第2話

 連れてこられた場所は、スラム街の奥まったところにある幽霊屋敷のような廃屋だった。


「見た目はこんなんだけど、中は結構きれいにしてあるよ。雨漏りとか隙間風がはいるところも直してあるしね」


 クリスは門から敷地内にはいり、大きな古びた扉を開けた。鍵はかかってなかった。

 古びた大きな扉をあけると、悲鳴のような軋みが耳にさわり、顔をしかめる。


 鍵もかけていないなど無用心ではないのか。ある意味箱入り娘といえるアイリーンにもその程度の常識はあった。とくにこんな治安の悪いスラム街では、どうぞ盗みに入ってくれと言っているように思えた。


 長く暗い廊下に二人で足を踏み入れようとした瞬間、アイリーンは息をのんで歩みをとめた。


 暗い廊下の奥に、鬼火のような緋色の光がふたつ浮かんでいたのだ。

 それに気づいたクリスが口をひらく。


「ただいま。ミア」


「おかえりクリス」


 緋色のともし火は、幼女の紅い瞳だった。彼女も悪魔だったのだ。その瞳がこちらを向く。


「おかえり、――アイリーン」


 ――ヒュっ。

 アイリーンの喉から甲高い息がもれた。

 やはりこちらの名前もすでに知っていたのか。名前を褒められて少し嬉しかったのが馬鹿みたいである。

 クリスをにらむ。


「どうしたの?」


「どうしたのじゃないわよ。人の名前がわかってて、からかうなんて趣味が悪いんじゃない?」


「誤解だよ。あのときの僕は、君が仲間で、あそこで攫われそうになることしか知らなかった」


 クリスは苦笑するように首を横にふる。


「ミアの予知を聞いてすぐに飛びだしたんだからね」


「……予知?」


「そうだよ。さあ、院長先生に挨拶に行こうか」


 クリスはアイリーンの手をひき、長い廊下を歩きだした。

 ミアがクリスとは反対の手を握る。

 アイリーンは困惑したように、ミアをみる。


 ここの人たちは同じ悪魔であるということを差し引いても、いとも簡単に自分の手をとってくれる。

 子どもは体温が高く、あたたかい。そのことがうれしくて、でも表情に出すのは癪だと感じたのでしかめっ面で長い廊下を歩いた。


「さあ、ここが院長室だよ」


 扉を開け、中にいたのは背の高い男の人だった。年齢は不詳。すごく若くも見えるが、見る角度によっては老人にも見える。

 色素の薄い長髪をゆるく三つ編みにして後ろに流している。何よりも特徴的なのはその伏せられた瞳。すぐにわかった。盲目なのだ。

 彼は安楽椅子にすわった状態で、顔をこちらに向けた。盲目のはずなのに視線を感じた。


「ようこそいらっしゃいました。冥府の支配者よ」


「冥府の支配者?」


 クリスが微笑みながら教えてくれた。


「君の魂に刻まれた銘だよ」


「銘?」


 そういえば、こいつは悪魔か聞いたときに変な答え方をした。


 ――属性は痛覚、性質は反射、銘は因果応報――


「この人がここの院長。名前はいくら聞いても教えてくれないから僕は答える者――アンサラーって呼んでる。属性は識、性質は知、銘は禁断の果実。人類が発足してから手に入れた知識をすべて知ることができるんだって。なにを聞いても答えてくれるからアンサラー」


 彼――アンサラーは微笑をうかべた。


 ミアがこちらの手を離して彼に歩み寄った。安楽椅子に座った彼の膝の上によじ登り、腰を落ち着ける。


 アンサラーは微笑を深くして彼女の頭をなでる。ミアは猫のように目を細めて彼の胸に身を寄せた。


「ミアはアンサラーに拾われたからよく懐いてるんだ。この孤児の第一号だよ」


 クリスはわらって言った。


「アンサラーはミアの先視る水鏡で仲間のいる場所を探って、この孤児院に集めて育ててるんだ」


 ようするに、ここは悪魔が集う孤児院なのだ。

 予想はつく。私のように親に捨てられるか、親に殺されかけるかした子どもたち。


 やはり、堕技は人を不幸にする。こんなものがあるから……。


「ねえ、銘って……堕技の名前のことなの?」


「そうだけど、その呼び方は好きじゃないって言ったはずだよ。悪魔って呼び名もそうだけどね」


 助けられたときもそう言っていたが、あらためて聞くとやたらと癇にさわること言葉だ。このちからのせいでアイリーンたちは悪魔と貶められ、不幸になったのだ。ぴったりではないか、堕落させし技で――堕技。


