第7話 予想外の再会

 竜司が驚きの声を上げていると、突然の来訪者に攻撃を邪魔された悪霊は、一旦距離を取る。

 黒く塗りつぶされた顔からは感情が見えない。


「良かった……さて、それではこれより出張実演販売とさせていただきます」

 ゼロは悪霊から目を逸らさないまま、背にいる竜司を安心させるためか、穏やかな口調でそう宣言した。


 しかし影はこれを好機とみたか、あるいはゼロの登場など意にも介してはいないのか。どちらなのかは定かではないが、またもや高速移動で以ってゼロに肉薄する。


 また来る。弾丸のような一撃が。

 まさに脅威と称して偽りのない必殺の拳。


 黒い拳がゼロの頭蓋を砕かんと迫る光景が網膜に映り込む。防御の体勢すら取っていないゼロと、先ほどの自分の姿を重ねた竜司は思わず声を上げた。

「ゼロさん!!」

 警告と悲痛がこもった叫び。


 しかしそれに対し、金髪の店主はこれまた穏やかな笑顔で応えた。


 すると悪霊の拳がゼロに直撃する寸前。

 ガキン! と肉体にダメージを受けたとは思えない硬質な金属音が響き渡る。


「まずはこちら、エクソシストの使用する結界術式の十字架クロスです」

 悪霊の凶器たる拳はゼロの鼻先数センチのところで、彼と竜司を囲む神々しく輝く青い壁によって阻まれていた。


 一体どこから出したのか、小さな十字架を掲げたゼロの姿は、祈りを捧げる牧師のようにも、勝利を掴もうとする戦士のようにも見える。


 しかし破壊の権化たる黒い影は、ほんの一秒もしない間に次の行動に移る。数歩退いてから体を捻り、回転の力を乗せた蹴りを放ってきた。

 重い拳すら受け止めてみせた結界も、これには流石に耐えかねガラスのように砕け散る。パリィンという音が聞こえると同時に、悪霊がニヤリとほくそ笑んでいるような気がした。


 だがゼロは数手先を知っているかのように、すでに次の手を打っている。

「それではこちらはどうですか? 霊力振動刃れいりょくしんどうは生成器といって、流し込んだ心気が刃を作り出し、武器になるという商品きせきです」


 金髪をなびかせ、またもやいつの間にか手にしていた棒状の道具を握りしめるゼロは、すぐさま作り出した霊力の刀で斬りかかる。


 悪霊も迎撃の構えを見せ、拳でそれを受け止める。

 物理的に考えれば研ぎ澄まされた刀剣に拳で対抗できる可能性は皆無だ。だがこれは物理法則に縛られない霊力と霊力の衝突。素手だろうと武器だろうと関係なく、霊力の優れた方に分がある。


