ACT 4

 カラのカーゴで『アーツェ』を離れた船は、航路をナビに任せ光速内を飛んだ。

 そもそもサスが取引をする相手といえば、 同業者のギルド商人か放置衛星や船舶から部品を毟ってきた得体の知れないジャンク屋と相場は決まっている。まれに近所の住人の面倒も見るとサスは言っているが、ついぞその場面に居合わせたことがなかった。

 中でもあえて地球で取引したいと申し出た今回の相手は、近所の住人でもなければ端末でやり取りできる同業者でもなく、店での取引さえ拒む胡散臭さも相当のジャンク屋だ。そしてそのジャンク屋は取引場所に地球の座標を送ってよこしただけで、 いずれで落ち合うかをサスが決めて促したほどの強者ときていた。

 加えてサスの選んだ場所こそ、覚えていないがゆえにまだ一度も行ったことのない、連れ出されてきた「我が家」であることを知らされる。

 移動には、そもそも退屈するほど長い工程が組まれていない。それどころか予定より早く到着してしまうほど航路は順調そのものだった。

 聞かされていた話とおり、変わらず「我が家」は地図から剥ぎ取られたままだ。微調整の効かないオートパイロットへ渋い顔をみせるサスに代わり、「我が家」の傍らへ船を着陸させる。

 出来ると言うことに驚きを示さなかったのはお互い様だろう。そもそも店内の商品が理解できるのだから、それらが寄り集まって作り上げられたようなコクピットは自身にとってさほど珍しいものでなく、航行中、読み取った値から船の状況を把握している己に操縦は出来て当然だろうとさえ感じていた。

 詮索しないサスもまた危なげない着陸にこそ驚いてみせたものの、すぐにも取引の準備に取りかかるものわかりの良さを見せている。



 空は『アーツェ』と真逆で真っ青だった。

 一度、見上げ、船のタラップを降りる。

 懐かしいはずの空気を吸い込み、全方位を心行くまで見回した。

 だが目についたのは親指の先ほどの大きさしかない隣家の影のみで、誰かしらがそこで生活しているなどとは思えぬ荒野に唖然とさせられる。本当に自分はこんな場所にいたのか。聞かされていたサスの話を疑いそうになるほどだった。

 取引の時刻までまだいくらか余裕はある。だが取引相手のジャンク屋がルーズなタチなのか、 几帳面なタチなのかまでは分からない。待つあいだサスを手伝うおうかとも考え、それこそサスの領分なら手出しできる余地こそなく、持て余すままに「我が家」へと足を向けた。もげたひさしをくぐり、恐る恐る中へ身をもぐり込ませてゆく。

 愕然としていた。

 つまるところ期待していたらしい。

 なにしろ背後から差し込む光に浮き上がった室内は、引っ越した後のように調度品一つ残されておらず、ただ年季の入った床板に埃と砂を堆積させていた。

 すぐにもサスに見つけ出される直前、訪れただけの場所だったのだと理解する。しかしそれが特注のクスリに浸るため必要な行為だったとして、ならどうやって地図にないこの場所へピンポイントで訪れることが出来たのか、つじつまが合わないようでならなかった。

