第10話 百掌一気

 奇跡屋を出るとそこは暗闇の中。竜司は臆することなくもう一歩踏み出した。


 瞬間、突如として現れた光が竜司の目に飛び込んでくる。何度か体験してはいるが、やはり今回も著しい明暗の差にかなわず目を細めた。

 奇跡屋は掛け値なしに素晴らしい店だとは思うが、どうにもこれだけは慣れそうにはない。


 そんな思考もそこそこに、竜司の感覚は一つの危機を察知する。

 莫大とも表現できるほどのどす黒い霊力。それは同時にいくつも積み重なった悪霊の怨念でもある。


 細めていた目をしっかりと開くと、そこには異常な霊力量で以って己が存在を主張する悪霊「トゥエルブ」が堂々たる立ち姿を見せていた。


 足裏に伝わるのは硬いアスファルトではなく、柔らかな草の感触。周囲をざっと見渡せばところどころの草は抉れ土は露出し、一本の大きな樹木は中ほどでへし折れている。


 どうやらゼロの言っていた通り、竜司たちがいた場所へと戻ってきたようだ。暮れてゆく光を見るに時間のズレも無さそうに見える。


 トゥエルブからすれば目の前にいた人間がいきなり消え、数秒と経たずにまた現れたようにしか見えないだろう。

 一般人の思考回路ならばこの状況に驚愕するところだが、あいにくとトゥエルブは悪霊、そんなものは持ち合わせていない。


 あるのはただ、生者に対する怨念のみ。

 それを証明するかのように、トゥエルブは竜司を睨みつける。全身が黒く、どこに目があるのかもわからないが、そう表現するのが適切だろう。


 命の危機を感じるほどの相手に明確な敵意を向けられた。だというのに、頭蓋を砕かんと迫る黒い拳がフラッシュバックすることはなく、それどころか竜司は不敵な笑みを浮かべてみせる。


「さあ、第二ラウンドといこうじゃねえか」

 その発言がゴングとなった。


 先に動いたのはトゥエルブ。彼我の距離など存在しないかと思うほどの速さで近付き、右の拳を振りかぶる。

 このままでは刹那の後、竜司の命が凶弾によって撃ち抜かれてしまうだろう。しかしそれは、


「《百の籠手ハンドレッド・ガントレッド》」

 少し前の竜司だったら、という仮定に過ぎない。


 呼び出したるは武士の籠手、総数百もの手の軍勢。

 召喚された兵士たちは主人を守らんと壁を成し、ガツンと硬質な音を奏でながら迫り来る凶弾を防ぎきった。


 竜司の霊力を纏った籠手はトゥエルブの一撃を受け止めても消滅することはなく、黒拳を防いだことを誇るかのごとく堂々としている。


 これにはたまらずトゥエルブも後退する。するとそれを見た竜司が、

「やられっぱなしじゃいられねえって言ったろ?」

 とまるで挑発するように言った。


 両者の距離ができた隙に、竜司は籠手を融合させ総数を五十に減らす。

 一対の籠手を自分の両腕に装着して、浮遊する二十四対の籠手はトゥエルブを睨みつけるように周囲を囲んだ。


 さしものトゥエルブといえど、ゼロの時とは異なり破壊できない籠手に囲まれてしまうと困惑するのか、自身を囲む百の籠手ハンドレッド・ガントレッドを前にして動くこともできずにいる。


