エルゴグランデ探訪
Track3 姉との遭遇
## 00
エルゴグランデ連合王国はフォウステス大陸の北東にある島国である。
世界の半分を手中に収めたと嘯く者さえいる大帝国であり、女王の権威は数多ある植民地の隅々にまで行き渡っている。次の100年の覇権を手にする国家、古代王国サイリュクスの再来、とすら語られる。
そんなエルゴグランデの繁栄が最も色濃く出ているのは、王都ノルデルである。
——霧と排ガスに満ちた魔道機関のノルデル。
そんな言葉に象徴されるように、ここは工業機械と魔術の融合が著しい。
川沿いに聳え立つ巨大な時計塔も魔改造が加えられ、最新式の魔道機関を搭載するようになった。シンボルとして集めた多くの人々の念を燃料に、今日も時計塔は複数の術式を自動で稼動させているのだとか。
(まあ、早い話が……ファンタジー世界のイギリス、ロンドンってことか……)
セナは以前訪れた世界の国に当てはめて、銀髪の4つ耳少年から聞いた情報を飲み下した。
「? どうかしました? セナさん」
「いいや? けっこう似るもんなんだなって思っただけ」
「?」
そんなやりとりをしつつ、彼らは異国の地へといま、降り立たんとしていた。王都の外れ、
「あ~~~っ、疲れたぁ~~~」
カイマンの背から降りて開口一番、セナは大きく伸びをした。
「さて、それじゃあ行こうか少年。さっそくその、王都ロンドン——じゃなかった、ノルデルへ!」
「まあ、師匠が本当にノルデルにいるかは分かりませんが……」
「いいんだよ。そんなことは別に。何も、我々が自分自身の手で見つけ出す必要はないんだ」
「?」
「そのうち説明するよ」
——と、セナが歩き出そうとすると背から引っ張られた。振り向くと、そこにはカイマンの顔がある。
「カイマン?」
「Cwrrrrr!(ご主人、まさか捨てたりしないっスよね! ね!)」
「捨てるってそんなわけないだろ……君ほど便利な足はないんだから」
「Cwrrr! Cwrrrr!(でもさっき焼肉にするって! ワープポイントにされてたら困るって!)」
「たしかにそんなことも言ったかもしれないが……別に本気というわけでは……というかさっきからツバが飛んできてるんだが」
「……あの、大丈夫ですか?」
【紅玉瞳】の少年が心配そうな目でこちらを見ていた。
「ああ、少年からも言ってやってくれ。私たちは君を置き去りになんかしないと」
「Cwrrrr!(一緒に行くんで置いてかないで欲しいっス!)」
「一緒に行くゥ~~~? そのバカデカい図体で街になんか行ったら大変だよ? ジャンルがファンタジーから特撮になるよ?」
「セナさんが何言いたいのか分からないんですか……」
「Cwrrrr?(ご主人が何言いたいのかよく分かんねぇっスけど、要はちっさくなればいいんすね?)」
「ん? ああなれるモンなら……なれるの?」
セナが問うより早く、カイマンの身体は縮小を開始していた。否、ただ縮小してるだけではない。その姿は徐々に人型になっていくようで——
「じゃじゃーん! どっスか! これなら文句ないでしょう!」
真っ白な竜は、褐色黒髪の若い女性に変じた。ドラゴンの面影は角と尻尾と羽根くらいだ。どこを見ても使徒の、あの白色がないところを見るに、もうすでに、精神的にカイマンは使徒ではないようだった。
豊満な胸を揺らして、カイマンはどこか誇らしげにする。
「……あー、うん。なるほど、その姿ならまあ付いて来てもいい……けど」
ちら、とセナは少年の方を見た。予想した通りの光景がそこにはあり、ため息をつく。
「……とりあえずだね、服を、着ようか」
「………………っ」
少年は、グラマラスな女性の裸体を前にして、顔を真っ赤にしていた。
## 01
「どーっスか! これなら、今度こそは文句ないっスよね!」
ロングスカートをひらりと風に舞わせて、ノルデルの街の令嬢風の格好になったカイマンが言う。「見たことのある服なら魔力で作れる」と言うので、一度、こっそりと街を見て来させたのだ。
