【怪談】くらがり

巳ツ柳 海

くらがり

 Iさんから聞いた話。


 Iさんのお宅は平屋の日本家屋だ。二三度お邪魔した事があるが、立派なお家だと思ったのを覚えている。Iさんはそこで、奥様と二人のお子さんの四人家族で暮しており、もっと前はご両親やご祖父母と暮していた。つまりご両親から、家を受け継いだのだ。

「継いだって言っても、由緒正しいなんたらとかはないですよ。ご先祖が何か偉い事をしたとか、そんな話は父からも祖父からも聞いてません。家のことは気に入っちゃいますが、こう広いと大掃除のときなんかもう、大変で」

 歴史ある立派な家ということは、裏を返せばそれだけ時間が経った、古い家ということでもある。

「リフォームだなんだってしたって、それはあくまで不便だった部分を便利にしたり、傷んだ部分を補強するだけですよ。家の造りや雰囲気そのものは変わらないんですよね。なんて言ったらいいのかなあ、『古さの気配』って言うのかな。そういう、家に染みついた独特のものは消えない」

 まだ幼いIさんのお子さん達は、そういった古さの気配に怯えることが多く、立ち入ろうとしない部屋や渡るのを嫌がる廊下が幾つかあると言う。その癖、友人を連れて来たときは探検だと言って、色々な部屋を開け放ったり駆け回ったりして遊び、奥様に叱られているらしい。

 自分の家で探検も何もないでしょうに、とIさんは苦笑した。

「ただね」

 苦笑しながら、Iさんは続ける。

「古さの気配だけならね、別にね、私も妻も良かったんですけど」

 Iさんが言うには、母屋から少し離れた場所、家の中からは見えないような位置に、倉庫代わりに使っている小屋があるのだそうだ。

「小屋と言うか、倉庫とか納戸って言うのかなあ、まあ、要は物置ですよね」

 大きさは一人暮らし用のワンルーム程で、おそらく、昔は畑仕事に使う道具等をしまっていたのではないか、とIさんは言う。今は、普段は使わない物、母屋に置いておくには些か邪魔な物、どこに置いたらいいかわからない物、そんな物をしまっているという。だから、滅多に立ち入らない。

 その場所に。

「何かがね、居るみたいなんです」

 Iさんは頭をかきつつ、そう言った。

「姿を見た事はないです。声や足音とかを聞いた事もない。ただね、どうも居るんですよ。居るとしか思えない。伝わるかなあ。気配がね、するんです。暗がりから、気配が」

 物置だから当然暗い。小さな豆電球は設置してあるが、豆電球に中を全て照らすような光量はない。電光が届かない場所、懐中電灯の光りが逸れた場所、出入口の太陽光から離れた場所、そういった暗がりから、気配がする。何かが居るような気配が。

 何をするでもない。

 ただ、居る。

 何者かが居るとしか思えない程にはっきりと、濃厚で、濃密な、輪郭を持つ一歩手前のような、ぎりぎり見えていないだけのような、そんな気配が。

「不気味ですよ。はっきり言って」

 また、Iさんは苦笑した。

 最初に気づいたのはIさんが子供の頃だったと云う。ご両親にそれとなく訊けば言葉を濁したので、おそらくご両親も、もしかしたらご祖父母も気づいていたのでは、と。そして全員が、不気味な思いをしていたのだろう。

「まあ、気のせいだと言ってしまったら、それまでですけどね」

 倉庫の中は暗く、視界が良いとは言えない。よく見えない場所は危険だし、なんとなく怖くもなる。倉庫の中にはご先祖様縁の品物もある。こんな灯りの乏しい倉庫にしまったきりで、普段使っていないことに対する罪悪感のようなものがないわけでもない。色々な感情や勘繰りが混ざって、何かが居るような錯覚を起こさせるのだろう、と。

 しかし、色々な理屈をつけても、居る、という考えは消えなかった。

 一番不気味なのは、何者かの気配がする、以外の何もかもがわからない事なのだと言う。何者だとして、何故居るのか、何をしたいのか、いつから居るのか、全くわからないのだと言う。

「でもねえ」

 とは云え、気配だけなのだ。

 倉庫で怪我をしたとか、悪夢にうなされるとか、何かが起こったわけではない。だから、お祓いや御祈祷もおかしい気がして何も出来ない。いっそのこと怖い小説や映画みたいに、背後に出て来られたほうが幾分マシですよ、とまでIさんは言った。

 奥様やお子さん達には気のせいだと言い、合わせて、危ないから近寄らないようにと言い聞かせて倉庫から遠ざけた。気配は倉庫の中にしか居ない。そして倉庫には滅多に近寄らない。近寄らず、話題にも出さない。一先ず、これでなんとかなった。

 だが、根本的な解決になったわけではない。

 母屋から離れているとは云え、敷地内ではある。外出や帰宅時、外に面した廊下を歩いていると目に入る。初めて来訪した客人を案内しているときはなんとなく気まずい。

 倉庫を壊そうかという話も何度か出た。使っていない部屋は幾つかあるのだから、荷物はそちらに移せばいい。だがそうなると、ただの気配にそこまでするのか、という疑問も出て来る。実害のない、ただ、なんとなく不気味というだけの話なのに。