 トゥエルブをその場に釘付けにする弾丸は、射出の時を今か今かと待ち侘びているようにも見えた。


「行け!」

 そんな静寂を竜司の声が破いた。複数の籠手が我先にとトゥエルブに殺到する。


 しかしそれは同時に包囲が崩れるということでもある。

 トゥエルブは迫る籠手を腕で弾き、足で蹴飛ばし、時にはするりと避けると、続けざまに包囲から抜け出し竜司へ接近する。


 やはりトゥエルブの狙いは接近戦。奴にとっての必殺の間合い。

 本来ならば望ましくないはずの距離感だが、竜司は笑みを浮かべてみせた。

「おっしゃ来い!!」


 トゥエルブが右拳を振りかぶり、竜司は鏡像のように左拳を勢いよく突き出す。必然、衝突する両者の拳。


 その瞬間、落雷に等しいほどの衝撃が周囲の空気を震わせた。


 そして二人の拳は激突したことを忘れたかのようにその場に佇む。

 竜司の長身を殴り飛ばすほどの威力を誇ったトゥエルブの打撃は、竜司の拳で完璧に打ち消されていた。


 これが百の籠手ハンドレッド・ガントレッドを装着した竜司の実力。もはやこの間合いはトゥエルブのものではなく、両者の打撃の威力は拮抗していた。


「オラァァァ!!」

 響き渡る咆哮、そして始まる攻防。


 竜司とトゥエルブの拳が織りなす、超至近距離での戦い。超常の力を有する者たちのそれは、一種の芸術作品のようですらあった。


 竜司が右手の突きを繰り出せば、トゥエルブは身をよじってかわし反撃の裏拳を見舞おうとする。当然竜司は無抵抗でやられるわけもなく左手で裏拳を受け止め、引き戻した右拳でアッパーカットを放つ。


 竜司の攻撃、それも百の籠手ハンドレッド・ガントレッドを装着したことで力を増しているのがわかっているからこそ、トゥエルブはすんでのところで回避して一度距離をとった。


 しかしそうなれば竜司は浮遊状態の籠手を操作する余裕ができる。中距離での攻撃手段を持たないトゥエルブは防戦一方になる。


 前から後ろから、そして左右から襲いかかる百の籠手ハンドレッド・ガントレッドの猛攻をかわし、一瞬の間隙を突いて再度竜司に接近してきた。


 再び交わる拳。衝撃が骨を叩くようだ。


 息もつかせぬ攻防。瞬きも許されない速さに目がくらんでしまいそうで、竜司は思わず顔をしかめる。

 ドクンドクンと早まる鼓動すらも遅く感じる。一つの脈拍を数える間に五つの行動が終わっている高速戦闘。互いが互いを倒し得る一撃を有し、ほんの少しのミスで命を落としかねない戦いの中で、ついに竜司が活路を見出す。


 それは凄まじい速度で繰り出されるトゥエルブの右足での蹴り。拳が効かないならもっと威力の高い蹴りで決着をつけようと考えたのだろうか。

 拳より速く、拳より重い攻撃。見ただけで伝わってくる脅威の回し蹴り。


 もしも当たれば頭部が失われるだろうことは想像に難くなく、黒い足がまるで死神の鎌のようにすら思えてしまう。


 間違いなく死をもたらす一撃。高速で迫る死への片道切符。けれど竜司はそれに、

「待ってたぜ、この一撃を!」

 不敵な笑みで以って応えた。


 命を刈り取るために振るわれたトゥエルブの黒い鎌を、竜司の霊眼はしっかりと捉え、軌道を予測していた。

 そしてその特異な目に応えるのは肉体。軌道に立ち塞がるのは竜司の両腕。


 ガキィンと鋼が打ち合う音が竜司の鼓膜に突き刺さる。

 しかし竜司が浮かべたのは音に対する不快そうな表情ではなく、不敵な笑み。


 なぜなら彼の目の前には、蹴りを防がれ大きく体勢を崩したトゥエルブがいたのだから。


 普通の籠手では不可能だっただろう。ただ腕がへし折れておしまいだ。

 だが今の竜司は、融合させて強度が上がった百の籠手ハンドレッド・ガントレッドを腕に装着している。


 わざわざ操作できる数を減らしてまで着けていたのはこの時のため。

 そして、体勢を崩したトゥエルブに打ち上げるような右拳をお見舞いした。


「喰らえ!!」

 百の籠手ハンドレッド・ガントレッドによって力が上がったせいか、トゥエルブが上空へと吹っ飛んでゆく。


 やっと一撃を喰らわせられたかと思ったが驚くほど手応えはない。あの重すぎるほどの手応えがない理由を探すと、すぐに一つの可能性に思い至る。


 今まで地上で戦っていたせいで理解しづらいが、トゥエルブは霊体であり、実体はないのだ。つまり幽霊は重力という物理法則に囚われることはない。

 おそらくは竜司の霊穿が当たる寸前に自ら浮遊し、空中へ逃げたのだろう。


 その証拠に霊核も一つとして弱まっていない。

(あわよくば今ので、と思ったが……まあいいか……)

