2-4 交換条件

「少しずつ、アニソンのことを教えてくれないか? 多分それが、電波ちゃんの解決に繋がると思うんだ」

「……無理はしてない?」

「無理なら電波ちゃんのことでとっくにしてるから、大丈夫だ。そ、それに……今は、味方だって思える人もいるからな」


 思い切り顔を逸らしながら、光磨は小さめの声で本音を伝える。

 ここにいる菜帆以外にも、紫樹と夏奈子の顔が思い浮かんだ。でも、味方だとはっきり思えるようになったのは電波ちゃんのおかげなのだろう。電波ちゃんがいなければ、こうして菜帆達と向き合うことはできなかった。


「枇々木くん。何か、凄く嫌そうな顔してるよ」

「複雑なんだよ。俺、自分のことをずっとリアリストだと思ってて、電波ちゃんのことがとにかく信じられなくて……。遭遇したばかりの時は、一刻も早く消えてくれと思ってた」


 なのに、蓋を開けてみれば助けられてばかりだった、なんて。自分が情けなくて、光磨は思わず大きなため息を吐く。


「ああ、悪い。最近ため息ばっかりだな……。と、とにかく進みたいんだ。だから頼む」


 苦笑してから、光磨は小さく頭を下げる。

 菜帆はすぐに頷いてくれた。優しげな琥珀色の瞳と右目のほくろを見ていると、荒んだ心が浄化されていくのを感じる。菜帆といると少しずつポジティブになれそうな気がするから不思議だった。


「俺もできるだけ穂村さんの夢に協力するから。何でも言ってくれ」

「……あ。じゃあ、枇々木くん。ちょっとこうしてみてくれる?」


 言いながら、菜帆は唐突に自分の前髪を上げる仕草をした。熱でも測るような姿に、光磨は一瞬ドキリとしてしまう。


「よくわからないが……こうで良いか?」


 じっと菜帆に見つめられてしまい、光磨は戸惑いながらも言われるがまま長すぎる前髪を上げる。すると、菜帆の表情は「そうそう!」と言わんばかりに花が咲いた。


「うん、やっぱり枇々木くんは前髪上げた方が良いよ!」

「い、いや……これ、穂村さんの夢と関係ないんじゃ」

「駄目……ですか?」


 何でこんな時に限って敬語が復活して、更には顔を覗き込むようにして上目遣いをしてくるのか。流石にあざとすぎるのではないかと思った。

 菜帆といえばクラスの中で目立たないタイプの人間だったはずなのに。そこから考えるとギャップが凄くて、光磨は無意識のうちに首を横に振ってしまった。


「いや、まぁ……でも何で急に」

「ずっと気になってたんだ、その前髪。目にかかっちゃってて、鬱陶しいでしょ? それに、それが原因で暗く感じちゃうと思うの」


 随分と正直な言葉をぶつけられてしまい、光磨は呆気に取られてしまう。

 確かに「鬱陶しそう」とか「暗く感じる」とかは誰もが思うことだろう。光磨も自覚していることだし、長すぎる前髪は他人の視線から逃げるためのものだ。菜帆や紫樹と向き合った今、前髪を変えることは何かの一歩になるのかも知れない。


