2-7 友達

 珍しく遅刻をしたあの日、突然電波ちゃんが現れたこと。

 電波ちゃんは光磨に会うために現れたのだと言い、「アニメソングになりたいの!」と無理難題を押し付けてきたこと。

 電波ちゃんが見えるのは、光磨とクラスメイトの菜帆だけだったということ。いや、よくまろまるとじゃれ合っているから、実はまろまるにも見えているのかも知れない。とにかく、人間では光磨と菜帆だけだった。

 なのに今、紫樹にも見えるようになっている。光磨自身も困惑を隠せないまま、言葉を紡いでいた。


「じゃ、じゃあ、電波ちゃんはずっといたんだ? あの時、言い争っちゃった時も?」

「あーいや……その、仲直り……みたいなことをした時はいた、な。あの時、スライディング土下座してただろ? あれ、こいつに物理的に押されたんだ」

「ああっ、そっか! だからあの時あんなに不自然に土下座してたんだね……!」


 話せば話す程に、紫樹のテンションは興奮気味に上がっていった。

 正直驚くくらいだったが、動揺されたり訝しげな顔をされたりするよりはずっと話しやすい。だから、電波ちゃんに背中を押されると温かい光に包まれるとか、電波ちゃんが見えるのは光磨の光になる存在だからとか、だいたい名前が不明で電波ちゃんは光磨が勝手に名付けただとか……。真面目に話すと恥ずかしくてたまらないことも、なんとか話すことができた。


「まさか光磨の周りでそんな楽しいことが起こってたなんて……。僕、全然気付けなかったよ」

「楽しいとか簡単に言うなよ。いやまぁ、確かにこうして…………いや、何でもない」


 紫樹と向き合えているのは電波ちゃんのおかげだけどな、という言葉をなんとか飲み込む。電波ちゃんがニヤニヤとしながらこちらを見ているのだ。この事実は事実として胸にしまっておくことにした。


「ごめんって、そんな顔しないでよ。僕はただ単に、小説の主人公みたいで羨ましいなって思っただけだから」


 確かに、純粋に小説が好きで読んだり書いたりしてきた紫樹にとっては羨ましい状況なのかも知れない。むしろ、電波ちゃんに対してわくわくする気持ちになれない時点で「何でお前文芸部になんているんだよ」と思ってしまう。やっぱり光磨にとって文章や物語は、何かから逃げるための行為でしかなかったということだ。

 じゃあ、自分が本当にやりたいと思っていることは何なのか。考えようとしても頭が痛くなって、これは電波恐怖症のせいなのだと言い訳をした。


「それで電波ちゃん。アニメソングにはなれそうなの?」


 きっと、マイナス思考になってしまっているのが顔に出ていたのだろう。紫樹は気を遣うようにして、光磨ではなく電波ちゃんに話を振る。


「んー、わかんない」

「そっかぁ、なるほど。これは光磨が頭を抱えるはずだね」


 あっけらかんと笑う電波ちゃんを見て、紫樹はようやく光磨に同情するように苦笑した。

 電波ちゃんに対する苦労を理解してくれる人がいる。そう思うと心が少しだけ軽くなった気がした。


「だいたい何でアニメソングなんだろうね。光磨ってアニソン聴くイメージないけど」

「あぁ……。そうだよな。その話もしなくちゃいけないよな」


 言いながら、「ついにその質問がきたか」と思った。母親のこととか、アニソンに対してコンプレックスを抱いていることとか、菜帆の時と同じようにまた話さなくてはいけないということだ。憂鬱ではあるが、ここまできたら後には引けない。

 光磨は覚悟を決めて紫樹を見つめた。


「実は、俺の母親……もう亡くなっているんだが、奥野原浩美っていうアニソン歌手なんだ」

「…………え」


 告げた瞬間、顔面蒼白――とまでは言わないが、紫樹の顔が青くなっていくのがわかった。母親がアニソン歌手の奥野原浩美、という部分に興奮していた菜帆とはまったく逆の意味で動揺しているようだ。


「ごめんっ、僕……光磨のお母さんが亡くなってること、知らなくて……」


 紫樹は焦ったように頭を下げて、「ごめん」と何度も言ってくる。でも、不思議なことに光磨は冷静な気持ちになれていた。

 だって、知らなくて当然なのだ。電波ちゃん関連の話以前に、紫樹は光磨のことをまだそんなに知らないし、光磨も紫樹のことをまだそんなにわかっていない。


「母さんが亡くなったのは俺が二歳の頃のことだ。お前が気にするようなことじゃねぇよ」


 なるべく誤魔化さず、思っていることを正直に口にする。

 母親のことを話すのは別に苦ではない。むしろ話したいと思うのだ。菜帆以外にも味方ができたようで嬉しいし、向き合っていきたいと思う。

 母親がアニソン歌手ということと電波ちゃんは何か関係があるかも知れないということ。でも光磨はずっとアニソンから逃げてきて、今でもまだ後ろめたさを感じているということ。菜帆にも相談して、アニソンに対するコンプレックスをなくしたいと思っていること。

