けで人気の店だ。

 正直、宿屋よりもそちらが儲かっているようで、俺のような不良債権を抱えても経営が大丈夫なのはそのためである。

 そして、そのボリュームのある料理や、それに伴う洗い物を処理するためには必然、大量の水が必要になる。だから大量の水瓶に水を汲む作業は《白馬の嘶き亭》にとって、もっとも大変で大切な重労働であると言えた。

 そして、それを回してもらえる位には俺は信頼されているし、頼りにもされているわけだ。


「よっしゃ、ちゃっちゃと終わらせますか!」


 腕捲りをして気合いを入れると、俺は宿の側に設けられた井戸から水を汲み始める。

 都会ではとある《魔力持ち》が開発したという、水源と繋がり水が使う分だけ湧き出るようになった管が町中至るところに普及していたが、ここはまだそんな恩恵がない田舎街だ。水汲みは全て井戸から人力で行われる。

 ここに無いものをねだっても仕方がないので、俺はちゃっちゃと水を汲む。


「おいしょっと! そらよっと!」 


 地下から重力に逆らって水を汲み上げるのは、本来ならかなりの重労働だが、俺は自分の持っている《加護ブレス》のおかげで易々とそれを行うことができる。持参した水桶でひたすらに汲んだ水を注ぎ続けると、店の前の水瓶には凄い勢いで水が貯まっていった。

 そして、そんな様子を見ていた水汲みに来た奥様方やお嬢様方から次々と声がかかる。


「あら、お兄さん! あなた凄いわね! ちょっとうちの水も汲んでくださらないかしら?」「あ、ならうちもお願いできるかしら?」「私もお願い!」「こっちも頼めるかしら?」

「あー、構いませんよ。皆さんの分、先に汲んじゃいますね」


 順番を譲ったら女性の腕での水汲みには時間がかかる。それならいっそ、無尽蔵に力が出せる俺がやった方が圧倒的に効率がいい。

 女性たちからのお願いを二つ返事で引き受けると、俺はさくさくと水を汲んでいった。


「ありがとう、助かるわ! あなた、《白馬の嘶き亭》の方よね? お礼に今度食事して売り上げに貢献させていただくわ!」「わたしも!」「うちも協力するわね!」

「毎度どーも、よろしくお願いしまーす」

 

 俺は別に従業員ではなく、宿代猶予のためのタダ働きなので《白馬の嘶き亭》がいくら繁盛しても懐が暖かくなることはなかった。

 しかし、それをあえて言わないだけの慎みはまだ持ち合わせていた。


 …………というか、ここに就職したら、客を呼び込んで給料アップになるのでは? ………マジで弟子の方を切ることも考えるか。


 先程までの冗談ではなく、俺が本当に弟子の排除を考え出したその時。


「………………ょ~!」

「ん?」


 何やら聞きなれた声がしたような気がして俺は思考を中断する。

 声の出所を探して辺りを見回すが誰もいない。

 気のせいかと俺が首を捻ったその時。


「…………………しょ~!」

「ん、やっぱり聞こえるな」


 気のせいではなかった。やはり聞き慣れた声がする。


 どこからだ?


 もう一度辺りを見回す。

 すると、先ほどよりも大きく鮮明になった声が耳に響く。


「…………………ししょ~!」

「…………うわ、あいつ、マジ?」


 声の出所が分かった俺がそちらに顔を向けると、今立っている大通りの向こうの端から、黒い点のように見える人影が凄い勢いでこちらに走ってくる。


「…………マンししょ~!」

「あそこから叫んで声が通るのかよ! というか迷惑な上に恥ずかしいわ、あのアホ!」


 人影の人物を罵っている間にも、その姿は段々と大きくなる。今では左腕をブンブン振りながらこちらに来ているのがはっきりと分かる。


 ……子供か。


「………ールマンししょ~!」

「………そういえばあいつアホな上に精神年齢子供だったわ。はぁ……」


 額に手を当てて溜め息を吐く。その間に人影はさらに大きくなり外見の判別がつくようになる。

 服装は飾り気のない実用的なレザーアーマー。その下にはチェインメイルを重ねて防御力を高めてある。

 足下は脛と爪先だけ鉄板を縫い付けたレザーブーツ。革素材の隠密性と鉄の防御のいいとこ取りの防具だと言えば聞こえはいいが、ちゃんとしたグリーブが買えない新米のお手軽装備でもある。

