Track2 敵状視察(前)
## 01
三角屋根の二階建て。自宅の前に立ってティーノは元気に手を振る幼馴染を見送っていた。
「それじゃあまた来週ね、ティーノ。結界が壊れた経緯については、私から言っておくから!」
「うん。ありがと、ロゼリエ。……また来週」
「ええ、また来週!」
それはいつも通りのやりとりだった。何事もなく毎週している会話や遊びを終えたあとのような。
ロゼリエの姿が見えなくなったのを確認すると、ティーノは扉を閉める。そして、そこで彼を待っていた淡い赤髪の女性に感謝の言葉を述べた。
「……改めて、ありがとうございます。セナさん。ロゼリエの記憶を消してくれて」
「気にすることはないよ。そういう約束だからね」
言って、セナは一枚の紙を見せる。それは特殊な加工が施された〈契約〉用紙だ。直筆で契約内容とティーノ、セナ、両名のサインが記されている。
「『ファウスティーノは彼の幼馴染ロゼリエの、彼女が【炎天蓋】を使用して以降の記憶を消すことをセナに要求する。その見返りとして、セナはファウスティーノに1つだけ、なんでも要求することができる』——だっけ? 文字は読めないから合ってるかどうか曖昧だけど、まあ。そういう感じの〈契約〉を私達は交わした。……だから、感謝はしなくてもいい。ふふっ」
「——? なんで、笑ってるんですか?」
ティーノが問うと、セナはにやけ顔を崩さず、むしろますます笑みを深くした。
「いや? 不思議なものだと思ってね。君があんなことになった幼馴染を元に戻したいと願うのは当然だろう。それを私に要求するのも、道理だ。だけど、君はどうして【紅玉瞳】を見たという記憶を消せば元に戻ることを知ってたのかな、ってね。少し、不思議に思ってただけだよ」
「…………」
「おっと。触れちゃいけないことだったようだね。分かった。聞かなかったことにしてくれ」
「それで、僕に一体何を要求するんですか?」
今回の〈契約〉には魔術的な強制力が発生する。セナに確実に記憶を消してもらうための方策ではあったのだが、当然、それはティーノに関しても同様だ。〈契約〉に違反すれば、ティーノには何らかのペナルティが課せられる。
(この〈契約〉用紙は双方の意思を読み取って〈契約〉内容が釣り合うかどうかを自動で判定する。釣り合わなければ、用紙は即座に燃えて〈契約〉は無効になる仕様だ。……だから、「なんでも」とは言ってもあまり無茶な要求はしてこないはず)
そう、安堵しようとするが不安はある。
(——と言っても、「記憶を消す」ことが向こうにとってどれほどの重みのあることなのかは分からないのだけど……)
結局のところ、セナの要求について言えることは一つだけ。
——セナはティーノに何をさせるのかを内心では既に決めている。
「君に要求することは……私と一緒に、連中の住処を見に行こうってことだね」
「連中?」
「ドラゴンだよ」
「は?」
家の外から、何か巨大なものがはばたく音がした。
## 02
「うわ…………っ! え、ええええええ!? な、なにこれ……っ!!? そ、空を飛んでる……っ!!!???」
ドラゴンの背に乗って、ティーノは叫んだ。
見渡す限りどこまでも広がるような空。森も村も街も、すべてが遠く下の方に見える。
森から出ることを夢見、しかし諦めていたティーノの心は否が応にも湧き立った。
「いい叫びっぷりだね少年! ここは防風、防音の結界が張られているらしいから、気にせず叫べ!」
「さ、叫べったって……! いや、本当になんなんですかこれ!!」
「空を飛んでるんだよ! 私たちは今!」
「…………そら、を」
目をこすって、もう一度下を見てみる。ブレーゲラントの街並みがそこにはあった。あの一際豪奢な区画は貴族の家だろうか。皇帝の住まう宮殿と思しきものも見える。
権威の象徴が、あんなにも小さく見える。
「…………これが、自由」
ぽつりと呟いた。
「残念だけど少年。今日は日帰りで済ますよ。私たちにはまだ、あの家以外の拠点がないからね。それに、あの結界が修復される前に帰らないと色々厄介なことになるんだろ?」
「……ええ、まあ。それはそう、ですけど」
ウレギエの森上空を覆う結界には二つの目的があるとティーノは考えている。一つは外部勢力の侵入を阻むこと。そしてもう一つは、ティーノの脱走を防ぐこと。
そして、結界が破壊された時に鳴り響くあのけたたましい音は、それをいち早く軍に伝達するためのものである可能性が高い。