「……にしても、ご主人のそのメイド服作れば早かったのに、なんでそーさせてくんなかったんスか?」
「いや、なんとなく……メイド二人だと悪目立ちしそうだな、と」
「そういうもんスかねぇ」
カイマンは首を傾げたが、それ以上は突っ込んで来なかった。「ま、いいや」と言い、
「ともかく、これで文句はないんスよね? どこからどー見ても人間っスし、完璧な擬態できてるっスよね!」
「いや、文句ならある」
「へ?」
「セナさん……?」
「少年は黙っててくれ。これは私個人として、譲れないんだ」
「……あの、何がマズいんスか?」
す、とセナが指差す先、そこには豊満な胸があった。
「胸」
「胸?」
「胸を大きくする必要性が見出せない。そんな贅肉を揺らしたところでなんの利益もないだろ。望まずして大きくなったと言うのなら分かる。仕方ないことだ。だが、カイマン、君の胸は違うはずだ、《大きくなったのではない》、《大きくした》——そうだろ? だいたい、その乳袋がいただけない。その服で普通、乳袋はできないだろ。作ってるように、私の目には見えるが? というか、ずっと言おうと思ってたんだけどね、カイマン。胸は揺れないんだ。揺らすな」
「………………胸のコトばっかスね」
洪水のように文句を浴びせたセナに対して、カイマンは首を横に振った。
「ん。でも……申し訳ないっスけど、いくらご主人の注文でもそればかりは聞けないっスね」
「なに?」
「だってウチ、巨乳大好きなんスよ。とくに、オスの下劣な欲望を浴びるには、やっぱ巨乳のが都合いいじゃないっスか」
「……?? カイマン、君は何を言ってるんだ……?」
たゆん、と胸を揺らしてカイマンは続ける。
「やっぱ足下が見えなくなるくらいの大きさがあるといいっスよね。この、重量感とかもほど良い感じで。……ご主人、ウチはっスね、下等種族のオスが交尾しても繁殖できないのに欲望を視線に乗せてぶつけてくる……アレが大好きなんスよ。愚かすぎてめちゃくちゃかわいいっつーか……ほら、ヒトも愛玩用に動物を飼うでしょう。で、時には交尾をせがんでくることもあるっスよね」
「ないよ……ないよね? 少年」
思わず否定してしまったが、この世界ではそういうこともよくあるのかもしれない。セナは少年に問う。
「……ロゼリエ、家で犬を飼ってるって言ってました。まさか、そんな…………」
「な、ないないない! 少年、しっかりしろ! 変な妄想はそこまでにするんだ!!」
「か、神様! だいじょーぶっスよ! 神様と一緒にいたあの子からそういう感じのニオイはしなかったんで!」
「ニオイとか生々しいこと言うなぁ!」
閑話休題。
「ともかく、だ」
どうにかして少年を説得し、セナは「はあ」とため息をつく。
「カイマン、君に異常なこだわり……というか性癖があることはよく分かった。分かったが……しかし……」
と、煮え切らない様子のセナに対して、カイマンは呆れた様子を見せた。
「てゆーか……あれっスよね。ご主人がウチの胸に文句言うのって、あれっスよね」
「……?」
「巨乳が羨しいんスよね」
その言葉は、セナにとって雷に撃たれたような衝撃があった。
(——たしかに、羨しいと言われればそうなのかもしれない。豊胸を検討したことは数え切れないくらいあったし、その度に「でも身体が爆散したら無意味だしな」で諦めてきた……。そうか、私は巨乳が、羨しかったのか……)
思い返してみれば、セナはこれまでも同様の指摘を受けたことがあったのだ。だが、彼ら彼女らの指摘はどうにも迂遠なもので、カイマンほどの実直さはなかった。
ゆえに、この時に至るまで彼女は気付かなかった。
巨乳が自分にとっての「すっぱい葡萄」であるとは。
ぽん、とセナはカイマンの肩に手を置いた。
「……ありがとう、カイマン。君のおかげで、私は自分への理解を深めることができた」
「っスか……? それは、良かったっス」
「許す。私は許すよカイマン。君のその度し難い性癖を……だが、これだけは約束してくれ」
「……?」
「貧乳を、決してバカにしないと、約束してくれ」
「そりゃ、ご主人のことは……」