 腰回りにはショートソードの刺さった剣帯が巻かれ、アーマーの下部にはレザーの端切れの短冊がプリーツスカートのように縫い付けてあり、それが唯一のおしゃれといえた。

 そして、こちらに向かってブンブンと振られる左腕には、小型のラウンドシールドが巻き付けられている。

 頭部は毛先が外に跳ねた蒼銀の長髪。左右に髪を分けて出されたその額には《鉢金》という、東洋の商人が売り込みに来た鉄板を仕込んだバンダナのような防具が巻かれている。その下の顔はアホそのもの…………ではなく愛嬌があるやや幼さの残る顔立ちだった。流石にそこはちょっとフォローを入れた。


「コールマンししょ~!」


 その人影は最後まで全速力で大通りを走り抜け、俺の目の前で両足の踵を使って急制動をかけて止まった。


「ぜぃ、ぜぃ、ぜぃ…………すぅ、はぁ、すぅ、はぁ…………」


俯いて両手を膝につき、全力疾走と叫び声によって乱れた呼吸を整えると、その少女はガバッと顔を上げ、俺の方に身を乗り出した。

 目の前に広がる底抜けのアホのような笑顔。それは主人が投げたボールを咥えて戻ってきた大型犬のそれに似ていた。


「コールマン師匠! 地上に燦然と輝く一番星にしてコールマン師匠の一番弟子! ミリア・コルド、只今戻りました!」

「……………」


 あまりのアホな名乗りに驚いて絶句する俺に向かって、ミリアが口早に話しかけてくる。


「見てくださいよ師匠! 課題の一角兎10匹見事仕留めてみせました! なんだか兎が私から逃げていたんですが、たぶん私の強さに恐れをなしたのでしょうね! あと、兎を追いかける途中で崖から落ちて一時昏倒しましたが、すぐに覚醒して課題に戻りました! さすが私、回復力も一級品です! あ、それと、今日は20日でしたよね? 師匠へのお月謝、ちゃんと用意してありますよ! これがないと師匠宿無しになりますもんね! 私、できた弟子でしょう? たっぷり褒めてくださってもいいんですよ!」


 ……………うわぁ、頭痛い。


 俺がツッコミを入れる前に、言いたいことをとにかく一瞬で捲し立て、どや顔で胸をそらすアホを見ながら、俺は眉間に寄った皺を指で必死に揉みほぐしていた。こいつといると顔面の老化が早まりそうで困る。


 ……………とりあえず、一つずつツッコんでいくか。


 そう決意した俺はミリアの両肩に手を乗せる。この手は決して労いのためではない。アホの逃走を防ぐ枷だ。


「ミリア、よく聞け」

「はい師匠!お褒めの言葉絶賛受付中です!」


 俺の考えなど露知らぬミリアは、未だに自信有り気な表情と態度を崩さない。どうやらこのアホには自分の立場をたっぷりと分からせてやる必要があるらしい。

 俺は努めて穏やかな口調を作ると、俺の言葉を今か今かと待つアホにゆっくりと口を開いた。


「まず一つ。兎がお前から逃げたのは、お前が《魔力持ち》なのと、アホみたいに騒がしいからだ」

「………はい?」


 思っていた言葉と違う言葉が飛び出したため、アホが首を傾げる。それを無視して俺は更に言葉を続ける。


「二つ。崖から落ちたお前は回復に数日かかってる。すぐに起きたと思ったのは、単に気絶した時刻と起きた時刻が似ていただけだ」

「…………へ?」

「だから、お前が何日か寝ていたせいで今日は22日だ。全然月謝の日に間に合ってないんだよ、お前」

「……………し、師匠? 肩に置かれた手の指が食い込んで痛いですよ師匠!?」


 ここまで来てようやくヤバいと悟ったアホが慌て始める。俺の手の指にも力が入ったが、最早隠す必要もないので力が入るに任せる。 


「そして三つ! 人の名前を大声で叫びながら大通りを走るな! 恥ずかしい上に人様の迷惑だ、この天文学的アホ娘!」

「ぎゃぁぁぁぁぁ!? ぐへぇ!?」


 俺が左手で肩を拘束したまま右手で脳天に一発をお見舞いすると、大蛙ヒュージトードが潰れたような声を上げてミリアはその場で昏倒した。


 天文学的アホ娘、ミリア・コルド。


 こいつこそが俺の唯一の弟子、そして俺の財布にあたる少女である。

 倒れたミリアの懐から素早く財布を抜き取ると、俺は滞納した宿代を払うために《白馬の嘶き亭》の扉をくぐった。


 気絶したアホはその後しばらく大通りに放置されたままだった。

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