ドラゴンに乗って森の内外を出入りするなら、結界が破壊されている今が絶好の好機だった。
「……そういえば、ドラゴンの背にぼくたちが乗ってることは見えたりしないんですか?」
「その点については問題ない。隠蔽術式もかけてあるってカイマンが言ってるからね」
「カイマン……?」
セナはとんとん、と真っ白な鱗を叩いた。
「Cwrrrr!」
二人を乗せて飛ぶドラゴンが元気良く鳴いた。
「え、まさかこのドラゴンが……?」
「うん、そういうこと。私に言語の壁はないからね。それじゃあ、もう少しスピード上げてくれるかな、カイマン」
「Cwrrrr♪」
「しかも
ドラゴン——カイマンはさらにスピードを上げて太陽の方角——南の方へと進む。永きに渡り、ほとんど人前に姿を見せることがなかったドラゴンたちの住処へ向けて。
## 03
「…………」
しばらく飛行して、ティーノの興奮も少し落ちついてきた頃。
ティーノは、前方に座るセナの背中に問いかけた。
「あの、セナさんってもしかして、意外と良い人なんですか?」
「……そう見える?」
「見えるというか、セナさんの能力があればなんでもできるのに、なんでわざわざ、ぼくのことを気にかけてくれるのかな、と」
「ふむ。なぜってそりゃあ、君が奴を、【白き破滅】を倒す鍵になるからだよ」
「ああ、ですよね…………」
肩を落とすティーノだったが、その一方で少し、安心もしていた。純粋な好意を向けられるよりは、その方が遥かにマシだ。
「それとだね少年」
振り返って、セナはティーノの目を見る。
「私の、【囁き】の権能はそれほど万能じゃあない」
「そう、ですか?」
「本当に万能なら、私はとっくの昔に奴を倒してるよ」
「う。たしかに……」
セナからのジロっとした視線を感じて、ティーノは口を手で抑えた。
「……私が思うにさ、他人に何かを強制してできることなんて、たかが知れてるんだよ。少年、君はチェスのような、互いのコマを奪い合うボードゲームで絶対に負けない方法を知っているかな?」
「え、そんなのあるんですか?」
ティーノはよくメートヒェンとチャトラをやるが、彼女に勝てたためしは一度としてない。察するに、チェスというのも、おそらくはチャトラと同種のボードゲームなのだろう。
負けない方法があるのなら、是非とも聞いてみたい。ティーノはセナの言葉に意識を集中させた。
「——盤を引っくり返す、あるいは、相手を殺すことだ」
「…………はぁ?」
「期待に沿えなかったようで申し訳ない。だが、こうした盤外攻撃は、誰にでもできてしかも確実だ。相手にしてみれば、たまったもんじゃないだろう。今までゲームのコマだけを見ていたというのに、見えていないところ——死角から攻撃されたわけだからね。……私の【囁き】が万能じゃないってのも、それとおんなじさ」
「同じ?」
「確かに、私の【囁き】の権能は強力だ。その気になれば相手の自由意志を奪い、私自身のコマとすることもできる。……だが、それは逆に自分の首を絞めることになる。他人をコマにして王様気取ってると、思わぬ場外攻撃によってあっさりと殺されてしまうものなんだよ。この世界の全て——過去、現在、そして未来——の情報を持っている全知の存在でもない限りは、ね」
「はあ……そう、ですか」
「そう。要するに、人間ナメんなってことだ」
含蓄ありげに話を締めようとするセナだが、ティーノには一つだけ、言わずにはいられないことがあった。
「……それなのに、ぼくには協力を強制させたんですか?」
ドラゴンに追われていた時のことは、緊急事態だ。ティーノとしても仕方ないことだったと納得できる。だが、そのあとのあれは——他者を支配する能力のデモンストレーションにしても、卑怯なのではないかと思う。
半目になったティーノに対し、セナは笑い声で応じた。
「はっはっは。だからこうして、好感度稼ぎをしてるんじゃないか……ほら、下を見てごらん」
「……? あ、」
そこには、太陽の光を受けて煌めく青があった。
「海だ…………」
始めて見る。だが、間違いない。これが、これこそが海だ。
ひたすら広大で、どこまでも続くような深く、豊かな青。命に満ちたところ。
ティーノは言葉を失い、ひたすらに海を見ていた。
「少年。いつか……いつか君が、強制ではなく、君自身の意志で、私に協力してくれる日が来ると、私は信じているよ」
「あの……」
「ん?」
ティーノは海を見ながら、セナに問う。
「どうして、ぼくが海を見たがってると、分かったんですか……?」