 部屋の奥には扉がある。

 積もった埃へ遠慮なく足跡を残して進んだ。

 軋む床が抜けないか、気を配りながら扉をくぐる。

 続く廊下の途中からサスが自身を引きずっていったと思しき痕跡が、生々しく残されているのを見つけた。

 辿ればその先に、また別のドアは開かれたままで放置されている。

 歩み寄り、息を殺して中をのぞいた。

 窓は鎧戸に塞がれている様子だ。暗く、風通しの悪さにカビているのか妙な臭いがこもっている。そのただなかに初めて据え置かれた調度品を見つけていた。

 ソファだ。

 曲線で構成されたシルエットを覆っているのはベルベットか。 部屋の片隅、闇にかすむかのごとくうずくまっていた。周囲には使用済興奮剤の容器がいまだ散らばっている。

 とたん上がる心拍が口の中を短い時間のうちにも干上がらせていった。覚えがないなら、それは見知らぬ誰かがやってのけた事だ。咄嗟に突き放して生唾を飲む。

 お前はダレダ。

 ただ問いかけた。

 なら、あなたは何を選ぶのか。

 すかさず闇が、いや暗がりから壁が、答えて返す。

 まただ。

 ラズベリー色した部屋と同じだと思う。

 絶えずこうして誰かに見張られている。

 思えば目が、闇に声の主を探した。

 逃れてそれは確かと壁の上を伝い走る。

「誰だッ」

 思わず声は上がっていた。

 だが相手は絶えず視野の端へ端へ逃れ続けると、追うほどに翻弄してこちらをあざ笑い続ける。

 見失っていた。

 たまらず部屋へ足を踏み入れる。

 ソファへは何があろうと近寄らない。

 避けて窓へ食らいついた。

 開け放ち、下ろされていた鎧戸もまた押し上げる。

 たちまち差し込む光に瞳孔は縮み上がり、埃が『アーツェ』の砂塵以上、濃厚と空気をよどませ舞い上がった。

 慌てて袖口を口元へあてがいソファへ、闇へと、振り返る。

 だがあの気配はまたもや視界をかすめると、光りに浸食された闇の隅で、決してつかまりはしないといわんばかり立ち上る埃の中へ紛れこんでいた。ままに窓から抜け出すと、軽々空へ舞い上がってゆく。

 逃がしたくはない。

 なぜなら、

「あんたは俺を知っているのかッ?」

 それが何であろうと、教え聞かせてくれるならかまわなかった。だが己が上げた声さえやがて空の彼方へと消え去る。

 返事はなかった。

 元通りと澄みきった青の彼方で、航行中の船体がキラリ、光を反射させる。タイムラグを伴い、エンジン音だけが重たげと鼓膜を揺さぶり遠ざかっていった。

 そんなものだ。

 肩を跳ね上げ、ひとつ笑う。

 しょせんはイカレたジャンキーだ。ならば妙な幻に付きまとわれるが相当で、 そもそもこうして五体満足と動いている今の方こそ幻なのかもしれなかった。なら見渡す限りはその幻と遠くかすんで、触れて手繰れる確かなモノなどたった一つもありはしないと様子を変えだす。それすらただの錯覚だと切り捨てるにしても、違うと言い切るただけのモノが、能力が、 抜け落ちているように思えてならなかった。

 またも覚えたうすら寒さにそれを「孤独」と言うのだと、遠い場所からやんわり言い含められる。

 うなずき返していた。

 うなずき初めて「孤独」でもってして繋ぎとめた命が今ここにあることを、噛みしめる。

 ならこれから埋めて「何を選ぶ」のか。

 遠のいた世界へたどり着くためにだろうと、まったく新しい世界を構築するためだろうと、だ。

 つまりどこの誰だかまるで知らないが、実にいい質問を投げかけてくれたものだと思う。

 だというのに選ぶことはどうにも苦手だった。

 おかげで呆けてその場を離れる事すら忘れかけていた時、探して足を運んだサスに見つけられる。呼び止めて頼みごとがあると告げたサスは、すかさず電子ウォレットと周辺地図を握らせると、こう鼻溜を振ってみせた。

『船に積んできたジープを降ろしておいた。まさか船は飛ばせてジープは運転できんなどとはいうまいの』

 その通りだ。異存はない。

『すまんが、この地図でちょいとひとっ走り、メモした部品を買いに向かってはもらえんか。うっかりしておった。じゃがわしがここを離れるわけにもいかん。取引の時間が近づいておるからの』

 手伝いたいと言ったことは社交辞令ではない。お安い御用だと電子地図のメモ欄を開き品物を確かめる。データ交換時の圧縮ユニットの品番を口の中で繰り返し、ケーブル状になったさして珍しくもない汎用品が今なぜ必要なのか分からぬまま、電子ウォレットの中身へも目をやった。とたん驚き、サスの顔をまじまじと見つめ返す。電子ウォレットには、それほどの大金が記載されていた。