「私じゃない、貧乳をだ」
「っス。……わ、分かったっス……」
「……あのー、もういいですか…………?」
そんな少年の控え目な問いが聞こえてきたのは、彼らがエルゴグランデに降り立ってから30分は経過しようという頃だった。
## 02
「おおーっ! ここが……ノルデル!」
あれから更に30分ほど歩いて、3人は無事、王都ノルデルに到着することができた。
興奮気味になる少年に、セナはフードの裾をつかんで窘める。
「……あまり、はしゃぎすぎないようにね。その耳と尻尾が露出すると、マズいんだろ?」
彼の話によると、この世界に獣人のような、ヒトと獣の中間の種族は存在しないとされているらしい。その存在は神話の時代の文献やいくつかの目撃譚で語られるのみであるのだとか。そしてそれも、実際のところは魔術によって変質した人々なのではないかと見られている。
(なんにせよ、彼の耳や尻尾が露出してしまえば、メイドの二人連れどころではないほどに目立ってしまうわけだ)
それですぐにどうにかなるわけではないにせよ、行動しづらくなるのは確実だ。ゆえに現在、少年は耳を防寒着のフードで、尻尾はズボンの中に入れることで、それぞれ隠している。
「まあ、なにはともあれ。まずは腹ごしらえだ。どこか、おいしそうな店を探して入るとしよう」
一つ前に訪れた世界の、イギリスはメシマズの国としてその名を馳せていたが、果たしてこのエルゴグランデはどうだろう——と期待半分怖いもの見たさ半分で提案した時だ。
「あの……ところでお二人とも」
カイマンが言った。
「お金、持ってるんすか?」
少年とセナが顔を見合わせる。言葉はない。しかし、その沈黙が何よりも雄弁に語っていた。
無一文だと。
「はぁ……ンなコトだろーと思ってたっスよ……良かったスねぇ? お二人とも。ウチがここに居て」
妙に癪に障る言い回しをして、カイマンがごそごそと胸の谷間のあたりから取り出したのは、手の平大の真っ白な鱗だった。
「ハイ。これをその辺の魔道具屋で換金してきて下さいっス」
「……それは?」
「ウチのウロコっスね。丁度あのガキが立ってたあたりの奴っス」
「君……まだ気にしてたのか……」
「いいっスか? 魔術師って連中はウチらドラゴンにご執心なんスよ。ドラゴンの身体は魔術の良い触媒になるとかなんとかで、今は知らねっスけど、昔はドラゴン狩りなんて巫山戯たマネする連中が掃いて捨てるほどいたんスよ。……だからまあ、それを売ればメシ代くらいはヨユーで手に入るんじゃないっスかねぇ」
「なるほど……それは心強い! よし、少年!」
「はいっ! さっそく売りに!」
少年があたりを見回す。このメンバーの中でエルゴグランデ語が読めるのは彼だけだ。セナもカイマンも、超常的なインチキにより会話はできるが、文字は読むことができない。
「あった! あそこ、入ってみましょう!」
少年が指差した店へと早速、三人で向かう。セナはいかにもお付きのメイドといった様子のすまし顔で、カイマンは——セナの予想とは裏腹に——おしとやかな令嬢の体をきちんと装って、店の戸を叩いた。
結果、
「……悪いけどね、そんなイタズラにかまってやるほどこちとらヒマじゃねぇんだ。帰んな」
ドラゴンの鱗を売りに来たと言うや否や、店主は態度を変えて三人を追い出した。
しかし、それで諦めるほどもの分かりの良い三人ではない。他の店を当たってみる。
「……本物のようだが、この店には対価として相応しいだけの金貨がない。誠実公平な取引をモットーとしているのでね、残念だが、お受けすることはできない」
「ドラゴンの鱗ォォ~~? ンなモンより酒だ! 酒ェ持ってこい!」
結果は惨敗だった。
「おかしっスねぇ……1000年前はこうじゃなかったんスけど……」
「そりゃ、1000年前の常識で考えてたらそうなるよ…………」
「……ていうか、よく考えたらドラゴンって、今じゃ絶滅してるって考えてる人も少なくないんでした……そんな状況でドラゴンの鱗を見ず知らずの人が持ち込んでも、まともに取り合ってもらえるはずがありませんよね……」
