**出***語**[前]
黒く塗り潰された空に、薄く灰色が重ねられて月をぼんやりと隠蔽する、そんな夜。
とある街の中心から離れる事、数十分のところに閑静な住宅地が展開している。
車が余裕を持ってすれ違えるぐらいに取られている道路を挟むように、何処にでもある変わり映えのない一戸建てが規則正しく並ぶ。隣接する家との距離も近く外観も似通ってる事から、ここらは建売住宅地なんだろうと推察出来る。
その並びにある家も例外でなく、外観は何ら変わるものではなかったが、門柱に付けられた郵便受けがビニールテープでぐるぐる巻きにされており、ここは無人である事を暗に示していた。
━━━━夜に沈んでいる。
逃げるように、捨てるようにして、置き去りにした家を見て最初に感じたのがそれだ。
両隣の家は煌々と暮らしが灯されているに対して、時の狭間に取り残されているかのように昬い。さもありなん。
この家での暮らしは死んだのだから。
鍵をさしこむと予想外にも、すんなりとロックが外れる。
ゆっくりとドアを開ける。視界に入るのは当然ながら闇だ。
闇の中、壁をまさぐる。指に無機質な感触があった。覚えているものだな、と廊下の明かりを点ける。空気が埃っぽい以外は何も変わらないように見えた。
靴を脱ぎ、上がり框を跨ぐとそれは起こった。
焼けた黄色の照明が明滅し、消え、闇が訪れたと思えば、潮の満ち干きのように闇がズズっと引いていく。
導かれるように足が出る。三年近く無人だった家にギシッ、ギシッと歩く音が合図だったか、一気に記憶の扉が開いたようだ。
今、手を伸ばせば触れる距離に母さんが立っている。いつも出迎えてくれたように慈愛の微笑を浮かべて。
ただいま。
無意識下で声が出た。
当然の事ながら返る声はなく、もう母さんの姿もない。廊下の灯りは壁に俺独りの影を投影する。
廊下の奥、リビングに通じる扉を開ける。
途端にむあっとする湿度を感じた。埃とカビの匂いが鼻腔をくすぐる。
扉脇にある照明のスイッチを押すと、そのままに置き去りにしてきた家具が視界に映る。
壁際のテレビを囲むようにソファがある。
母さんがソファに倒れていた。眠るように。白磁の肌を血に染めて。
すでに終わった事象。記憶の回帰。あれだけフラッシュバックに当時は苦しんだが、今は嘘のように凪いでいる。母さんの真実を知ったからか? それとも俺が壊れているからか? あるいは乗り越えたのか━━━━
リビングとダイニングとの間にある階段に目を向ける。上がって左が母さんの部屋で右が俺の部屋。階段は踏み鳴りが酷く、崩れそうに思えた。
ジジッ。ジジッ。
耳の奥でホワイトノイズが鳴った。
良くない兆候だ。
案の定というべきか、粗悪なドラッグでもキメたみたいに頭が揺れ、胸糞が悪くなる。
だが、それだけだった。フラッシュバックが起きる訳でもなく、視界が蒼に染まるでもない。これは何だ?
普通に考えれば、歓迎すべき事柄なのかもしれない。あの音は精神不穏を喚び起す
少女は言ったのだ。
今は仮初の時間だと。
「正解よ。中々に理解が及んできたようで何よりだわ。そう、いまは仮初の時間。端的に言うなら執行猶予中ってとこかしら」
階段を上がりきった先、闇に溶け込んだ少女の姿が浮かびあがる。
「美桜に許されて良かったわね。そもそも許す許さない話ではないのだけど、一区切りがつくのであれば吝かではないでしょう。ええ、構わないと思うわ。結局は━━━━━」
どう折り合うかなのだから、と少女は言った。そうしてる間にも、その姿は輪郭を鮮明に映し出す。
「それはそれとして、辛気臭い顔が微細とはいえ変化があって何よりね。まあ手間暇かけた割にはその程度か、と唾棄したくなるけれども。思うて詮無き事と思わず、と言っておきましょう」
相変わらずの辛辣さだったが、少女の声はいつもより抑揚があった。どうやら額面通りに受け取らない方が良いようだ。
「さて、態々こうやって来たのは貴方に忠告━━あるいは思い出して貰う為よ。覚えてるかしら? 以前に語った言葉を。
『幾星霜を経ても語り続けましょう。手を変え品を変えて、そう、言葉遊びと捉えても結構よ。構わないわ。したり顔で話す評論家気取りに嘲笑されるのが目に浮かぶようだけど、思い上がりも甚だしい。
凝り固まった思考は愚考、がらんどうの目で見るな、語るな。疑え、何もかもを。
そうして得た愚見を押し付けるのは愚行。私は繰り返す。何度でも何回でも、唯一人にだけ、この言葉は届けばいい』
端倪すべからざるよね? その反応は真っ当なものよ。恣意を巡らせなさいな、端を発したのは何処から? 矯めつ眇めつ、頭を回らしなさい」
少女の姿が消え、在るのは闇だけだ。
言われた意味を考えてみる。俺はかつての自分の部屋に入りたいだけだったのだが、それがルビコン川を渡る事と同義になるようだ。
だが、躊躇する意味もない。俺には失って困るものは何も無い。
右の部屋のドアを開け放ち、照明を点ける。
明るくなった部屋の様子が視界に飛び込んで来るよりも、先に耳朶に届いた声に意識を奪われた。
「キャッ!」
悲鳴に似た小さくも高い声。
視界に開かれた窓から入って来ようとしている侵入者が映る。
眩しさに目を何度かパチパチさせた後、驚愕したのは向こうが先だった。
「ユウ!!」
「なにをやってるんだ、キミは」
ハア。と嘆息を吐く。
俺を壊した最初の一人、始まりの女であり、隣に住む幼馴染がそこに居た。
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繁忙期に入ったので更新がががが。
一話辺りが長いのが売りですが、この調子だと全く更新出来そうにないので分割します。
予定では前編、後編の二部ですが中編の三部作の可能性もありますので、ご了承下さい。
タイトルは後編にて提示します。よしなに。
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フォロー及び、♡★有難うございます。
モチベアップに繋がりますので、餌下さい。
何かありましたら、近況ノートにて受け付けております。
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