 信用されている。

 もはやそういう問題ではない。

 ただサスはそこで暗に示すと持って行け、とだけ促している。

 よくできた、それが遠出の理由らしかった。

 その気があるなら戻らなくともかまわない。

 確かに、着の身着のままでは『地球』へ戻ることなど不可能だ。だからしてここまで連れ出したとして、厄介払いのつもりか、とサスを罵るに、あまりにもほどこされ過ぎた顛末だった。

 答えを選べる身分ではない。

『分かった』

 すぐにも戻ってくるような素振りでジープへ乗り込む。

 スターターを作動させれば惜しむことなくエンジンはかかり、 走り出したとたん整地されていない大地にジープは車体を大きく傾けた。押さえ込むようにハンドルを操れば、バックミラーに映り込んだサスは早くも踵を返している。その小さな背中はもう見知らぬ他者のそれで、こちらもミラーから視線を剥いだ。

 恩義は十二分に受けている。当然のように居座り続けていられないことも、そろそろ理解しなければならないだろう。

 ならこの先、一体どうすべきか。

 最大の難問に選ぶべく道を探して渡された電子地図を片手で手繰った。手近に見つけ出せたのはサスが買い出しに向かわせた街しかなく、漠然と目指してジープを走らせる。大地に刺さる釘を寄せ集めて出来たような街のシルエットは、やがて戸惑う間にも蜃気楼よろしく揺らめきながら近づくと、荒れた地面にふい、と整地された路面を浮かび上がらせた。乗り上げなぞればジープは迷うことなく街へ潜り込んでゆく。


「ようこそ」


 アーチを描いて文字を連ねるホロ看板が、迎えて手を振ている。住まう人の数に比例して淀んだニオイもまた鼻先をかすめた。釘と思えたビルは両側へ立ち並び、左右に無限と伸びていたハズの風景は上下のそれへ切り替えられる。

 最初の交差点を越えた辺りからだ。向こう側はぐっと交通量が増していた。ユニットが手に入る店を探すにせよ、ゆっくり見たいという思いは拭い去れず、ジープを路肩へ寄せる。鍵も抜かずアスファルトへと足をおろした。

 『アーツェ』に慣れたせいだろう。眺める全てが身丈に合っているだけで、どれもこれもが珍しい。似た造作の顔と手足を持った人波が足早に、ひとところでは緩慢に、一人きりもいれば知人と楽しげに、行き過ぎる光景を新鮮な気持ちで眺め続けた。

 それは迷い込んだに等しい状況だったが、 囲まれて違和感のないことに気付いたなら乗じて何十年もここで生活していたような顔を装ってみる。今から誰かへ会いに行くような足取りを気取りもした。気ままな休日の最中と、手持無沙汰もまた演じてみる。

 何者かを装うだけで、この街に何かあるような予感は満ちた。そうして何気に選んだ交差点。その信号が青に変わるのを待つ間、ショーウィンドのホロ映像が流すニュースへ目をやる。

 『ヒト』語で話すアナウンサーは既知宇宙最大のコロニー『フェイオン』が稼働を始めたことを知らせ、次いで『イルサリ症候群』患者数を現す曲線が右肩上がりに伸びる現状を読み上げた。経て流れ始めたコマーシャルでは、デジタルアイドルの新曲ダウンロードが開始直後、瞬間ダウンロード数、八○○兆ダウンロードを記録したと声高に唱え、今すぐアクセスしろと叫ぶ。かと思えば南洋リゾートはイマッジカンパニーのバーチャルツアーへ、と誘って、ツアー取引を証明する光学バーコードメモリー付、二十八万GKと価格を表示してみせた。ハローガード。宇宙線から遺伝子を守るなら断然この一着。あなたのパートナーをがっかりなんてさせません、と映像は続き、お母さんはあなたの将来が心配よ、だから資産運用は変わらぬ価値のPtAu、は優しげなナレーションで語りかけてくる。かと思えば医療の格差は保険で差がつく、ストップ臓器売買、の文字が目の覚めるような原色の警告を放った。