 アイリーンはいままでつないでいた手を乱暴に振り払った。


「だったら、どんな呼び方だったら満足だっていうの?」


 クリスはにこやかに答えた。


「僕は天からの恵みで、天恵てんけいって呼んでる。それに天恵の使い手で――天使。悪魔より全然いいと思わない?」


 アイリーンは鼻でわらった。


「はッ、なにを言っているの。これが天からの恵み? ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」


 クリスを睨みつける。


「わたしは、このちからのせいで、両親に捨てられて、狂った宗教家に売り飛ばされて、いままで強制的に死を視せられ続けたのよ!」


 アイリーンは吐き捨てるように言った。


「これは呪いよ」


 クリスは微笑んで首を横にふった。


「これは祝福だよ」


 その笑顔は真っ白で、今まで苦労などしたこともないように見えるほど無垢なものだった。


 アイリーンは彼が憎くてたまらなくなった。


 だったら、ーーこの堕技がどれだけ忌まわしいものか、教えてやる。


 彼女は手を伸ばし、彼の腕を掴んだ。


「これでも同じことが言える?」


 その瞬間視界が朱色に染まった。

 堕技――冥府の支配者が発動したのだ。

 視界は赤いまま、目に映るものが歪んでいく。


 視えたものは、彼の『死』。

 ひどい暴行を受けたかのように傷だらけで、腹部から信じられないほどの血が流れ出し、空には冷たい十六夜いざよいの月が浮かんでいた。


「満月の次の夜。あなたは死ぬわ」


「へえ」


 クリスは笑みをうかべた。やわらかくてやさしい、だがほんの少し黒くて底の知れない笑みだった。


「嘘だと思ってるの?」


「いや、君の天恵は『冥府の支配者』。死の王だ。死を視通すことぐらいできるだろうね」


「そうよ! この死は避けることができないわ」


 なにが天恵だ、と吐き捨てる。

 この死の場景をどんなに回避しようと努力しても、どれだけ助けたいと思っても、変えることなどできなかった。


「あなたは死ぬときこのちから――堕技が呪いだと思い知るわ」


 さらにくってかかろうとしたらアンサラーに止められた。


「他の仲間を紹介しますから、そのへんで」


 いつのまにかアンサラーは立ち上がり、ミアの手をひいて歩いていた。

 彼女を促すように振り返る。


「こちらですよ」


 彼の言葉に呼応して、クリスがこちらに手をさしだしたが、その手をとる気にはなれなかった。


「ふんッ」


 鼻息荒く、アンサラーとミアの後をついて歩いた。置き去りにされたクリスが苦笑して肩をすくめたのが視界の端にうつった。


 この屋敷は相当にでかく中庭まであるようだ。たくさんの子どもの声がきこえる。


 そこで遊んでいたのは本当に幼い子どもたちであった。一番年上でもアイリーンやクリスと同じで十代半ばである。


 アンサラーが一言かけると、みんな集まってきた。一番年上の娘が全員の面倒を見ているようだ。


 集まる途中で一番幼い子ども――どう見ても五つにもなっていない子が転んだ。顔から転び、額をこすったのか血がにじんでいた。それに気づくと子どもは泣きだした。

 瞳が緋色に輝く。

 するとどうだろう。

 風が子どもを中心に渦をまいた。

 カマイタチが周囲をはしり、子どもたちの衣服を切り裂いた。泣き声は瞬く間に伝染した。


「フラウ!」


 暴風迅のなか一番年かさな娘が飛びだし、幼児の名前を呼びながら走りよった。彼女の衣服はおろか皮膚すらカマイタチが傷をつくる。頬が裂け、伸ばした手すら切られる。

 それもかまわず幼児――フラウを抱きしめる。


「大丈夫! 大丈夫だから落ち着いて!」


 言い聞かせるように、背中をとんとんと叩く。

 すると徐々にだが幼児の風が収まると同時に、泣き声も嗚咽へと変わっていった。瞳も元の色に落ち着く。


「大丈夫、大丈夫よ。フラウ」


 その姿はまるで母が赤子をあやすようかのようであった。


