第11話 トゥエルブについて

 その後、竜司は帰宅してから夕食時も入浴時もとあることを考えていた。

 もちろんトゥエルブについてのことである。


 十二人分の霊核を持っていることをはじめ、霊体であるにもかかわらず竜司を殴り飛ばしたり、果ては逃げ場がなかったはずの包囲陣形から逃げおおせるなど、謎はあまりにも多過ぎた。


 それにあれだけの強さを持っている悪霊であれば、この町で変死体事件がいくつかあってもおかしくはないだろうし、そうなれば霊気に敏感な竜司が悪霊の気配を見逃すはずがない。


 だが今までそんな様子は一切なく、トゥエルブは竜司とゼロだけを攻撃対象として認識していた。

 攻撃の判断基準はなんなのか? そんなことを考えていると、色々と見えてくるものがあった。


 〜〜〜〜〜〜


 まずは十二個の霊核を持っていることと、竜司とゼロを攻撃してきた理由だ。この二つはおそらく関連付いている。


 トゥエルブはとりわけ霊能力者、少なくとも霊を観測できる者だけを攻撃対象と見ていた。竜司は霊眼によって、ゼロはおそらく霊視によってトゥエルブを認識できていた。


 ちなみに霊視というのは、霊眼とは異なり後天的に霊を見られるようになること。霊力を鍛えることで霊を見るための視力が上がる、ゆえに霊視と呼ばれているのだ。

 もちろん霊体の奥まで見通せる霊眼と比べてしまえば劣るが、ただ見るだけならば霊視でも問題はない。


 話を戻すが、ここに理解への糸口があった。霊能力者をそうだとわかって攻撃してくるということは、トゥエルブの主人格となった人物は霊能力者に恨みを抱いて亡くなったということでもあるだろう。


 そして亡くなった直後であればまだ正常な判断ができるだろうから、こう考えたはずだ。

(このまま奴に向かって行っても、ただの悪霊であればすぐに除霊されてしまう。力を蓄えなければならない)

 というように。


 だからこそ他の悪霊を喰らい、無理やりにでも己の霊力量を増やしたのだろう。

霊体は実体ではないから、自己と他者の境目がひどく曖昧だ。だからこその芸当ではあるが、自分と他人がぐちゃぐちゃに混ざり合うことがどれだけ危険なことかは最早言うまでもない。


 であるがゆえに、竜司はこれまでそんな悪霊に出会ったことがなかったのだ。いくら怨念に精神を汚染されたとはいえ、自身を危険に晒す行為をするわけがない。


 そういった部分を無視して、悪霊喰らいを何度も繰り返して、十一人もの霊核を取り込んで、それでもなお霊能力者に対する強い敵意だけは失わなかった。

 どれだけ他人の怨念と混ざっても、霊能力者という存在を恨み続けていた。トゥエルブが相当な憎しみを抱いていただろうことがうかがえる。


 トゥエルブの生前には同情を禁じ得ないが、ともかくこれが十二個の霊核を持っているからくりだろう。もちろん仮説にしか過ぎないが、的外れな考えとまではいかないと考えている。



 そして次に、竜司を殴り飛ばしたり包囲陣形から抜け出した謎についてだが、こちらは仮説などではなく事実であろう結論へ辿り着くことができた。


 まず前提として、超能力というものが霊能力の延長線上にあることは知っているだろうか。


 例として、霊媒師もしくはイタコなどと呼ばれる人は幽霊の声を聞くことができると言われているが、ここに疑問を感じたことはないだろうか。

 なぜ肉体を失い、喉や口といった発声器官もなくしたはずの幽霊が話せるのか? 霊媒師はなぜその声を聞くことができるのだろうか? と。


 普通ならそこに首を傾げるところだが、この事象に超能力の一種である精神感応テレパシーを当てはめると簡単に説明がつく。

 実際に声を出す必要のない精神感応テレパシーならば、幽霊と意思の疎通が取れてもなんら不思議ではない。


 このように幽霊が起こすとされる現象は、超能力で説明がつくことがままある。


 ポルターガイストと呼ばれる怪奇現象は、悪霊が念動力サイコキネシスを使用することで起きるし、幽霊が出ると言われる場所で度々たびたび目撃される鬼火おにび現象やウィル・オー・ウィスプなどは発火能力パイロキネシスが原因だ。


 こうしたことからわかる通り、超能力とは霊体に眠った力であり、霊力を消費して引き起こされる超常現象なのだ。

 霊能力も超能力も本質的には全く同じ。


 そしてこれこそが、トゥエルブの謎を解く鍵となる。

 まずはトゥエルブが包囲陣形から逃げることができた理由だが、これは単純明快だ。霊力を纏った籠手に触れずに脱出したところを見て、間違いなく瞬間移動テレポートだろう。


 竜司自身初めて瞬間移動テレポートを目撃したが、あの奇妙な霊力の動きはその前兆だったのだ。もし移動距離が短かったなら、竜司の霊眼を駆使して追いつくこともできただろうが、今はそれは置いておく。


 次に実体のないはずのトゥエルブが、殴る蹴るなどの物理的な攻撃を可能としていたことについてだが、これは念動力サイコキネシスによるものと推測される。


 念動力サイコキネシスといえば、触れずに物を操る能力。言い換えれば、接触を必要としない物理的な干渉ができる力だ。

 竜司を吹き飛ばしたことから考えて、これしかあり得ないだろう。


 だが本来の念動力サイコキネシスというのは、格闘技のような動きを必要としないはずだ。竜司の霊穿を喰らうリスクがある接近戦に、わざわざ持ち込む意味がない。


 それに百の籠手ハンドレッド・ガントレッドの攻撃を受けている時になぜ使わずにいたのか。念動力サイコキネシスは中・遠距離での攻撃が可能なはずなのに。


 これには簡単な答えがあった。

 霊能力や超能力というものは、思念を必要とするという特徴がある。念力や念話といった言葉があるように、念じること、頭の中で考えることが重要なのだ。


 要はイメージが動力源となって、念動力や瞬間移動ができるという仕組みだ。

 その点を鑑みればトゥエルブは十二人分の怨念が混ざり混ざってしまい、正確に超能力を扱うことが困難なのだろう。


 その解決策が接近戦というわけだ。殴ればダメージを与えられるという、生前の常識にのっとった動きを行うことで相手を吹き飛ばすイメージが明確になり、念動力を発動させている。


 本来は念じることですぐさま敵を攻撃できる念動力だが、十二個の霊核を有し、莫大な霊力量を得た代わりに、体を動かすという無駄なプロセスを挟まなければいけなくなった。


 物理法則に囚われないはずの幽霊が、物理の常識に基づいた動きをしなければ超能力を使えないとは、なんとも皮肉が効いている。


 そしてそういった事情のせいで、他者の思念が邪魔をしない状態、つまり残りの霊核が一つになった時にしか瞬間移動テレポートは使えない。



 とりあえずはこれでトゥエルブに関する謎は解消された。

 竜司はこれらの事を踏まえた上で、トゥエルブを成仏させるために作戦を考える。


 トゥエルブの霊能力者に対する執着心を考慮すれば、霊力を回復させた後に必ず再戦することになる。

 今日と同じ方法では、また瞬間移動テレポートで逃げる隙を与えることになってしまうだろうから、違う戦い方を考えなければならない。


 就寝前にもそんな風に思考に没頭していた竜司は、翌日見事に寝不足になってしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る