 ならば答えは必然、竜司の霊穿れいせんすらも耐えてみせた驚くべき霊力を保有する悪霊の方が優勢となるだろう。

 それを裏付けるようにゼロの霊力振動刃は数回の打ち合いの後、力尽きたかのように霧散してしまう。


 再度、黒い顔に邪悪な笑みが浮かぶ予感。

 今度はこちらの番だと言わんばかりに、狙い澄ました回し蹴りがゼロの無防備な腹部に風穴を開ける……


 ……かに思われた刹那せつな、ゼロの澄んだ声が割り込む。


希望ホープ、《百の籠手ハンドレッド・ガントレッド》」

 さっきまで手にしていた棒状の道具は知らぬ間に消え失せ、握りしめる右手から、燃えるような赤い光が放射状に撒き散らされた。


 彼の声に呼応して、竜司の視界内に収まりきらないほど多くの腕が出現する。

 いや違う。それらは人の腕というより、前腕と手のひらの部分を守る防具と見受けられる。つまり西洋の騎士などが装着するような籠手、鎧の一部だ。


 それがゼロの声に応じて数え切れないほど姿を現した。


 いくつかは竜司の周囲を守るように浮かんでおり、他の籠手は悪霊を囲んで浮遊していて、まるで意思を持って睨みつけているかのよう。


 悪霊はゼロの《百の籠手ハンドレッド・ガントレッド》を攻撃の対象として認識したようで四方八方に動き回り、腕を振るい、脚を蹴り上げ、次々と籠手に強襲をしかける。


 籠手も負けじと応戦しているが、根本的な能力差があるのか、一つ、また一つとダメージに耐えかねて消えてゆく。


 だがそれこそがゼロの作戦だった。悪霊が浮遊する籠手に気を取られている隙にこちらへと近寄り、手を差し伸べてくる。

「リュウジ様、右手を!」


「はい!」

 初めて聞く彼の大きな声に答え、竜司は一も二もなくゼロと手をつなぐ。


 するとどうしたことだろうか、竜司の右手の甲からピンク色の光が現れ、周囲を強烈なまでに照らし出したではないか。


 突然の極光に晒され、あまりの光量に耐えかね目を閉じた……


 〜〜〜〜〜〜


 数秒の後。


 チリーン。

 耳に届くは鈴の音色。


「ゼロ様、お客様、おかえりなさいませ」


 光が収まり恐る恐る瞼を上げると、そこにはユナが立っていた。

「なっ……!」

 どういうことだ? なにが起こった? そう思い竜司が周囲を見渡すと、そこには紛れもなく奇跡屋の店内風景が広がっていた。


(俺はさっきまで森の中にいたはずなのに……)

 悪霊との戦いがまるで嘘であるかのような状況だが、殴られた腕と打ちつけた背にはまだ少しだけ痛みが残っている。その痛みと汚れた制服がさっきまでの出来事を現実だと証明してくる。


 一体なにが起こったのか? 疑問を口にする前にゼロが声を発してくる。

「ありがとうございます、ユナさん。お陰で私もリュウジ様も助かりました。リュウジ様、お怪我はありませんか?」


「ああいや、特にケガとかはないっすけど……状況がいまいち飲み込めて無くて……」

 竜司の困惑を解消すべく、ゼロが話を切り出した。


「それでは順を追って説明させていただきます」

 なんだか真剣な様子のゼロを見て、竜司はゴクリと唾を呑む。


「リュウジ様がここにいるのは、とある商品きせきの機能を使ってあの場を離脱したからでございます。そしてここからが本題です。なぜこのような事態になったのか、ことの経緯をお話しいたしますね」


「まず初めに、実はこの奇跡屋に足を踏み入れるには一つの条件が必要となるのです。それは《自分ひとりの力では解決不可能な問題に直面している》ということ」


 そういえば確かにそこは気になっていた部分だ。同級生や町の人が噂をしているのは何度も聞いたことはあるが、実際に奇跡屋に入ったという話は一度も聞いたことがない。


 なにが理由となって自分がこの店に立ち入ることができたのか? 幾人も失敗する人を目にしてはいたが、自分と彼らとの違いはなんなのか?

 竜司は帰り道を歩きながら漠然とした疑問を抱いていたことを思い出す。


 その答えがついさっきゼロの言った「解決不可能な問題」だという。つまり、超常の存在であるこの奇跡屋に頼らなければならないほどの悩み。

 それほどのものを抱えた人物だけが、入店の対象となるのだろう。


「しかしリュウジ様にはそれがありませんでした。浮遊霊とのやりとりを楽にしたいとのことでしたが、それはリュウジ様個人の能力だけで解決可能な案件であり、そして識眼しきがん商品きせきを以ってしてもお悩みは見えませんでした」


「とはいえ、お客様を招き入れるためのシステムにこれといった異常はなく、そもそもお悩みを持つお客様を当店へとお連れするための重要な仕組みですので、メンテナンスは頻繁ひんぱんに行なっています」


 彼の言葉を信じるなら、竜司がこの店に入れるはずがなくなってしまう。だがそこまで思考を巡らせると、一つの事実に行きあたった。


(いやあったじゃねえか。俺だけじゃどうしようもないことが、今さっき……)

 すると、竜司の思考を後押しする様にゼロが言葉をつなげた。


「そこで私は一つの仮説を立てたのです。奇跡屋のシステムがリュウジ様を店内へと招いたことは異常などではなく、お客様の未来に訪れる困難を受信したからではないか……と」


「当店を後にした時にお気付きかとは思いますが、この奇跡屋は通常の時間の流れに従ってはおりません。そもそもあらゆる時代、あらゆる世界線からお客様が訪れるこの奇跡屋は、その存在自体が特異なもの」


「システムがお客様の未来に起こるトラブルを察知することもなんら不思議ではございません。今までにないことではありましたが、ありえないことと断じることもまた、できませんでした」


