2-3 光磨にとってのアニソン

 ――私、アニソン歌手になりたいんだ。


 恐る恐る発せられた言葉に、光磨は妙に納得してしまった。

 光磨の音楽プレイヤーを見て「アニソンが好きなんですか?」と声をかけてきたり、「アニメソングが大好きなんだ」と何の迷いもなく呟いたり。菜帆のアニソン愛は語らずともばしばしと伝わっていた。だから、菜帆自身がアニソン歌手になりたいと思っている可能性もあると思っていたのだ。

 菜帆は小学六年生の頃からアニメとアニソンが好きで、歌うことはもっと前から好きだったという。小学生の卒業アルバムにはすでに「将来の夢:アニソン歌手」と書いていて、今は毎週一人カラオケに行って特訓をしているらしい。まだ数は少ないが、三つ上の兄とともに何度かライブにも行ったことがあるようだ。


「もう本当にね、曲の格好良さとか楽しさはもちろんなんだけど、周りの一体感が本当に凄くてね……!」


 最初は照れていた菜帆だったが、徐々にアニソン大好きモードに火が付いたらしく、止まらなくなっていた。本当にアニソンが好きなのだという気持ちがひしひしと伝わってきて、光磨は思わず苦笑してしまう。


「あっ、ご、ごめんね。こういうの語れるのって家族以外にいないから、ちょっと熱くなっちゃった。オタク趣味の友達がいなくてね……へへ」


 光磨と目が合うと慌てて弁解をする菜帆。

 でも、瞳は変わらずキラキラと輝いて見えた。


「私って目立たないタイプだから、信じられないかも知れないけど……。これが本当の私の姿なの。面倒臭かったらごめんね」


 言いながら、菜帆は申し訳なさそうに苦い笑みを零す。それでも光磨にとっては、目の前にいる菜帆が眩しくてたまらなかった。表情も、言葉も、何もかもがまっすぐで、光磨の心は何故か痛みを覚えてしまう。


「面倒臭いとか、そんなこと思わねえよ」


 上っ面の言葉を漏らしながらも、光磨の頭はぐるぐると渦を巻いた。やがて話題を変えるように、ずっと内に秘めていたことを言い放ってしまう。


「あー……。そういえば、言い忘れてたことがあったんだが。実は、俺の母親……もういないんだけど、アニソン歌手なんだ」

「…………ほぇ」


 いくら何でも唐突な告白すぎただろうか。

 菜帆から感じられた眩しさが一瞬だけ消え、動きまでもが止まってしまう。瞬きすらも忘れているのではないかという程にガン見され、口はわかりやすくポカンと開いてしまっている。


「も、もも、もしかして……!」


 と思ったら、輝きはすぐに戻ってきた。

 前のめりになって爛々とした瞳を向けてくる菜帆は、きっと一つの可能性に辿り着いたのだろう。光磨は逆に冷静になりながら、頭を掻く仕草をする。


「奥野原浩美っていうんだが、知って……」

「知ってる! 知ってるよ枇々木くんっ」

「お、おう、そうか」


 知ってるか? と訊ね終わる前に即答されてしまい、光磨は思わず微妙な返答をしてしまった。引いているという訳ではなく、「だろうな」という気持ちが大きかったのだ。高校に入学して間もない頃に「アニソンが好きなんですか?」と菜帆に言われたあの時。光磨の音楽プレイヤーの中には奥野原浩美の名前があった。光磨が唯一音楽プレイヤーの中に入れているアニソン歌手だが、一応入れているというだけで一度も聴いたことがない。

 テンションが上がっている菜帆を見ていると、妙な罪悪感が襲ってしまうのだ。


「奥野原さんって言えばアニソン業界の中心人物だもん。知らない訳ないよ!」

「……でも、母さんはもう亡くなってから十年以上も経ってるんだぞ。俺も穂村さんも二歳くらいの時にはもういないのに、知るきっかけなんて」


「そんなの、いくらでもあるよ」


 さらりと、何でもないことのように菜帆は言い放つ。

 今度は自分が驚く番だった。きっと、さっきの菜帆と同じように口が開いてしまっているのだろう。ふふっ、と小さく微笑んでから、菜帆は言葉を続けた。


「アニメだってアニソンだって、いつでも知ることはできるんだよ。心に残る程好きになれば、古いとか新しいとか関係ないんだよ」


 心から楽しそうに言葉を紡ぐ菜帆の姿を、光磨はまともに見ることができなかった。


「そういうものなんだな」


 という他人事のような言葉を呟くだけで、何かから逃げるように俯いてしまう。アニソンに対してまっすぐで、大好きだと迷わず言うことができる菜帆を見ていると、心がざわざわして落ち着かない。