セナは一言、
「内陸住まいの人間は海を見たがると、相場は決まってるんだよ」
「つまり、分かってたわけじゃないんですね」
「…………」
沈黙を背負い、白い竜が広大な海原の上を行く。
## 04
「今回の目的は敵状視察だ」
海洋上空でセナは言った。
「森にやってきたドラゴンが一体どこから来たのか、使徒化されたドラゴンはどれだけいるのか。それを調べるのが目的だ」
「ああ、それでドラゴンの住処に行くってわけですか……」
「そういうこと。だから双眼鏡を持ってきてもらったんだ」
ティーノは首にさげた双眼鏡を見て得心する。
「今回の件にはいくつか、私としても気にかかることがあってね」
「というのは?」
「……襲撃が、いくらなんでも早すぎるってことさ。ご存知の通り、私は川の中で溺れ死のうとしていたわけだけど、あれはなにも【白き破滅】に追われる私の未来を悲観しての行動じゃあない」
(でしょうね)
ティーノは内心で相槌を打った。
「目的は、私の匂いを隠すことだ」
「匂い?」
「そう。奴はまず私の存在を匂いで察知しているらしい。それが奴自身の鼻によるものか、はたまた野犬のような、鼻の利く使徒によるものかまでは分からないが……。で、その匂いを消すために、私はよく土左衛門——溺死体になる」
「…………よく?」
「ああ。一カ月くらい溺死しておけばとりあえず奴の鼻を誤魔化せるというデータもある。……まあ、結局見つかってしまうわけだが、それでも最初の一カ月を溺死した状態で過ごせば、あとの5、6年——長ければ20年——はエンジョイできるって寸法さ」
「なにを言ってるんだろうこのひとは」
「少年、思ってることと言ってることが入れ替わってる気がするんだが」
「安心してください。どっちも同じなので」
「そうか…………」
「——で、つまりどういうことなんですか?」
気を取り直して、話の続きを促す。
「ああ、つまりだ。今回も私は、一カ月土左衛門をやるつもりで死んでたんだ。あの森は見たところヒトの住んでる気配がなかったからね。湖や沼だと一カ月後、復活する時が大変だし、素晴らしい幸運に巡り合えたと思ったよ。この世界に来て最初に見たものが最初の一カ月を過ごすのに持ってこいの川だったんだから」
「そんな風に思ってたんですか……」
「……なのに、君が現れた。そして助けられてしまった。とりあえずメイドの彼女——メートヒェンだっけ?に食事を提供してもらって、身体の芯からぽかぽかになった。——のだけど、実を言えば、私はしばらくあの家に居座っておいしいご飯を食べつつこの世界についての情報収集を軽くしたら、またどこかで溺死するつもりだったんだ。今度はもっと、ひとに見つかりにくい場所で」
「えっ」
「あんまり悠長にしていたら、奴に見つかってしまうからね。長くても4、5日程度居候して、絶好の溺死スポットを探すつもりでいた。いつ、どのタイミングで奴が私の存在を嗅ぎつけるのかについては、まだ把握できてないんだ。最初の数日がダメでも、残りの20日間、溺死してればやり過ごせるかもしれない……そう思ってたんだよ」
「でも、」
「そうだ。使徒は来た。ドラゴンの出現タイミングから考えるに、おそらく、私がこの世界に出現したその瞬間にはもう、嗅ぎつけられていたと考えるべきだろう」
「……だから、早すぎると」
「そういうこと」
説明されてみれば、確かに不可解な話だ。まるで、セナがこの世界に……あるいはウレギエの森の中に出現することがあらかじめ分かっていたかのようじゃないか。
「……もう一つ、言っとくことがある。カイマンから聞いた話によると、800年前、彼らの住処に真っ白な神様が現れたそうだ」
「それって……」
「私が見た【白き破滅】も、真っ白だった。……つまり、そういうことだ」
「かつて一度、【白き破滅】はこの世界に来ている……?」
「その確証を得たい。……どうやら、見えてきたようだよ少年。あの大陸が我々の目的地らしい」
いささか夏の気配を感じさせる日射しの中、緑豊かな陸地が横たわっていた。雲をも貫く高い山嶺と豊かな緑に包まれたところだ。その周辺にいくつかの島嶼群があり、洋上を煙上げて貿易船が行き交う。ここは——
「もしかして、メネシカ大陸……?」
「知ってるのか、少年」
「拡大時代の末期、およそ400年ほど昔に発見された大陸です。先住民が発展した魔術と特異な宗教を有する強大な魔術帝国を築いていて、世界中に植民地を持つフォウステス大陸の勢力でも、ここだけはなかなか植民地化できなかったのだとか」