「その点、あのエルフのにーちゃんの店は誠実に対応してくれてたっスね」
「いや、あれも体良く我々を追い返すための方便かもしれないよ……?」
なんであれ、手詰まりであることに変わりはない。
否。それどころか、状況はどうやら悪化しているようだった。
「……少年、どうやら我々は、悪目立ちしてしまっているらしいよ?」
「えっ……」
魔道具店をハシゴしたせいか、いつの間にか、三人は注目を集めてしまっていた。その上、
「少し、お話を聞かせてもらいたいんだが……いいかね?」
気がつけば警官に囲まれていた。
(まずいな……)
手段を選ばないのであれば、この場から脱することは容易い。だが、そうしたところで状況は改善するどころかむしろ悪化してしまうだろう。少なくとも、ヴェリーゼ探しに支障をきたすことは確実だ。
横を見れば、カイマンが色仕掛けでなんとかしようとしているところだった。当然だが、いくら胸を揺らしても警官が動じる様子はない。
そんな時である。
「待って!!」
警官たちの隙間を抜けて、セナたちの前に、彼女らを庇うようにして飛び込んできた影が一つ。セーラーワンピースに銀の髪、そして横長のエルフ耳をした少女だった。
警官の一人が、飛び込んできた少女の姿を見て「おや」と言う。帽子のツバを少し上げて、
「君はホークスさんとこの……」
「お仕事の邪魔してごめんなさい。ロバートさん。でも、彼らはあなたたちが心配するようなことは何一つしていないわ。本当よ。彼らは、私たちの客人なの。だからどうかお願い。解放してあげて」
「……ふむ。了解した。ホークスさんとこのお客人だと言うのなら、通報も単なる誤解だったのだろう。分かったよ、我々は巡回に戻るとしよう。女王のお膝元はいま、過敏な状態にある。大切な客人なら、あまり彼らを自由に行動させておくべきではない」
「ええ。ご助言ありがとう」
少女は警官に顔がきくらしい。驚くほどあっさりと、警官らは引き返していった。
少年が彼のと同じ髪色をした、銀髪の少女に感謝する。
「ありがとう。……でもどうしてぼくたちを、」
「お礼はいらないわ。それよりも、こっちへ来て」
やや強引に少女は彼の手を取る。
そうして、彼女が向かった先はうす暗く、人通りもない裏路地だった。袋小路になった路地の果てで、彼女は足を止める。
「……カイマン」
「っス」
カイマンに目配せして、セナはいざという時に備えておく。もし、あの少女が彼に何か良からぬことをするつもりなら、その時は——。
と、にわかに殺意を高めていると、少女が口を開いた。
「ねえ、ファウスティーノ。あなた、本当に覚えてないの?」
少年の瞳を見つめ、少女は言う。どこか陶酔を感じさせる甘い声。害意や敵意というものは感じられない。どちらかと言うと、喜びと哀しみの入り交じったような、そんな雰囲気だ。声を弾ませているのに、なぜだか今にも泣き出してしまいそうな気配がする。
少女の繊手が少年のさらさらの髪を撫でて耳の方に寄せた。そうしてあらわになった左目の目元を指先で触れて、「泣きぼくろ」と言うと言葉を切った。
「ほら、見て。私にもあるの。同じ位置、左目の下に」
「あ、ああ……ほんとだ。すごい偶然だね」
「……そう、覚えてないのね。やっと、20年間ずっと探し続けてようやく見つけたのに……」
淡々と、少女は落胆する。嘆くでも涙するでもなく、ただ、少しだけ肩を落として、声音が落ちついたものになる。だが、反応はささやかであるがゆえに、その悲嘆は強く伝わってくる。セナは胸のところで拳を握り締めた。
少年の方も言葉を失い、黙り込んでしまう。
「ご主人」
そこで、カイマンが言った。沈黙を破らぬ程度の声量で、セナに告げる。
「……なんだかあの女の子、神様とそっくりな顔してるんスけど……姉弟だったりするんスかね……」
「ああ。うん。おそらくは、そういうことなんだろうね」
状況から察するに、そう考えるのが自然だ。だが、少年は戸惑っている。まるで自分に姉、ないし妹がいることを今の今まで知らなかったかのようだ。