 随分と上空へ行ってから、トゥエルブは体勢を整えこちらを見下ろしてくる。


 先ほどの竜司の反撃がうまくいかなかったことを嘲笑ってでもいるのだろうか。それとも百の籠手ハンドレッド・ガントレッドによる攻撃が一旦止まったことに安堵しているのだろうか。


 もしそうだとしたら、竜司はなんと悠長なことかと思わずにはいられない。

 なぜなら。


「俺の狙いは、この状況だぜ!! トゥエルブ!!」

 そう、竜司の目的はトゥエルブの接近でも、ましてや先ほどの反撃でもない。

 先ほどまでの一連の流れはただの準備に他ならない。全てはこの状況を作り上げるため。


 空中は竜司のいる地上と違い、周囲に障害物がない。つまり数を半分に抑えておく必要がないということ。


 そしてトゥエルブは知らない。

 百の籠手ハンドレッド・ガントレッドの射程範囲を。


「包囲陣形」

 その声が合図となり、すでに分離し百個に戻った籠手がトゥエルブを取り囲んだ。

 前後左右、そして上下。全ての方向を百の籠手ハンドレッド・ガントレッドが埋め尽くし、逃げ場をなくす。


 はたから見れば宙に浮かぶ不思議な球体オブジェだ。しかしその実態はトゥエルブを除霊するために編み出した必勝の陣形。

 つまりは……


「これで……終わりだ!」

 発射の許可を得た籠手の弾丸たちは、包囲を維持したまま攻撃を開始した。


 そこからはもはや一方的なものであった。

 トゥエルブがいくら弾こうとも避けようとも、そこは竜司の手のひらの上。一時的な気休めにしかならない。


 たとえどれほどの霊力を保有していても、全方位からの霊穿をしのぎ続ける術はなかった。

 その上、一発、また一発と命中するたびに霊核は弱まりトゥエルブは霊力を失っていく。融合を解いたから一発の威力は落ちてしまったが、それでも充分すぎるほどの攻撃力を維持している。


 竜司としても数を元に戻して霊力を注いでいる分、消耗も二倍になるがこの状況に持ち込んだ時点で勝ちは見えている。ならば除霊までは時間の問題だと確信していた。


 だがそれは、トゥエルブを倒すまで竜司の霊力が尽きなければ、という条件の上に成り立っている。そこが一番の問題点だった。


 上述したように百の籠手ハンドレッド・ガントレッドをそのままの数で霊力を纏わせるとなるとかなりの負担になる。

 有り体に言えばゴリゴリと霊力が削られていくのだ。


 百の籠手ハンドレッド・ガントレッドを維持できるタイムリミットが、刻一刻と迫ってきているという実感が堆積たいせきしてゆく。

 腹の底から噴出するような焦燥感が、竜司の思考を乱そうとしてくる。トゥエルブが籠手を避け、弾くたびにその感情は肥大する。


 現状を見れば、竜司がトゥエルブの生殺与奪の権を握っているようにしか見えないだろう。

 だがもしも竜司の霊力が先に尽きてしまえば、状況は一変する。その先に何が待ち受けているかは想像に難くない。


 つまりこれは竜司とトゥエルブ、どちらが先に限界を迎えるかという勝負に移行したのだ。

 攻める竜司と守るトゥエルブ。一方的なようでいてその実、互いの一挙手一投足が相手の霊力を削り取る。


 汗が頬を伝い落ちてゆく。その一瞬すらも長く感じるほどの戦いの中で、ついに変化が訪れた。


 先に限界を迎えたのはトゥエルブの方だった。はっきりとわかるほどに動きのキレが落ちている。

 霊穿を一発食らうたびに霊核が弱まり、それに伴って霊力量がごっそりと減ってしまうせいで、突然ガタが来たロボットのように動きが鈍くなっていた。


 残りの霊核は三つだけ。竜司はここが正念場と気合を入れて、三個の籠手を射出する。


 一発目はトゥエルブの左脇腹のあたりに直撃し、黒い体がグキッと折れ曲がる。二発目は右側頭部へ着弾、もはや体勢をなおすことすらできないのか、完全に力の入っていない状態だった。