「過去形ってことは、今は違うの?」
「現在は、工業の発展によって戦力差も変わり、メネシカ帝国としても全戦全勝とはいかなくなったので、外縁の一部は植民地化されたようです。ブレーゲラント帝国、エルゴグランデ連合王国、ツァツァーリア教国、あとは——」
「ああ、もういいよ。そういう、歴史のお勉強をしに来たわけじゃないんだから」
「あっはい……」
ティーノはしゅんとうなだれた。こころなしか、狐耳もぺたりとしおれている。
「とりあえず、まずはどこか着陸できる場所を探そう。誰かに話を聞いてみ——」
セナは下——外縁部に切り開かれて出来た街の方を見て、絶句していた。
「? どうしたんですか?」
「……少年。その双眼鏡で、街の方を見てくれ」
(街がなんだって言うんだろう)
そう思いながら、ティーノは街の様子を見る。賑やかな街だ。フォウステス大陸の人々も、メネシカ大陸の先住民らも行き交っている。レリア教の教会がやたらと多いところを見るに、ツァツァーリア教国領だろうか。どこの教会も白い髪の者はほとんどいないのを見るに、先住民の改宗は上手くいってないらしい。
「別になんともないじゃないですか」
「……少年。この世界では、老いも若いもみんな白髪なのは、普通のことなのかな?」
「メネシカの先住民族だけですね。この陽射しが強い気候帯で生まれつき白髪の民族は奇妙だって話を、たしか前にロゼリエが…………セナさん、まさかとは思いますが、」
「たしか君はこう言ってたね? 『特異な宗教』を有す、と。それはもしかして、白い神を崇める宗教なんじゃないのかな?」
「…………っ」
ティーノは思い出す。メネシカの先住民についてはロゼリエだけではない、師匠のヴェリーゼも興味を抱いていた。「彼らの魔術は妙に出力が高い」とか「白という色に特別な意味を持たせた詠唱をする」とか——。
「……師匠が、言ってました。彼らは太陽や白い花、自分達の毛髪、それら白いものを、『神』を表現するために使うって…………でも、そんなまさか、」
「そのまさかだよ少年……! ああ、私には分かる! あれは、あの白い髪はっ、ただの民族的特性でも、色素が抜け落ちてるだけでもないッ!!」
セナは叫んだ。確信を持って、
「使徒だッ! ドラゴンだけじゃあない……この大陸の先住民でさえもッ、とっくの昔に使徒化させられていたんだッ!!」
「Cwrrrrrr!!!!」
突然、カイマンが叫んだ。まるで何かを警告するかのように。
果たして、眼前に現れたのは一匹の真っ白なドラゴンだ。
——太陽の光が強いこの地でなら、ティーノにもはっきりと理解できる。使徒の白と普通の白は何が違うのか。
通常、強い光を受けた白は眩しく感じるものだ。白という色はあらゆる波長の光を反射してできる色なのだから。
しかし、使徒の白は違う。まったく眩しくない。まるで、光という光を吸収しているかのようで、ある種異様な存在感を放っている。白なのに、なぜか黒く感じられるのだ。
「よう……」
そんな白さを持つドラゴンの上には一人の少年が立っていた。髪は青みがかった一房を除いて真っ白だが……外見年齢は10歳前後。ティーノよりも幼い子供のように見える。
仁王立ちで、彼は叫んだ。
「待っていたぞイヴァンナ!! 今度こそ、貴様を討つ!!」
瞳を憎しみ一色に染めて、マントを纏った少年が見つめる先——そこにはセナがいた。
「まずい……」
セナが小さく呟く声をティーノは聞いた。そして、次の瞬間にはもうセナはティーノのところへにじり寄ってきていて——囁く。
「逃げよう。今すぐに、あいつから」
そして、カイマンに向けて命令する。
「撤退だカイマン!! 全力でこの大陸から離れろ!」
セナの意思を汲んでか、カイマンはすぐさま方向転換して引き返し始めた。
背後から、セナをイヴァンナと呼んだ少年の憤懣の声が響く。
「なっ……またしても逃げるのか、この、卑怯者めがぁァ!! 追えェ!! 今こそ、あの裏切り者に天誅を!!!」
ぴりぴりと痺れるような声だ。そして、言葉にはありったけの呪詛と憎悪が込められている。
「……セナさん、なんなんですかあの子供は」
「少年、見た目に騙されない方がいい。彼はおそらく、君よりも年上だ」
「え?」
「…………彼の名は、スラヴァ=ガルデュア。異世界の勇者だ」
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