3-14
14 テオン、あるいはポーラ
「ポーラ!」
テオンが駆けつけたとき、暗い部屋にふたりの人影がいるのがわかった。次第に目が馴れるにつれて、ふたりが倒れ伏しているのがわかる。片方は……小さな身体。長い髪。ポーラだった。
「ポーラ! しっかりしろ! ポーラ!」
慌てて抱き起こす。温かい。浅い呼吸だが、外傷もない。
「おれとしたことが……大いなる誤算だったな」
部屋の反対側からの声。カルラビエだ。テオンは思わず身体を強張らせるが、カルラビエもまた疲弊しきっているようだった。
「おそろしい娘だ。たったひとりでありながら、これほどまでの硬い意思力を保ち続けているとは。いずれ途轍もない器になるかもしれんな。技術ではまだまだだが、基本となる魔力量が桁違いだ」
「カルラビエ……貴様……ポーラに何を……」
「あいにくだがおれはおまえと戦うつもりなどない。テオン・アッシャービア。老人同士の争いほど醜いものもないからな。おれは退散させてもらおう」
「逃げるというのか」
「ああそうだ。だがはっきり云えば、おれがどうしようがもう戦争は避けられない」
カルラビエは肩を震わせて嗤う。心底おかしいとでも云うように。
「この戦いは最初からおまえたちの負け戦だったのだ。会談が成功しなければ戦争は避けられない。それがどうだ? おれがこれだけめちゃめちゃにした状態から戦争回避の合意が結べると思うか? それともおれがこのまま海上の船団に突入していって一発空砲を打ってやろうか? それですぐにでも戦争が始まる。おまえたちはそれを回避できない」
王家への憎しみが、ここまでの非道をこの男にさせているのか。テオンは考え込まずにはいられなかった。自分もまた官職から追放され、苦渋を舐め、王家やイストラリアンに恨みを抱かなかったといえば嘘になる。むしろ今でも、それらに対する割り切れない思いは残っている。
だがそれは自らの罪悪感と紙一重の感情だ。王家を憎めば満たされるのか。それで失われた時間が戻ってくるというのか。救えなかった者たちが蘇るというのか。
カルラビエのやり方は間違っている。それに、そういうやり方はテオンの趣味でもない。
「おまえは……ひとでなしだ」
テオンははっきりと口にした。
「ああそうだ。おれは人間でいることをやめた。所詮ひとの頭でしか考えられないおまえたちとは根本的に出来が違うのだ」
カルラビエはそう云い捨てて、瞬く間に部屋を出て行った。
「もう二度と会うことはないだろうよッ!」
運命だと思った。
牢獄から出て以来、テオンの生活に目指すところはなかった。
今にして思えば、「地動説と天動説の証明」だなんていう目標も、所詮は現実逃避だったのかもしれない。もしそれが上手くいったとして、いったいだれに伝えればいいんだ? 学会から追い出され、社会から追放されたテオンには、もうだれも話しかける相手がいないのだ。それなのに自己満足の研究なんてやって何になる?
それじゃあ、あの幼き日に、腹を空かせながら涙に濡れた瞳を空に向けたときと、本質的には同じじゃないか。
皆から嫌われ石を投げられ、火をかけられて、救いを求めて力なく天を仰いだときと、何が違うっていうんだ。
いつしかテオンは、北極星を見失っていたのだ。目指すべき星を失って大海に揉まれて、それだというのにまだ自分が彷徨していることにも気づかぬ愚者だったのだ。カルラビエのことを莫迦にはできない。自分だって、痛苦を前に己を失っていたのだから。
それを彼女が変えてくれた。
運命だと思った。
北極星の名前。実の娘と同じ名前を持っている彼女。
猿座の七つの星をいともたやすく見分けてみせた彼女。
一度彼女を拒絶したテオンの元へ、再び戻ってくれたこの少女。
三十年の時間は長すぎた。おまえの夫はもうこんな老人になっちまったよ、メルル。
でもすごいよな。人間ってこの歳になっても、こうして変われるんだから。
ポーラ、目を覚ましてくれ。
君に礼を伝えることができるのなら、この爺はなんでも差し出してみせよう。
だからどうか──。
ポーラの瞼がぴくりと動いた。
「あれっ、テオン……?」
「大丈夫か? 痛いところは?」
「えっ、いや……大丈夫。ちょっと頭が痛いけど平気」
「そうか……」
口には出さなかったが、テオンの心中に浮かんだのはたしかな安堵の思いだった。
「ねぇ、それよりマリウスは?」
「逃してしまったよ。すまない」
「そう……」ポーラはほっと一息をついた。「謝らないで。きっとあいつはわたしと戦って魔法の余力を使い切ってしまったのよ」
「戦った? 戦ったっていうのか? 魔法で?」
「そう。もう途中からは意識が飛んでよくわかんなくなっちゃったけど……わたしも今はもう魔法が使えない気がする」
「大丈夫だ。無理はするな」
ポーラはテオンの顔をまじまじと見つめた。こんなにも弱気で優しいテオンは初めてだった。ふだんはもっと気難しくて頑固で、気分屋のテオンが。もしかしたらあれはテオンなりの照れ隠しであって、これがかれのほんとうの姿なのかもしれない。まるで血の繋がった家族のように、こうしてポーラのことを心配してくれる。カルラビエのことよりも、国家の危機よりも、自分の身の危険よりもまずポーラ自身のことを心配してくれる。今はただ、そのことに感謝した。
「せっかくの再会なのに、話すことが多すぎてどうしてら良いかわからないね」
「わしもだ」
ふたりはちょっとだけ笑う。
「ケルロスが上の階で待っているはずだ。無事だと良いが……」
「バランを見た?」
「ああ。下でユーアと一緒にいるはずだ」
マリウスは去った。だがまだ事態の全貌は見えてこない。何より開戦の危機は過ぎ去っていない。
ふたりは手を取り合って、議事堂の最上階へと向かっていった。
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