 ただの気配なのだから。

 気味が悪いし困りもする。だがそれだけで行動に移すのも……そんな堂々巡りの日々だった。

 だがそんなある日、Iさんはふと思い立ったのだという。

 気配は暗がりの中でする。ならば、暗がりを消したらどうなるのか。

「それでね、一回試したんですよ。昼間の明るいときに豆電球つけて、懐中電灯から蝋燭からなんでも持ち込んで、物置の中を全部明るくしてみたんです。そしたらね」

 気配が消えた。

 そして、灯りを一ヶ所消したら、そこからまた気配がし始めた。

「ああ、こいつ、暗がりの中にしか居られないんだって。まあ、そう結論づけたんですよ」

 そこでIさんは実に単純な、けれどやや大掛かりな対策を思いついた。暗がりを消すことで解決するなら、倉庫内の明かりを増やせばいい。一つきりだった光源を増やし、棚や、大きな荷物の死角になる場所も照らせるように配置する。あとはスイッチだけで一斉に照らせるようにすれば、暗がりの気配を気にせずに済む、と。

 元々電気自体は通っていたのだから、無理な話ではなかった。

「作業中も気配はしてましたからね。工事の人達には、気の毒だったな」

 これを乗り越えれば問題は解決できる。

 そう思いながら、工事の担当者達にはそれらしいことを言って誤魔化したと言う。

 作業は呆気なく終わった。Iさんの願い通り、倉庫の外、扉の隣にカバーと一緒に取り付けたスイッチ一つで、中は一斉に明るくなるようになった。明るい倉庫内に暗がりはない。だから、気配も現れない。

 気配を消すこともできて、倉庫内で探し物をするとき便利にもなる。一石二鳥だと、Iさんはそう思ったのだそうだ。我が家で行ったリフォームの中で、一番有意義だった、とも。

 便利さに慣れ、次第に暗がりにあった気配のことも忘れ始めた。

 そんなある日のことだった。

「何を取りに行ったんだったか、もう忘れちゃいましたけどね」

 Iさんは倉庫に向かった。何かを取りに、もうなんの心配もする必要がなくなった倉庫。ただ、物だけが置いてある、倉庫として正しい在り方になった場所へ。

 カバーを開けてスイッチを押す。扉を開ければ、中から光が一斉に溢れる。少し埃くさいなと思ったのだそうだ。掃除をしないとな。明るいから掃除もしやすいな、と。そんなことを思って、目当ての物を探そうと倉庫の奥へと向かった。そして。

 辺りが暗くなった。

「後で妻に聞いたら、タイミング悪くブレーカーが落ちちゃったそうで」

 単純な、一時的な停電だった。

 でもそれは、後でわかったことだ。落ち着いたときに聞いた出来事だ。そのとき、その場に居たIさんには何がなんだか全くわからなかった。突然の暗闇だ。窓は、ない。あったのだけど、中にある物が陽に焼けないように塞いでいる。昼でも暗い場所。古い場所。そこに。

 気配が。

「気配がね」

 居る。

 そう、思ったのだそうだ。

 暗がりの中にしか居られない気配が、

 暗がりの中に居る、Iさんの近くに。

 更に、Iさんはこのとき初めて、気配が動いていると感じたのだそうだ。

 思えば、気配は今まで暗がりの中でじっとしていた。暗がりは、それ自体は動いたりはしない。懐中電灯など、光源を動かすことで変わることはあっても、丸ごと移動したりはしない。だが今は、Iさんが、暗がりの中に居る。

 気配の中に居る。

 初めて、と云うよりも、やっと。

 怖い。

 そう思った。

 気味が悪いなんてものではない。怖い。何かが居る。何かが居て、動いている。それも、明確にIさんのほうへ向かって来ている。逃げなくては、と思ったと云う。倉庫の外に、太陽の明かりがある場所へ行かなくてはいけない、と。だがそのためにはこの、暗がりの中を歩かなくてはならない。

 気配が居る。

 気配でいっぱいの、この、暗がりの中を。

 そう考えている内にも気配は近づいて来た。何をされるのだろうと思い動けずにいると、気配はIさんのすぐ真横まで来た。顔の真横、耳元に、濃厚な気配があった。直感で、何かを言われるのだと察した。そして。

 気配は、Iさんの耳元で、

「『借りています』って」

 たった一言。

 それだけを、Iさんの耳元で言ったのだという。

 借りています、ですか。と聞き返すと、借りています、ですね。とIさんは答えた。

 それは。

 なんだかわからない。

「うん。私もね、よくわからないです」

 Iさんは頷く。

 怖かったでしょうと訊くと、Iさんは首を振った。

「怖いっていうのはなかったなあ。いや、電気が消えて話しかけられるまでは物凄く怖かったんですよ。ただ……なんと言ったらいいんだろうなあ。あんまり普通の言い方だったんですよ。本当に普通の、ちょっと、鉛筆か何か拝借しましたよ、くらいの言い方だったんです。だからね、怖いっていうより、なんか、拍子抜けしちゃって」

 呆然としているIさんの目の前で、消えたときと同じくらい突然に電気はついた。気づいた奥様が慌ててブレーカーを戻してくれたのだと、後で聞いたという。

 明かりの点いた倉庫の中で、Iさんは振り返った。周辺を見た。

 何も、居なかった。

 程なくして。

 Iさんは、倉庫に取りつけた電球を半分片づけた。

「はっきり借りてるって言われちゃいましたからねぇ。なんか、申し訳なくなっちゃってね」

 気配は、勘違いではなかった。

 家に染みついたあの、ぼんやりとした古い気配などではなく、間違いなく何かがいるのだと、それがわかった。

 おかげで、新しい悩みが増えたという。

 何者なのか、何故居るのか、何をしたいのか、いつから居るのか、全くわからない。その上、

「一体、誰から借りる許可を貰ったんだか……」

 そう言ってIさんは、再び、苦笑した。



 未だに暗がりからは、濃厚な気配がするのだと言う。

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