 残る霊核は一つのみ。三発目の籠手は狙いあやまたずトゥエルブの胸部へ最後の一撃をもたらす。

 竜司は勝利を確信し、内心ガッツポーズを取っていた。


 だが、まさに勝負が決するその刹那。トゥエルブの霊力が奇妙な動きを見せた。

 まるで磁石へ吸い寄せられる砂鉄のように、黒い体から伸びた霊力は一つの方向を指し示す。


 そして次の瞬間、忽然とトゥエルブの姿は消え百の籠手ハンドレッド・ガントレッドの正拳突きは空を切った。必中を確信した、絶対に避けられないはずの最後の一撃が、だ。


「なっ……!?」

 驚愕を隠せなかった。たとえ消耗が激しくとも、百の籠手ハンドレッド・ガントレッドによる包囲は崩してはいなかった。


 霊核が一つだけの状態で包囲陣形を無理に通り抜けようとすれば、霊力を纏った籠手に激突してそのまま成仏するだろうが、そんな様子も見られない。


 しかしそんな竜司の思考を置き去りにして、特異な瞳はすでに答えを見つけていた。視界に入ったのは一本の線。

 黒い尾を引く霊気が、はるか遠くまで伸びてその痕跡を残している。


 竜司はその霊力線からトゥエルブの気配を感じ取る。どんな手を使って包囲を抜けたのかはわからないが、おそらくこの先にトゥエルブがいるのだろう。


 半ば確信めいた考えが頭をよぎるが、細い霊力線はすぐにプツリプツリと途切れて霧散してしまう。

 これでは追いかけることはできない。だがまあ、あれだけ遠くにまで伸びた霊力の痕跡を追い続けるなど土台無理な話だった。


「クソッ……!」

 しかしその事実をすぐさま飲み込めるかと言われれば当然そんなことはなく、竜司は悔しさを吐き捨てるように呟く。


 悔しさの理由、それはトゥエルブをみすみす逃してしまったことではない。勝利を確信しておきながら除霊できなかったということが、なによりも口惜しい。


(何してんだ、俺は……!)

 というのも、悪霊は生前の善悪に左右されない。

 死の間際に強い負の感情を抱いてしまえば誰もが悪霊となり得る。そう、たとえ多くの人に愛されるような善人だったとしてもだ。


 そして悪霊は現世に留まり続けることで憎む対象が曖昧になり、やがて生きる者全てを呪ってしまうようになる。

 それは本人の望む望まざるとに関わらず、時間経過によって必ずそうなってしまうのだ。


 たった一人の人間を呪っていたとしても、悪霊となり復讐を果たしたとしても、現世にしがみつく怨念によって黒く染まった霊力が、やがて自分自身の意識すら汚染してしまう。


 これらを加味して悪霊という存在を表現するならば、怨念という強い感情に囚われた被害者であるとも言えるのだ。そんな彼らを成仏させてあげられるのが、竜司のような霊能力者である。


 だというのに自分はその機会を逸してしまった。その認識が頭をよぎるたびに自責の念が重量を増してゆく。


 だがいくら考えたところで過去に戻ることができるわけもない。

 後悔先に立たず。加えて霊力が底を尽きてしまう寸前なのも事実で、今はなにより帰宅することが最優先だ。


 そう踏ん切りをつけて竜司は帰路につくが、胸にあるわだかまりが消えることはなく、疲労感と比例するように足取りも重くなってしまう。


「次は必ず、成仏させてやんねえとな……」

 もうすっかり赤く染まった空に、無念を凝縮した呟きはとけてゆくのだった。


ーーーーーー

※いつも見てくださっている方へ。

 たった一人の読者さんがいるというだけで、こんなにも頑張れるとは思ってもみませんでした。本当にありがとうございます。

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