5-3 大事な話

「いやぁ、楽しかったね! あたしはライブ自体が初めてだったけど、ハマっちゃいそうだよ」

「僕もテレビ中継でしか観たことなかったから、新鮮だったよ。……あ、えっと、新鮮でした」

「もう、敬語禁止だよ柚ちゃん。今は先輩としてのあたしじゃないんだから」


 フェスが終わり、光磨達は会場の外に出る。紫樹と夏奈子は興奮冷めやらぬ様子で感想を言い合っていて、光磨は思わず微笑ましく見つめてしまった。


「枇々木くん、どうする? このまま皆で晩御飯食べに行く?」

「あぁ……そ、そうだなぁ」


 菜帆だけはまだ電波ちゃんのことが気がかりなようで、真面目な視線を向けられてしまった。確かに夜も遅いし、このまま四人で食べに行くのが自然な流れだろう。光磨としても、ようやく自分の夢に気付いたのだと皆に伝えるのが良いのかも知れない。


「悪い、皆。その……」


 光磨は一瞬だけ紫樹と夏奈子を見つめ、すぐに菜帆と目を合わせた。


「大事な話があるんだ。もう少し付き合って欲しい」


 精一杯の勇気とともに、光磨は菜帆に向かって頭を下げる。こんなの、どう考えたって紫樹と夏奈子にからかわれるような行為だ。でも、まずは菜帆だけに伝えたいと思ってしまったのだから仕方がない。光磨の進みたい道には、菜帆がいる。ここまでたくさん悩んだけれど、今は迷わず言い切れるのだ。


「だ、大事な……話?」


 当然のように、菜帆は驚いていた。頬の色までは暗くてよくわからないが、瞬き多めにこちらを見つめている。


「ごめん、いきなり……。なんつーか、色々なことにようやく気付いたっつーか……とにかく、穂村さんに伝えなきゃいけないことができたんだよ。……駄目か?」

「そんなっ、全然、駄目じゃないよ。ええと、その……よろしくお願いします」


 謎の緊張感で思わず声が上ずると、菜帆にも緊張が伝染してしまったようだ。わたわたした状態のままお辞儀をされ、光磨もまたお辞儀を返す。


「……と、いうことだ。柚宮も頑張れよ」

「へぇっ?」


 なるべく平常心を保ちつつ、光磨はさらりと言い放つ。想像以上に大袈裟な紫樹の反応に、光磨は少しだけ冷静になるのを感じる。


「萌先輩も、今日は付き合ってくれてありがとうございました。……それじゃ」


 夏奈子にも軽く会釈をし、光磨はそのまま歩き出す。「わっ、枇々木くん待って!」という声が背後から聞こえてきて、菜帆がちゃんと後ろをついて来てくれているのだとわかった。

 正直、紫樹と夏奈子には申し訳ないことをしたと思っている。「大事な話がある」発言をした光磨のことも気になるだろうが、電波ちゃんのことだって気がかりなはずだ。逃げるような形になってしまって、光磨は心の中で「また今度説明するから!」と言い訳をする。


 今はまだ、ちゃんと説明できる状況ではない。


 菜帆と一緒にアニソンの道へ進んでいきたい――なんて、光磨の一方的な夢でしかないのだ。菜帆に打ち明けて初めて夢として芽生える訳で、今の光磨はまだ宙に浮いた状態だ。それでも光磨は、大きな一歩を踏み出せたと思っている。だからこそもう一歩、踏み出さなければいけないのだが。


「…………」


 徐々に、自分の顔が強張っていく。そんな自覚が確かにあった。

 考えれば考える程に、光磨の心は不安に満ちていく。

 菜帆は、誰よりも夢にまっすぐな人だ。

 菜帆のアニソン愛が深いことは、近くで見てきた光磨には痛いくらいにわかる。高校に入学したばかりの頃、「枇々木くんってもしかして、アニソンが好きなんですか?」と訊ねられた時、菜帆の瞳は輝いていた。光磨がアニソンにコンプレックスを抱いていた時だって、菜帆は一直線にアニソンだけを見つめている。

 アニソン歌手になりたいと宣言したり、あのアニメの曲が素晴らしいのだと語ったり、自分の歌には自信を持って「褒めてもらいたくて、枇々木くんに披露したから」と、さも当然のように言い放ったり。

 いつもいつも、夢に向かう菜帆は眩しくて仕方がない。

 そんな菜帆の領域に、今更自分が入り込んで良いのか。やっと夢に気付いて、ちょっとだけ浮かれちゃったりもして、自分はここから先も当たり前のように進めるのだと、勘違いをしているのではないか。


「枇々木くんも、アニソン歌手になりたいの?」

「え……あ、いや、それは……」


 不意に訊ねられ、光磨はついつい足を止めてしまう。口ごもりながらも、光磨は「厳密には違うんだが」、と思った。


「そうなの?」

「……今、声に出てたのか」

「もちろん! 枇々木くん、嘘が吐けないタイプだもんね」


 光磨は眉間にしわを寄せつつ、今度こそ口に出さずに「穂村さんもだけどな」と思う。むしろ、菜帆が素直すぎる性格だからこそ自分も本心で接しられるのかも知れない。


「ライブ中、凄く楽しそうにしてたからさ。何かに気付いたのかなって思っただけなの」

「察しが良いんだな、穂村さんは」

「ううん、違うよ。嬉しくて枇々木くんを見ちゃってただけだよ。枇々木くん、アニソンのこと好きになってくれたんだなぁって」


 相変わらず、菜帆はわかりやすく照れ笑いを浮かべている。心からそう思ってくれているのだと、明るい声色からひしひしと伝わってきた。もう、アニソンが好きなのかと訊ねられて「関係ないだろ」と突き放した自分はいない。

 真逆の自分が、ここにいるのだ。


「穂村さん、まだ時間大丈夫か?」

「それはもちろん大丈夫だよ。ご飯食べてから帰るかもって言ってあるから。……大事な話、あるんでしょ?」


 訊ねながら、菜帆はえへへと表情を緩ませる。光磨は密かに、辺りが暗いことに感謝した。まともに菜帆の顔を見てしまったら、緊張が止まらなくなるに違いない。

 とはいえ、いつまでも外で会話をしている訳にもいかないだろう。

 ぐうぅぅ、という菜帆から聞こえてきた小さな音に、光磨ははっとする。


「……そこのカフェにでも入るか。まだやってるみたいだから」

「そっ、そうだね! 何か、デジャヴを感じるよ。あの時は、デートみたいとか言って緊張してたなぁ」


 あははーとわざとらしく苦笑する菜帆に、光磨もまた苦笑を返す。

 今もデートみたいだな、と反射的に思ってしまった。果たして声に出してしまったのかどうか、真実はわからない。

 様々な緊張が混ざり合って、頭の中はいっぱいいっぱいだ。

 ただ、進みたい。

 それだけを胸に、光磨は菜帆とともに店内へと入っていった。

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