5-4 告白

 光磨はビーフカレー、菜帆はオムライスを注文し終えると、二人して手持ち無沙汰になって沈黙が襲ってしまった。料理が来てから切り出そうかと思っていたが、店内はほぼ満席で賑わっているようだ。なかなか料理が運ばれてこなくて、困ってしまう。


(もう……言うしかないか)


 光磨はそっと、菜帆にバレないように小さな深呼吸をした。


「穂村さん」

「は、はいっ」


 菜帆の琥珀色の瞳に、菜帆にも負けないくらい顔を強張らせた自分の姿が映っている。でも、仕方ないではないかと光磨は開き直った。ある意味、恋愛的な告白以上に緊張するイベントなのだから。

 これは、自分の人生がかかっている問題だ。それに菜帆にも付き合って欲しい――と、言わなければならない。だから光磨は、最大限に緊張しながらも言い放つ。


「俺は今日、やっと……やりたいことを見つけた」


 菜帆はただ、無言で頷く。いや、頷いたと言って良いのかわからないくらい微々たる動きだった。カチコチに固まりながらも、視線だけはじっと光磨を捉えている。


「俺はまだアニソンについてそんなに知らない。でも、俺は……穂村さんの歌声に惚れたんだ。だから……」


 視線と視線が交じり合う。

 菜帆の大きな瞳に吸い込まれそうになりながらも、光磨は意を決して口を開いた。


「クリエイターとして、穂村さんの歌声に寄り添ってみたいって。これから、穂村さんと一緒にアニソンを作っていきたいって。……そう、思うんだ」


 ――言った。言ってしまった。


 心が震える。菜帆の返事が怖い、という気持ちも少しくらいはあるのだろう。でも、そうじゃないのだ。

 進みたい道へ、大きな一歩を踏み出せた。

 今、光磨を包んでいる感情はただの自己満足だろう。言い放った勢いで目を瞑ってしまっているし、菜帆の反応はまだわからない。でも、心はちょっとだけスッキリしていた。


「その、ああっとぉ…………あっ、どうも、です」


 やがて、菜帆の動揺丸出しな声が聞こえてきた。

 と思ったら、どうやらこんなタイミングで料理が運ばれてきてしまったようだ。光磨も菜帆にならってお辞儀をして、店員に愛想笑いを浮かべた。時刻は午後八時過ぎ。先程菜帆の腹の虫が鳴ってしまったように、光磨もまた空腹を感じている。一瞬だけ熱々のカレーに視線が奪われてしまったが、今はそれどころではない。光磨は必死に菜帆を見つめ、反応を待った。


「あのっ! 枇々木くん!」

「な、何だ?」


 名前を呼ばれ、反射的に背筋が伸びる。菜帆の表情は嬉しそうというよりも真剣そのもので、光磨は固唾を呑む。


「私、アニソンが好きなの。小六の時からずっと、アニメが好きで、歌うことが好きで、歌でアニメを彩ることができるアニソンの世界に憧れてるんだ」

「…………ああ」


 なんとか頷こうとする声が震える。

 菜帆の瞳は驚く程にまっすぐだった。いつも純粋な瞳を向けてくる菜帆だが、今ばかりは光磨よりも遥か先にある何かを見つめている。そんな感覚だった。


「憧れだけじゃなくて、私もいつかはアニソン歌手になりたいの。今はカラオケで特訓することしかできてないけど、オーディションにもたくさん挑戦したい。……私、絶対にアニソン歌手になるから」


 自分は今、いったいどんな顔をしているのだろう?

 考えるだけで怖くなった。夢を見つけることがゴールではない。例え自分が一つの答えに辿り着いたとしても、そこからスタート地点にすら立てない場合もあるのだ、と。

 痛いを通り越して苦しい程に、わかってしまう。


「あのね、枇々木くん」

「ああ。……気にするな。遠慮なく言ってくれ」


 気にするな、とか言いながら視線は沈んでいるのだから、情けないったらありゃしない。今の光磨にできることは、しっかりと菜帆の本音を聞くことだけだった。


「枇々木くんと一緒に進んだとしても、上手くいかない可能性もあると思う。枇々木くんはまだアニソンを知ったばかりで、何もかもが未知数なんだよ。枇々木くんに音楽の才能があるかどうかもわからないし、あったとしても私と相性が良いかもわからない。逆に、枇々木くんの才能に私が追い付けなくなる可能性だってあるんだよ」


 菜帆はさらりとした口調で言い放ち、うっすらと微笑みを浮かべる。一瞬、空気を和ませるために笑顔を作ったのかと思った。


 しかし、光磨は気付く。



「でも、そんなの…………やってみなくちゃわからないって思う!」



 前のめりになってこちらを見つめる菜帆は、まるで希望に溢れるような輝く瞳を向けているのだと。


「だってそうでしょ? 上手くいくかどうかなんて、最初から決め付けるものじゃないって思うから。私……今、すっごくわくわくしてる。枇々木くんと一緒に進んでみたいって、心が叫んでるんだ」


 言ってから、菜帆は小さく「なんちゃって」と付け足す。

 浮かべた笑顔は、きっと彼女にとっては照れ笑いなのだろう。でも、光磨にとっては太陽のように眩しくて、ずっと見つめていたいと思う笑みだった。


「本当に、良いのか……?」


 思わず、光磨は不安になって訊ねてしまう。すると菜帆は、当然のように不服そうなジト目でこちらを見た。


「良いとか悪いじゃないよ。もっと自分に自信持ってもらわないと、ちょっと心配だな」

「え……あ、そうだよな。悪い……」

「ごめんごめん、冗談だよ。そんなことより私、嬉しいんだ」


 優しく笑い飛ばしてから、菜帆はまた前のめりになる。


「私、自分に自信は持ってるつもりだけど、実際に歌声を披露したのは枇々木くんが初めてだったから。だから、私の歌声に惚れたって言ってくれたの、凄く嬉しかったよ」

「……ただ、本音を言っただけだけどな」

「でも、実際に枇々木くんとカラオケに行って自信がついたから。あの時はファン一号ができた! って、興奮してたよ。今は……パートナーって言葉が相応しいのかな?」


 コテンと小首を傾げながら、菜帆は頬を朱色に染める。菜帆にしては珍しく、視線がゆらゆらと揺らめいていた。

 菜帆の言う「パートナー」は、一緒にアニソンの道を進んでいくという意味なのだろう。それはわかっているつもりだし、光磨だって新しいことが始まる興奮で鼓動が速くなっている。でも、これは本当に夢へと向かう鼓動だけなのだろうかとも思うのだ。パートナーと言われて、不安定な視線が何度もぶつかって、その度に息が止まりそうになって、それでも菜帆を見つめ続けていたくて。


「穂村さん、俺……」


 自分がいったい何を言い出すのかもよくわからないままに、口は勝手に動き出す。


 ……すると。

 まだ何も言ってないにも拘らず、菜帆は何故か驚いたように目を丸くさせた。

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