 気付けばすらすらと話すことができていて、光磨はふと気付く。


「なぁ、柚宮」


 未だ「大丈夫?」という不安そうな表情をしている紫樹に、光磨はぎこちなく微笑みかける。でも、言葉自体は自然と呟くことができていた。


「友達になってくれないか」


 ――おいおい、やめてくれよ。

 と、言ってしまってから思った。これは決して自分に対する突っ込みではない。確かに唐突すぎたとは思うが、如何せん枇々木光磨は不器用な人間だ。それは自分が一番わかっていることで、急に思い立って前に進もうとしてしまうのは許して欲しいと思うのだ。

 まぁ、それはそれとして。


「光磨……っ!」


 問題は紫樹の反応にある。

 心の底から嬉しそうに頬を朱色に染めながら、両手を胸の前で組んでいる――という、男にしては乙女すぎるポーズをしているのだ。

 男のは本当に存在するんだ……と改めて思ってしまう程に、紫樹は中性的な容姿をしている。今はむしろポーズも相まって女性に見えてしまう程だ。どちらにせよ、今の紫樹は夏奈子が振り向かないのが不思議なくらいに眩しく感じた。


「……そんなに喜ぶこと、ないだろ」


 光磨には眩しすぎて、ついつい視線を逸らしてしまう。

 紫樹は文芸部で出会った頃から「将来は小説家になりたい」と、自分の夢を声に出していた。女子とも普通に話しているし、むしろ「柚ちゃん」と呼ばれて小動物のように愛されている。なのに執筆する時の集中力は凄くて、心から物語を紡ぐのが好きなように瞳を輝かせているのが印象的で……。


「そう? 僕には、光磨だって喜んでるように見えるんだけど」


 楽しそうに笑う紫樹の笑顔も、やっぱり眩しくて仕方がない。

 でも、それでも、向き合っていきたいと思うのだ。


「ばっ、馬鹿言うんじゃねぇよ。だいたい男同士でなんだよ、気持ちわりぃな」


 相変わらず視線は逸らしてしまうし、まっすぐすぎる紫樹を見ているとついつい疲れてしまう。話は終わったと言わんばかりにチャーハンを掻き込むと、


「あー、そっか。その……穂村さん? のことも、今度で良いから詳しく教えてね。まさか男女で友情オンリーって訳じゃないんでしょ?」


 なんてことをニヤニヤしながら言ってくるものだから、ついついむせてしまった。慌ててお茶を飲みながら、光磨は紫樹を睨み付ける。


「お前は本当に……。そういう話好きすぎだろ。女かよ」

「え? ……あー……はは、うん」


 一瞬だけ、紫樹の笑顔がしぼんでいくのがわかった。眉にハの字にさせながら、緩く結んだサイドテールの先を弄っている。本人的には誤魔化しているつもりなのだろうが、見ているこっちが苦い顔になってしまう程にわかりやすい反応だった。

 確かに紫樹は中性的な顔立ちだが、逆に言えば整った容姿をしているということだ。恋愛的な話題が好きなところも言ってしまえばただの個性だし、別に気にすることはない。女かよ、というのはただの言葉の綾なのだ、と。

 簡単に口に出せたらどれだけ良いことか、と光磨は思う。

 向き合いたいから、もっと頑張りたい。でも慣れないことの連続でついつい口を噤んでしまい、口を開いたかと思えばため息を零してしまう。

 あともう一歩だけ進んでみれば良いだけなのに、自分が情けなくて仕方がなかった。


「ねぇ、光磨。僕のことも話してみたいんだけど……良いかな?」


 だから、紫樹に恐る恐る胡桃色の瞳を向けられた時、光磨の心は震えてしまった。頑張るのは自分だけじゃなくても良いのだと。自分が向き合おうと必死になっているように、紫樹も歩み寄ろうとしてくれているのだと。

 それが、嬉しくて仕方がない。


「……悪かった。女かよっていうのは、その……」

「表情でだいたいわかったから、大丈夫だよ。それで、駄目かな?」

「いや、お前のことも教えてくれると助かる。まぁ、その……交換条件ってやつだ」


 変に誤魔化した返事をすると、紫樹は「わかったよ」と弾んだ声を漏らす。まったくもってわかりやすい男だ、と光磨も自分の表情が緩んでいくのを感じた。


「僕がこんな性格になっちゃったのには、理由があるんだけどね」


 やがて紫樹は語り始める。

 文芸部としての紫樹しか知らなかった光磨にとっては、紫樹=プラス思考の塊だと思っている。いや、思っていた、と言った方が正しいか。

 だから、真面目に話し始める紫樹につられるように、真面目な視線を向けてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る