「……ッ!」


 そのときアイリーンが感じたのは憧憬にも似た嫉妬だった。


 自分は物心ついてから両親に抱きしめられたことなどなかった。人のぬくもりなど感じたことはなかった。

 ずっと人の愛に餓えていたのだ。

 ここの子どもたちは親に捨てられたかもしれないが、それでも自分とは違う。


 奥歯をかみ締めてうつむいたアイリーンの横を遅れて到着したクリスが通る。


「無茶をしたね、マリア」


 視線をあげると、クリスが堕技を行使しようとしているところだった。


「――あっ、ダメよ。クリス!」


 マリアと呼ばれた少女が制止の声をあげるが、それよりもクリスはやめなかった。


 ――因果応報――


 効果は目に見えてわかった。

 マリアとフラウの傷が消え、クリスにすべて移行した。

 傷を反射して自分に移したのだ。


「女の子は顔に傷をつくるもんじゃないよ」


 やわらかい微笑をうかべるとフラウを抱いたマリアに手を差し伸べた。


「ごめんね、ありがとう」


 手をかりて立ちあがったマリアはすぐに傷の手当をしようとする。

 それをとめてアイリーンへと向きなおさせた。


「新しい家族を紹介するよ」


 マリア、やっと泣きやんだフラウ含め全員のがアイリーンのほうをむいた。


「アイリーンだ。みんな仲良くしてね」


 なにが仲良くだ。おまえたちとわたしは違う。同じ悪魔でも違うんだ。


 否定の声をあげる前に、マリアが行動を起こした。


「はじめまして、アイリーン。私はマリアよ。よろしくね」


 フラウを抱いたままこちらに近づき、手をさしだす。


「な、ちがっ……」


 即座に拒絶の言葉が出なかったのは先ほど感じた母性のせいだろうか。

 中途半端に手を上げ下げし、手をとることも、突き放すこともできなかった。


 マリアはゆらゆら揺れるアイリーンの手をとり、にこやかに微笑んだ。


「……あ」


 焦げるような衝動が胸をついた。

 すがりつきたいと思ってしまった。

 その胸にすがりついて、さっきの子どものように泣いてしまいたかった。


「……っ、離せ!」


 違う。わたしは違う!


 アイリーンは焦げるような衝動を胸に、踵を返して中庭から屋敷の中へ逃げ込んだ。

 長い廊下を走り、先ほどの院長室まで戻ってきてしまった。

 息を荒げる。


「あまえても良かったんだよ。彼女は受け入れてくれた」


 いつの間に追いついたのか、クリスが後ろに立っていた。


「……ふざけないでッ。わたしは違う。あなたたちたちとは違うわ! あなたたちみたいにぬくぬく愛されて、育ったわけではない!」


 クリスは肩をすくめた。


「実をいうと、君みたいな反応をしめす子どもは珍しくないんだ。僕らはみんな、心のどこかに傷を負っている。その傷が深い子ほど、そうなる」


「なによ。わたしがきかん坊とでも言いたいの? わたしはあなたたちみたいに同類で傷の舐めあいなんて、真っ平ごめんなのよ!」


 クリスは珍しく驚いたような顔をした。


「……ああ、ごめん。言い忘れてた。彼女は天使ではないよ。この孤児院ただひとりの人間だ」


 アイリーンの驚きはクリスの比ではなかった。


「な、……なんで、人間がここに……」


 いやそれよりなにより、なぜ人間なのに悪魔を恐れないのだ。


「話せば長くなるけど、彼女の弟が天使だった。その弟を両親が殺そうとしたから、マリアが連れて逃げたんだよ。残念ながら弟は結局亡くなったけどね」


 驚きで声がでない。


 なんで? これは呪われたちからなのに。受け入れてくれる人などいるはずがなかったのに。


 クリスはやわらかな微笑をうかべて言った。


「君は僕に、死ぬときにこのちからが呪いだと思い知るというけれど、それでも僕は最後までこのちからを祝福だと信じてると思うよ」


 アイリーンは言葉をなくし、ただ睨みつけることで反意を伝えた。

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