「リュウジ様が未来に直面するトラブルが緊急性のないものであれば、後日またご来店いただくだけでよかったのですが、もし命に関わるような危機であった場合、すぐさま駆けつけられるようにと思いまして、差し出がましいことですがベルスタンプを使用させていただきました」


 竜司はハッとして右手の甲を見つめた。

 そう、ゼロの使用したハンコのような道具によって、ピンク色の小さな鈴のマークが浮かんでいた手の甲を。


 悪霊との戦闘に夢中で気にしていなかったが、思い返せばゼロが突然現れた時も、つい先ほどこの奇跡屋にテレポートしてきた時も、どこからか鈴の音が聞こえていた。


 その正体がこれだったのか。

 じっと見つめているとゼロが声をかけてきた。


「もともとは星間せいかん修学旅行に行くお子様の身を案じた、保護者の方々のために作られた非常用テレポート装置なんです。何かトラブルがあった際に救助用ロボットを送ったり、逆にお子様がすぐに安全な場所に転移するための道具として、とある世界では非常に評判の良い商品きせきです」


 ゼロは商品の説明を終えると、突然竜司に頭を下げてきた。

 呆気に取られていると金髪の店主は口を開く。


「そして、どうか謝罪をさせてください。今回、リュウジ様がなんらかのトラブルに巻き込まれる可能性を知りながら、それを隠すという選択をしてしまいました」


「どのような問題に直面するかが不透明だったため、いたずらに不安にさせるわけにはいかなかったという事情はありましたが、だからといってお客様に隠し事をして良いという免罪符にはなり得ません。本当に申し訳ございませんでした」


「ちょちょ、待ってください! ゼロさんは俺を助けてくれたんすよね? なら、お礼をいうことはあっても文句なんかないっすよ!」

 なおも頭を下げたままのゼロに、竜司は自身の本音を伝える。


「リュウジ様……」

 その思いが届いたのか、ゼロは垂れ下がる金髪を上げ、竜司と目を合わせてくれる。


「それにさっきの話を聞く限り、もし俺がこの店に入ってなかったらあの悪霊に負けて死んでたかもしれないってことで……」

 口に出したせいでそんな状況を想像してしまったのか、一瞬言葉に詰まる。


「だから、お礼を言わせてください。ゼロさん、ユナさん、助けてくれてありがとうございました」

 しかしそれでも竜司はしっかりと腰を折って感謝の意を示した。


 竜司の誠意にゼロは軽く会釈をすることで返礼する。

「そう言っていただけると幸いです。リュウジ様がご無事でなによりでございます」


 するとそんな二人に触発されたのか、何も言わずに見守っていたユナが突然沈黙を破った。

「それではお客様、もう一度、当店の商品きせきを、ご堪能ください」

 夜空を凝縮したような髪を揺らしながら、ぎこちなく、けれど一生懸命に言葉を紡ぐ。


 それはぶつ切りで不恰好ではあるものの、竜司に向けられた歓迎の言葉に違いなく。彼女が竜司と目を合わせていることが、なによりの証拠であろう。


 今までまともに竜司の目を見ながら言葉を発したことのない少女が、ゼロが人見知りだと言っていた少女が、真っ直ぐにこちらを見つめながら話しかけている。


 励まそうとしてくれているのだろうか? 彼女の真意はわかりかねるが、ほんの少しでも心を開いてくれたことは間違いない。


 そんなユナの言葉を聞いたゼロは心底嬉しそうに微笑んでいた。


「ふふふ、ユナさんがこんな風に饒舌になるなんて……初めてのことでございます。それではイノウエ・リュウジ様、ご来店ありがとうございます」


 気を取り直すように、ゼロは竜司に歓迎の言葉を贈る。

 優しげな瞳は商人の雰囲気を内包し、ゼロが奇跡屋の店主としてのスイッチを入れたことを理解させてきた。


 けれども柔らかな表情はそのままに、ゼロとユナは一瞬だけ目を合わせてから、一緒に言葉を吐いた。

 竜司の心を打った、あの決め台詞を。


「「お探しの品は、どのような商品きせきですか?」」


 金髪の店主と美の化身のような少女がうやうやしく頭を下げる。


 竜司ひとりだけでは解決不可能な問題、それは強力な悪霊を退治すること。

 今やっと、竜司は正式に奇跡屋の客として招かれたのだった。

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