「電波ちゃんの問題を解決するための第一歩、みたいな。どうかな?」


 すると、菜帆に心を見透かされたような言葉を告げられてしまった。咄嗟に「マジかよ」と思った光磨の顔は、きっと無意識に笑ってしまっていたのだろう。


「あれ、もしかして枇々木くん……意外と乗り気?」

「どうだろうな。急に前髪を上げて登校するのは流石に無理だが……たまになら、まぁ」


 言いながら、尚も自分の口角がつり上がったような気がした。楽しげに微笑む菜帆の黒縁眼鏡越しの瞳を見つめて、光磨は言い放つ。


「この際だから、穂村さんもコンタクトにしてみたらどうだ?」

「えっ!」


 いわゆる、交換条件というやつだ。

 不意を突かれた菜帆は、目を丸々とさせて一気に頬を赤らめる。予想以上の反応に、光磨はやり返すことができたと満足する。


「だっ、駄目だよ! 眼鏡は私のアイデンティティ……だから!」


 両手でガッチリ眼鏡を押さえ付けながら、若干涙目で光磨を睨み付けてくる。一瞬だけ「可愛い……」と心の中で呟いてしまってから、光磨は我に返った。


「わ、悪かった。俺の前髪と比べたらだいぶハードルが高いのはわかってたから、冗談だよ」

「……ほくろ」

「はい?」


 俯きながら、菜帆はぼそりと呟く。

 はっきりと「ほくろ」とは聞こえたがそれだけでは意味がわからず、光磨は聞き返してしまう。菜帆はすぐに意を決したように光磨を見つめた。


「右目の……泣きぼくろ、なんだけどね。ちっちゃい頃にからかわれて、今でも何か恥ずかしくて……。眼鏡で誤魔化してるの」


 言って、菜帆はまた目を伏せる。

 顔は湯気が出そうな程に赤くなっていた。きゅっと身体を縮こまらせている菜帆の姿は、まるで子犬のようだ。思わず、光磨は笑ってしまう。

 きっと、菜帆としては「気にすることないだろ」などと励まして欲しいのだろう。だから光磨も遠慮なく本心を伝えた。


「別に気にすることないぞ。だいたい、眼鏡で誤魔化せてる訳でもないし」

「……え……?」

「何つーか、もっと自分に自信を持った方が良いんじゃないのか」


 まぁ、俺も人のことは言えないが。と付け加え、光磨は苦笑する。

 でも、これが嘘偽りない本音だった。菜帆は愛らしくて、真面目で、優しくて、明るくて、夢にまっすぐで――自分なんかがその事実を知って良いのかと思うくらい、眩しい存在だと思った。だからこそ、もう限界だったのだ。


「と、とにかく。これからよろしく頼む。電波ちゃんのこととか、アニソンのこととか」

「……あっ、う、うんっ。よろしくね、枇々木くん」

「ああ、また学校で……その話をするのは無理だな。ええと……ま、また、連絡をする、から……う、うん。そういうことで」


 気付けば、光磨はありえない程挙動不審になっていた。でも、これは仕方のない話なのだ。照れた様子の菜帆を目の当たりにして、意識するなという方が無理な話である。決して自分が慣れていないからとか、そういう理由じゃない。光磨は必死に言い訳をして、席を立った。


「じゃ、じゃあ。今日はこの辺で…………あ」


 しかし、ギリギリのところで光磨は気付いた。光磨は菜帆に言ったのだ。「コンタクトにしたらどうだ?」とか、「気にすることないぞ」とか。まるで眼鏡をやめてコンタクトにしろと強制しているような言い方。このままでは駄目だと光磨は急に思い立った。


「こっ、コンタクト云々は、本当に冗談だからな。俺は普通に、眼鏡が似合ってるって思うから……変に捉えなくて良いからな」


 本当は、言うだけ言ってすぐに立ち去りたかった。でも、心の底から嬉しそうにニコニコと笑う菜帆から目が離せなくて、身動きが取れない。


「枇々木くんって、すっごく優しい人なんだね」


 ブラウスの袖を引っ張りながら、菜帆はぼそりと呟く。「優しい」なんて人から言われたのは、もしかしたら初めてのことかも知れない。菜帆の言葉に上手く反応できずに固まったまま、光磨は「そりゃあ人と接してなかったんだから当たり前か」と自嘲した。


「……悪い。色々と慣れてねぇんだ。たまに変なことを言うと思うが気にしないでくれ」


 正直すぎる言葉を零しながら、光磨は力なく笑う。せっかく褒めてくれているのにその反応はないだろうと自分でも思った。心の中で「お礼の一言でも言えよ!」と自分を叱咤し、どうにかして菜帆を見つめる。


「枇々木くん、さっきからずっと頑張ってるでしょ?」

「え……あ、いやその」


 的確なことを言われてしまい、光磨は口ごもってしまった。相変わらず、菜帆は笑顔だ。


「ふふっ、私もそうだよ。二人きりなんて緊張しちゃうし、私だって慣れてないからさっきから必死なんだ」


 言いながら、菜帆はまた袖を引っ張る仕草をする。もしかしたら、勇気を出そうとする時の癖なのかも知れない。


「……アニソン歌手になりたいって夢のこと。一人でひっそりと夢見てただけだったけど、枇々木くんに話してもっと頑張りたいって思った。だから、こちらこそよろしくね、枇々木くん」


 言い終わると、菜帆の笑顔は温かいものへと変わった気がした。今までずっと、緊張が混ざった表情だったのだろうか。そう思うくらい、今の菜帆は自然に見える。


「さてっ、長くなっちゃったね。帰ろうか」


 菜帆の言葉に、光磨はただ頷くことしかできなかった。

 今までずっと気を張っていたから、早く帰りたいと思っていたはずなのに。なんとなく名残惜しいと感じてしまうのは、もっと菜帆のことを知りたいと思っているからなのかも知れない。なんて恥ずかしいセリフは流石に本人には言えないが、とにかく菜帆と接しているのは決して苦ではないのだ。


 ――菜帆は光磨の光になる存在。


 その意味は、もしかしたら恋愛的な意味なんじゃないかと光磨は思わず錯覚してしまう。でも、光磨は人と接すること自体避けてきた人間だ。いきなり恋だ愛だと言われてもわからない。いや、誰にも言われた訳ではないし、ぐるぐると思考が巡っている時点で何かが始まっているのかも知れないが。


「……穂村さん、か」


 菜帆と別れたあと、光磨は自然と名前を呟く。

 電波ちゃんのことやアニソンのこと。様々な問題の中に新たな問題が芽生えてしまったような感覚。でも、これは決して嫌な感情ではないな、と思う光磨だった。

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