きっと恋だと誰かが言って

キノハタ

きっと恋だと誰かがいって

 拙い言葉をあと幾つ積み上げればいいのでしょう。


 こんな想いを、こんな感情をあと幾つ積み上げればあなたに届くのでしょう。


 好きです。想っています。慕っています。愛しています。


 私が思いつく語彙では簡単に底が尽いてしまうこの気持ちを、あと幾つ積み重ねればあなたに伝えられるのでしょう。


 テレビで誰かが言っています。


 恋は口にしなければ始まらない。


 テレビで誰かが言っています。


 恋は伝えなければ始まらない。


 その通りだと思います。


 本当に、その通りだと思います。


 想うだけの想いに何の価値があるのでしょう。


 どこかに届かぬ想いに何の価値があるのでしょう。


 伝えらなかった言葉にどれほどの意味があるのでしょう。


 たとえそれがどれだけ私の中に降り積もろうが。


 たとえそれがどれだけ私の頭を埋め尽くそうが。


 あなたには決して届くことなどないのですから。


 それに一体、何の意味があるというのでしょう。


 わかりません。


 わかるはずがありません。


 なぜなら、この想いは私だけがひっそりと。


 誰一人に知られることもなく。


 抱えて、いつか、きっと忘れてしまうのですから。


 あの人の前に立つだけで震える胸の苦しみを。


 頬の高揚を。


 気持ちの高ぶりを。


 誰一人だって知っていることはないのですから。


 伝えたい。伝えられない。怖い。変わってほしくない。


 誰より、何より、私自身が、私の言葉を否定するのですから。


 いつか積み上げた言葉が完成させられれば、あの人に届くのかもしれません。


 でも、届く寸前にそれを最後に崩すのはいつも私自身。


 独りで賽の河原ごっこを延々と繰り返すのです。


 みっともない。みっともない。


 伝わらない。伝えられない。


 それでも想いは降り積もるばかり。


 それでも想いは積み重なるばかり。


 この想いに価値などないのでしょうか。


 そうあっては欲しくないのです。


 そうなってなど欲しくはないのです。


 でも、でも。


 自信などないのです。


 自分を信じることなんてできないのです。


 踏み出したいのに、踏み出せないのです。


 どうすれば、どうすれば。


 この想いを言葉にできるのでしょう。


 ノートの隅に必死に書き溜めた想いをどうすれば笑うあなたに届けることができるのでしょう。


 「助けて」


 助けて。


 誰か。


 せめて、誰か。


 誰かが。誰でもいいの、どこかの誰かがこの気持ちを知ってくれればいいのに。


 この気持ちを見てくれればいいのに。


 この気持ちが。


 きっと恋だと誰かがいってくれればいいのに。

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