——つまり、彼には昔の記憶がないのだろう。それもおそらく、20年前より以前の。
(とはいえ、彼女が本当に少年の過去の知り合いかどうかまでは分からないしな……顔や髪の色は、魔術で似せているだけかもしれない。あの落胆を見るに、悪い人じゃあなさそうだけど……念のためだ。隙を見て、【囁き】で聞き出してみよう。あれを使えば、ウソを吐かれる心配もない)
セナは大きく咳払いをした。停滞していた空気が、一気に動き出す。
「はいはーい。そこまでー。なんか勝手に盛り上ってる——いや、盛り下がってるとこ悪いけど、君は何者なのかな? 勝手に、私のモノにべたべた触れてくれちゃってさぁ」
(怒らせた方が隙も大きくなると思ったんだけど……少し露悪的過ぎたかな)
セナが睨めつけると、少女もまた睨み返してきた。不快感を抱いているのは間違いなさそうだ。しかし、隙らしい隙はない。さながら研ぎ澄まされた刃のようである。
「——貴女こそ。一体誰なんですか? というか、女中の分際で私の弟をモノ扱いとは何事ですか」
少女は少年の頭を抱き寄せ、その胸に少年の顔を
セナは挑発的な行動に——そして豊満な胸部に——歯軋りする。
「……何事か、ねぇ。まあそれにはのっぴきならない事情って奴があるんだよ。……少し、耳を貸してくれるかな?」
「嫌です。近付いたら魔術を使うつもりなのでしょう」
当たらずとも遠からず。どうやら一筋縄ではいかない相手らしい。
「こんな丸腰のメイドを捕まえて、そんなに警戒心を全開にするなんてのは、少し臆病が過ぎるんじゃないかなあ?」
「なんとでも言えばいいです。優れた魔術師は無詠唱で術式を発動させる——あなたがそういった手合いでないという証拠はどこにもない」
「悪魔の証明ってやつだね。そんなこと言うのなら、君は私が何かできることを証明するべきだと思うんだけどなあ」
「詭弁ですね。可能性があるというだけで、私には十分です」
「ああ。確かに詭弁だ。……でも、君も詰めが甘いね。無防備に私と会話を続けるんて。この間に仲間を呼ばれるとは……考えなかったのかい?」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。そんな見え透いたハッタリで私を騙そうなんて、いっそ呆れます」
「なら、私は君をびっくりさせてあげよう」
「? なにをするつもりですか? なにしても、どうせ無駄だとは思いますが」
「なに、ちょっとした推理だよ。……君だろ、私たちを警官連中に通報したのは」
セナは相手の眉が動いたのを見逃さなかった。
「……根拠は?」
「ないよ。ただ、君には少年——彼という動機があり、我々が警官に取り囲まれたあのタイミングで飛び込んできたのは、出来過ぎだった……それだけの話だ」
「妄想に付き合うつもりはありませんが……一応訊いてあげます。そんなことをして、私に何のメリットが?」
「私たちに恩を売れる。そして、少年と接触するきっかけを作ることができる。……まあ、こんなトコだろうと見てるよ」
「そうですか」
「及第点はもらえたのかな?」
「どうでしょうね。私としてはもうお喋りをやめて、ファウスティーノと一緒に帰りたいのですが」
「ふうん……そう。でも、その彼の方は、気絶寸前みたいだけど」
「そんなバカな……えっ!? どうしてこんなにぐったりと……まさか私の胸で酸欠に!?」
「なわけないだろ」
彼はただ、緊張しているだけだ。女性の胸に顔を押しつけられて顔を真っ赤にしているだけ。過剰なスキンシップの順当な結果である。
だが、そのおかげで隙を作ることができた。
縮地で一気に距離を詰め、少女の耳元へ口を寄せる。あとは言葉を発するまでもない。息を吹きかけるだけでも、相手は思考を止める。
セナの権能【囁き】による催眠効果は、対象に【囁き】を使用し始めたその時点ですでにある程度効果を発揮するのだ。ほんの短い時間、対象の思考活動を停止させ、セナの言葉を受け入れる土台を作る——その程度の小さな効果しかないが、囁きかける時間を作るにはそれで十分。
(勝ったッ!)