「ねぇ、枇々木くん」


 光磨の不安定な気持ちが表情に出てしまっていたのか、菜帆は遠慮気味に声をかけてくる。慌てて背筋を伸ばすと、光磨は自然と愛想笑いを浮かべてしまった。「ああ、何だ」と何でもないように返事をすると、菜帆は少しだけ考える素振りを見せてから言う。


「お母さんがアニソン歌手……ってところが、電波ちゃんに関係してるのかな?」


 ――ああ、やっぱり。

 菜帆の言葉を聞いた途端に、光磨は妙に納得してしまう。

 電波ちゃんに遭遇して、「アニメソングになりたいの!」と言われた時、光磨も瞬間的にそう思った。電波ちゃんが光磨の元に現れたのは、亡くなったアニソン歌手の母親が関係しているのではないかと、確かに思いはしたのだ。でもその時は「アニメソングになりたい」が意味不明すぎて、頭を抱えることしかできなかった。


「いや、そんなのは言い訳か……」

「枇々木くん?」


 思わず独り言を漏らしてしまうと、菜帆は当然のように不思議そうな顔をした。光磨は弱々しい笑みを零し、まるで息を吐くように言い放つ。


「穂村さん、悪い。実は俺、アニソンが苦手なんだ」


 菜帆に対しても、自分に対しても、もう隠すことはできないと思った。

 枇々木光磨はアニソン歌手の母親がいるにも拘らず、アニソンが苦手だ。何曲か聴いて苦手だと感じるとか、アニメを観ている時にOPやEDから目を逸らしてしまうとか、決してそういう訳ではない。

 むしろ、それ以前の問題だと言った方が良いだろう。自分の母親である奥野原浩美の楽曲でさえ、聴こうと思うと何故か恐怖が襲って聴くことができないのだから。


「俺……ずっと、アニソンから逃げてきたんだ。いつでも知るっていう行為はできたはずなのに、目を背けてきたんだよ」


 言って、光磨はまた苦い笑みを零す。

 菜帆に対する申し訳ないという気持ちが止まらない。今は電波ちゃんがきっかけでこうして話せるようになったが、入学当初は「そんなの関係ないだろ」と冷たい言葉をぶつけてしまったのだ。もうその話は済んだはずなのに、苦しい気持ちが戻ってきてしまった。


「枇々木くん、大丈夫だよ。あの時からずっと、なんとなく察してたから。そんなことより、本音を言ってくれて嬉しいなって感じだよ」


 まるで光磨を励ますように、菜帆は照れ笑いを見せつけてくる。それでも申し訳なく思ってしまっていると、菜帆の眉毛はだんだんと下がってしまった。


「枇々木くん。今は知りたいって、思う?」


 そして、恐る恐る訊ねられてしまう。

 光磨の答えは、


「知らなきゃいけない、と思う」


 だった。

 知りたいじゃなくて、知らなきゃいけない。純粋な興味から湧き出る気持ちではなく、いい加減進まなくてはいけないという強制的な気持ちだ。今思えば、電波ちゃんに対する異様な拒否反応、頭痛、吐き気……その一部はアニソンに対する恐怖感が混じっていたのかも知れない。

 何で自分がここまでアニソンに対してコンプレックスを抱いてしまっているのか。電波ちゃんの「アニメソングになりたい」を叶えられたら何かがわかるかも知れない。でも、だいたいどうすれば電波ちゃんをアニソンにできるのかがわからなくて、頭を抱えて――と、このままではループしてしまう。


 だから、そろそろ頑張らなくてはいけないと、光磨は思っていた。

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