時計の針

ハヤシケイスケ

 「近所のカフェのラテアートがめっかわだから皆みて」と馬鹿がSNSに投稿した影響でその店は世間から見つかり始めており、これから近隣のカフェ好きが「開拓」と称して何人も押し掛けて古参客は居づらくなるだろうと僕は思っていた。また別の店を探さなければなるまい。


 その店に僕は彼女より後に着くのが常だった。

彼女が僕を待つ間なんの本を読んでいたのかは大抵すぐに解った。


向かいの席に座ろうとする僕にメニューを広げて見せてくれる彼女。


「どの情報にしやす?」

彼女はどうやら食べ物のことを情報と呼ぶことにしたらしい。

「らーめん西遊記でも読んだんか」

「読んだっちゅーか、ドラマのほう観てる」

「実写版か」

「本業は今『カモフラージュ』の2周目いってる」

「ああ、あの作家さんのデビュー作」


彼女にとっては読書以外のものごとは全て副業だった。



 載っている情報を僕がほぼ覚えているので最近では役目を失いつつあるメニューを閉じて僕は顔を上げた。カウンターの前では仏頂面の店員が窓の外を眺め立っている。


僕が手を挙げていることに気付くと仏頂面は作り笑顔に変わって「はいー!少々お待ちください」と見た目の割に高い声でやや早口に応えた。

白紙の伝票をとってさささっと僕のもとに来て注文をとるとまたスタスタと戻って行った。



 元仏頂面が仏頂面に戻った後、店主特製のめっかわ情報を待つ間、僕は目の前の本の虫との会話に戻る。


「男子高校生って本当に唐揚げ入ったおにぎりとチャーハンにぎり好きなん?」

「『カモフラージュ』にそんなシーンあんのか」

「職場の後輩が自分のためにおにぎり買って来たけど、あまりにも男子高校生みたいなチョイスだって突っ込むくだり」

「買って来てくれたのに文句とは……」


そう返しながら僕は、元仏頂面がお盆の上に情報を乗せて溢さないようにゆっくりと運ぶのを本の虫の肩越しに見つけた。


「私全然解んないんだけど、そんなおにぎり食べる?」

本の虫から返球が来ていたので「知らんわい」とはっきり返す。

「君は現に男子高校生だったでしょうが」


「『普通の』男子高校生とは喋ったこともないからなあ」と僕が言い終わるのを待たず、本の虫が振り返った。


「私頼んだのこれだと思うんですけど見た目違くないですか?」

遠くの席で別の客が元仏頂面に対して何か言っている。


「申し訳ありません。すぐ確認いたします」

そう頭を下げる元仏頂面はさっき以上の早口だった。



「契約不履行があったようですのう」

しばらく僕に後頭部を見せていた本の虫が座り直してそう言う。

「無職が契約とかいう言葉使うなよ」

「んぐ。ストレート過ぎる言葉は品が無いですぞ」

「……」


僕は家電量販店で買った数千円の腕時計をテーブルの端に置いて「せやな」と返した。


俺が頼んだものだけがまだ届いていなかった。

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