確信した、その時だった。
「——っ!」
「大丈夫っスか! ご主人!」
「あ、ああ……平気だ。もう、目もなんともない……だけど、今のは一体なんだったんだ…………」
目を開ける。そこにもう、二人の姿はなかった。
「くっ。少年を連れ去られてしまったか……マズいな……」
彼には【白き破滅】との戦いに協力するよう、【囁き】の力で刷り込んである。こちらから何もしなくとも、セナのもとへと戻ろうとするだろう。だが、彼自身の自由意志を重んじたがゆえに強制力はそれほど強くない。何か「戻らなくてもいい理由」があれば、彼はそこに留まり続けるはずだ。
偶然とはいえ、初めて見つけた【紅玉瞳】の持ち主である。みすみす逃がすわけにはいかない。
しかも、彼を連れ去ったのは彼に並々ならぬ思いを抱いている様子だった。何か妙なことをされないとも限らない。一刻も早く取り戻すべきだと、セナは思う。
「……しかし、どうやって逃げたんだ……?」
もし、スラヴァのような瞬間移動能力の使い手ではないのだとすれば、この袋小路から姿を消す方法は一つ。
「ウチ、見てたっスよ。……空っス。あの時、光に包まれて、あの人の背中に翼が現れたっス」
「それで、少年を抱きかかえたまま飛んで行ったというわけか……カイマン」
「なんスか?」
「君、たしか人間サイズでも羽根を生やせたよね」
セナが視線を送ると、カイマンは肩をすくめた。服を突き破って竜の羽根が生えてくる。
「目立ちたくないんじゃなかったんスか?」
「隠蔽術式、使えるだろ? 今ならまだ、そう遠くには行ってないはずだ」
## 03
果たして、二人はすぐに発見することができた。というか、四人がいた路地裏すぐそばの建物の屋上で少女は途方に暮れていた。
「…………」
呆けている彼女の背には、カイマンの言う通り天使の羽根のような、一対の大きな翼があった。
「やあ」
セナが声をかけると、先ほどまでの威勢はどこへやら。ぎこちない動きで彼女は振り向いた。
「……その、大丈夫?」
「あ、……あなたに心配される
「思ったより元気そうで良かったよ」
とはいえ、先ほどに比べると覇気がないのは事実だ。翼を展開した代償だろうか。
考えていると、少し顔を赤くした少年がこちらに歩いてきて言った。
「セナさん。たぶんあの翼、〈聖遺物〉の力だと思います」
「〈聖遺物〉というのは?」
「様々な所以により、特殊な力を持つようになった物品のことです。なかには、意思を持って使い手を選ぶものもいるのだとか……」
「ふうん。なるほどね。で、〈聖遺物〉はみんなあんな風に、」
セナは抜け殻のようになった少女を見て言う。
「気力とか感情とかを喰らっていくものなの?」
「いえ。全部が全部そうじゃないはずです」
「ウチが今までに見てきたのだと対価に血を失うモンがあったり、対価に寿命を支払うモンがあったりしたっスね。まあ、対価なしで使えるのもかなりあったっスけど」
「なるほど。〈聖遺物〉の対価はあったりなかったり、色々か……」
ともあれ、あの無気力状態ならば囁きを使うことも難しくはないだろう。
「使うんですか?」
少年の言葉に、セナは頷きで応じる。
「心配しなくてもいい。彼女の自由意志を奪うような真似はしないと約束するよ」
「……勘ですが、あの人はきっと、悪い人じゃないと思います」
「ああ。きっとそうなんだろうね」
セナはあっさりと少女のもとまで行くことができた。警戒のけの字も感じられないほどにすんなりと、容易く。
「……なに、するつもりですか」
「心配しなくてもいい。ただ、質問をするだけだよ」
少女は逃げようとしなかった。あるいは、できなかったのか。
セナは耳元に口を寄せて、今度こそ囁きかける。
「——これからいくつかの質問をする。君にはそれに、正直に答えてほしい。大丈夫。君の弟には何も、危ないことはしない。