 気づけば食い入るように眺めて、青へ変わった信号を見逃す。

 画面の中で赤い塊が跳ねて踊った時は、いつからか同じように並んで見上げていた子供が、これが欲しい、と足元でむずかり泣き出した。タイミングの悪い宣伝だと顔をしかめた母親は、その手を取るなり無理やり映像前から連れ去っている。道へ這いつくばってまでねだる子供は、手に入らなければまるでこの世が終ってしまうかのような奮闘ぶりだ。

 そうまでして欲しがる根拠を理解できず、ただ眺める。どうすれば、そこまでコレだと選び切れるのか、摩訶不思議な現象とその根拠を探って観察し、親子の姿が雑踏に見えなくなるまで追い続けた。

 隠れてようやくホロ映像へと向き直る。

 欲しいと思ったら迷うなんてあなたらしくない。カロリーリセット。ダイエットなんてもう古い。これが健康食品の新常識。同じ食べるなら、あなたはどちらを選ぶ?

 モデルと思しきすらりとした手足の女が、そこで屈託のない笑みを投げていた。 伸びた指先がタブレットをつまんで鼻の高さへ持ち上げ、今にも歌い出しそうな唇を開いたところで、映像は変わる。投影サイズ一杯の顔だ。上目使いとこちらをのぞき込んでみせた。空と同じ青い瞳はその時、これでもかともったいをつけて片目を閉じる。

 あてつけかと、向けて返した答えはこうだった。

 選ぶことさえできたなら、さし当たっての金はある。

 だが、それがままならなかった。

「あんたのようには、出来ないのさ」

 ついぞもれた呟きはすでに結論に近く、そうして何も選び出せないのならと、助けられた命も、今、 持ち合わせている唯一の目的も、与えられたものを消化するしかないのだと奥歯を噛みしめる。

 信号は渡らなかった。

 初めからそう仕組まれていたように、眺めていたショーウィンドは家電量販店のものだ。返した踵で迷わず店内へ入る。サスが頼んだユニットを最も目につく棚の位置にみつけ、一つ二つと手に取った。

 やめて、持たされた金額に見合う限り、棚の全てを買い占める。それでも有り余る金を記録した電子ウォレットと膨らんだ買い物袋を手に量販店を抜け出した。

 サスと別れてからどれほど時間が経ったのか、よく分からない。控えていた取引についても詳しい内容を聞かされておらず、戻ったところでサスの船はもうここを離れた後かもしれないと想像を膨らませた。

 置いて行かれるやもしれない。

 それは焦りだ。

 また失うなど、こりごりだとさえ吐き捨てる。そのたびに、また絶望的シチュエーションは巡ってくるのかと縮み上がった。

 怯えるまま見つけたジープへ荷物を投げ入れる。否や、エンジンをかけ、これでもかとハンドルを回した。急ぐあまり、先ほどよりも荒れた大地でジープは跳ねたが、それも二度目なら押さえる要領は得ている。明らかに傾いて位置を変えた太陽に惑わされることなく「我が家」へ向かい、ひた走った。

 その「我が家」が見えるより先だ。やがてサスの船は受けた光にシルエットとなり浮かび上がってくる。 間に合ったのだと胸をなでおろした。と同時にカーゴを連結させる格好で停泊する見知らぬ船の姿に、ジャンク屋の気配もまた感じ取る。

 取引はそんなカーゴの中で行う段取りらしい。手法が部外者の立ち入りを極端に嫌うため取られるものだということは、サスの仕事を眺めるうちに知った話だった。そうした方法を希望するジャンク屋の胡散臭が、なおさら増す。大きなお世話だと分かっていても、サスひとりで大丈夫なのか。気がかりが頭をもたげていた。

 カーゴへ戻せないジープを、船体中程の搭乗ハッチへ横付ける。

 やまほど買ったユニットの袋を後部座席からさらい、教えられていた手順でロックを解いた。ハッチを押し開け、緩い階段を登り、迷うことなく靴先を船尾のカーゴへと向ける。

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