……質問一。君は、本当に彼の——ファウスティーノの姉なのか?」
「ええ。そうよ」
「……質問二。君がさっき使用した〈聖遺物〉の詳細を教えてくれ」
「〈聖遺物〉の名前は【
また「20年前」だ。20年前、このエルフの姉弟に何かがあったのは、もはや明白。少女の言葉が切れたところを見るに、あまり口にしたくない話題のようではあるが……セナは踏み込んでみることにした。
「……質問三。20年前、何があった?」
「……あの日、私たちは〈聖遺物〉の複数同時〈親和〉実験の被検体にされた。けれど、実験は失敗。その場にあった〈聖遺物〉の一つが暴走して、その影響で不慮の事故が起きた。実験場は壊滅。私は二つの〈聖遺物〉と融合して、ファウスティーノは……意識を〈聖遺物〉に……乗っ取られた…………」
「えっ?」
少女は表情を歪めていた。しかし、それでも語り続ける。
「そのあとのことは……分からない。私は、声に従って一人で逃げ出して…………【至高翼】で、遠く離れたエルゴグランデに、逃げた……」
「君を導いた声というのは?」
「分からない……女の子の、声、だったはず……」
「ふむ。では、君の弟の意識を乗っ取ったという〈聖遺物〉は?」
「知らない……でも、それと融合した時、ファウスティーノに耳と尻尾が生えてきたのは覚えてるわ……」
「——っ! 少年の耳と尻尾は〈聖遺物〉によるものだったのか! では、これが最後の質問だ。……その実験の目的は?」
「…………聖女、レリアの復活…………私たちは、復活に使う
「……そうか。情報提供、感謝するよ。最後に、少しだけ記憶をいじらせてもらうよ。いいかい? 君は、【至高翼】を使っていない。裏路地で君は疲れからか少しの間眠りに落ちてしまった。弟との再会の喜びで、体力を必要以上に消耗してしまったんだ。だから、少しの間、安らかに眠りなさい」
穏やかに、セナは囁いた。少女は抵抗することなく、瞼を閉じ、眠りに落ちた。
「さ。それじゃあ下へ降りようか。カイマン。三人分、できるかな?」
「この
「じゃあ、彼女からよろしく頼むよ……そういえば、名前聞くの忘れてたな……」
「目が覚めたら聞けばいいじゃないっスか」
「まあ、そうなんだけど……私の目論見通りなら、彼女は【至高翼】に対価を支払う前の状態……あの敵愾心向き出しの状態に戻ってるハズだ。素直に教えてくれるといいけど……」
「神様に聞いてもらえばいいんじゃないっスか? ね、神様っ。神様ー?」
二度目でようやく気付いたのか、少年ははたと我に返った。
「あ、ああ! うん! えっと……なに?」
「もー、ちゃんと聞いててくださいっスよー」
軽口を叩くカイマンに少年は曖昧な笑みで答える。依然、その視線はどこか遠くを見ているようだ。
(よほど衝撃だったんだろうな……さっきの情報が)
彼にも、色々と思うところがあるのだろう。なにせ、あの話の中では、彼は〈聖遺物〉に意識を乗っ取られたまま姿を消している。今の自分の意識が本来のものなのか、それとも彼を乗っ取ったという〈聖遺物〉のものなのか、考えずにはいられないのだろう。
「少年、」
カイマンが少女を運ぶために下に降りて、二人きりになったところでセナは声をかけた。軽率な言葉はかえって彼の悩みを深くするだろう。それでも、何か言わずにいることはできなかった。
その時だ。
——ぐぅぅぅぅぅぅぅ。
「…………」
「…………」
腹が鳴った。少年は腹を抑えて、ややうつむきがちになってセナから視線を逸らす。
「まあ、うん。少年。色々不安なこともあるとは思うが、まずは食事の心配をした方が良さそうだね……彼女、いい店を知ってるといいけど」
「そうですね……」
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