展開部[壊れた彼女達]

青い鳥は鳥籠には居ない。

 *青い鳥症候群

 我々を苛む疾病のひとつ。ああ------現実の何たる無常な事よ


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 目覚めると楽園だった、という訳ではないが妙にスッキリした気分だった。

 母を亡くした日から、思考に靄がかった感覚がずっとあったのだが、それがない。


 身体を起こしながら、スプリングの効いたベッドの上で半身を捻る。

 全身を覆っていた、いつもの気怠るさもない。身体の強張りもないようだ。


 不意に少女の言葉を思い出す。


『物語は、他者の世界と自分の世界を繋ぐ案内人になるべきものよ』


 何をかいわんや。

 希求し、絶望して、堕ちて、奈落で無感動アパシーが産まれた。

 それの何が悪いというのか。全く度し難い。

 消え失せる間際の感情を留め置く事で、執行猶予が出来た。多分、身体の調子の良さも少女が何かしたんだろう。


 ベッドから出て、カーテンを開けると青い空が広がっていた。


「普通に演じてればいいか」


 少女の思惑に少しだけ、付き合ってやろう。

 どうせ、残された時間は少ないのだから。



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 薄められた水縹色のシャツに、やや燈色寄りの紅銅色のリボンを合わせたトップス、灰色のスカートの少々野暮ったい制服が薄汚れたガラスに映る。ショートボブの髪に跳ねがないか、チェックをしておく。このトンネルを抜けた、少し先に西条学園の最寄り駅がある。


 プラットホームに電車が滑り込み、肢体に制服を包んだ学生達が降車する。

 時刻は八時十分前。余裕を持って登校出来る時間だ。大体の生徒はこの後の電車に乗ってくるので、混雑する。それが嫌で、起床時間を早めにしている。

 改札を抜けると、見知った顔が待っていた。


「おはよう」


 とてとて、と駆け寄ると、耳朶に心地よい声を掛けてきたのは学年一の美少女と名高いクラスメイトである相川 沙那。隣に居るのは、これまた学年ランキング上位に入る夏目 結衣。沙那が正統派の美少女なら、結衣はキツい印象を与えるクール系美少女だ。

 二人の制服の上からでも分かるスタイルの良さに、自身の子供体型に臍を噛む思いを味わう。は! いかんいかん。朝から暗黒面に堕ちるとこだった。恐るべし、美少女!


「いこっか」


 結衣の促しに、学校への歩みを進める。


「そういや、沙那。昨日、早退してたけど大丈夫だったん?」


「あ。うん。気分悪くなっちゃって、もう平気だよ」


 沙那が何でもないように微笑む。

 その笑顔の綺麗な事。同性の私でも眼福ですよ。


「そんならいいけど、LINEも既読中々つかないから心配した」


「完全に寝落ちしてました。ゴメンね」


 苦笑しながら、手をひらひらとさせるのを見て、気にしなくていいよ、って笑い返した。

 学校までの道半ば、結衣が大きく伸びをする。


「ん〜いつもより一本早いだけで、こんなに余裕なんだねえ。うるさいヤツらも居ないし快適だね」


「そうだね。早紀に誘ってもらって、良かったかも。明日からも、この時間にしようか」


「いつも坂本達に囲まれて来てるんだっけ?」


「そう! アイツら朝からマヂでウザイ! 断ってるのに、しつこいし! 馴れ馴れしいし!」


 声に怒気を若干含ませて、言う結衣に対して沙那がうんうん、と首肯する。二人が本当に嫌がってるのが、口調で良く分かった。

 以前にも、知り合って間もない、異性のクラスメイトでしかないヤツらに何故、名前呼びされるのかと憤ってた。実際に名前呼びを止めて貰うように話した事もあるらしいが、一向に理解が及ばなかったらしい。

 坂本を筆頭にした男子グループは身近に居る女子達を名前呼びする。因みに私は脇坂 早紀というのだけど、坂本達からは委員長と呼ばれてる。まあ、クラス委員なので間違ってはないんだけど、モニョるね。

 何だかんだ話してる内に校門に差し掛かった。


「あ」


 不意に結衣が小さく声を上げた。

 どうしたのか? と、結衣が見ている方向を見ると遠くに、黒い点。その黒い点は排気音を上げながら徐々に大きくなり、あっという間に視認可能出来る距離まで到達する。

 黒く塗装されたバイクは朝日に照らされ、眩いプリズムを道路に落としながら、私達の横を通り過ぎていく。

 明らかな超過速度が連れてきた風圧にスカートを慌てて抑える。


「もう!」


 結衣が走り去っていくバイクを睨み付けた。


「今のって、昨日転入してきた八坂くんだよね?」


「そうなの?!」


 大袈裟なぐらい、結衣と沙那が目を丸くする。


「家が遠いから、学校に許可を取ったんだって。放課後に話してたのを聞いたよ」


「そうなんだ」


 結衣は呟くように言い、沙那は何処か物憂げな表情をしていた。

 なんだろうな。かの転入生とどういう関係なんだろう。昼休憩の件といい、柚木先輩といい、聞いてみたいけど、興味本位で聞くには二人の雰囲気からして憚られた。

 沙那は乱れた、艶やかな黒髪を治すように手でかきあげる。その拍子に見慣れないピアスが見えた。


「ピアス変えたの? 可愛いじゃん」


 私が言うまで、結衣は気付いてなかったようで、どれどれ? と沙那の正面に回り込んだ。


「……紅。ねえ……沙那」


 珍しい事に、結衣の反応は芳しくなかった。

 その反応に沙那は拗ねるでもなく、困惑するでもなく、笑った。


「似合う?」


 少しだけ恥じらうように、新雪のような肌を染めての微笑みは蠱惑的で、扇情的に、婀娜めいて、魔性のように、私は勿論の事、結衣ですらゴクリと喉を鳴らした。



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「おはようー」


「おいっすー」


 教室のそこかしこで、声が上がる。

 いつもより早い時間に席にいる沙那と結衣を見て、たった今やってきた坂本達がガックリと膝を付き両手で顔を覆って嘆いている。

 大仰なヤツらだこと。沙那はドン引きしてるし、結衣なんか視線がナイフのようだよ。

 それでもめげずに話しかけに行くのは、タフだなぁ、と感心するけども。

 開放された窓から心地よい風ともに、鳥の囀りが聞こえてくる。


 ピリーリ。


 何の鳥だろうか。校庭にある木に止まっている。

 青く、お腹が白い。


「アオルリだな」


 いつの間にか来ていた八坂君が、ひとつ前の席で同じように窓を見ていた。物憂げな横顔がカッコ良くて、迂闊にもキュンとした。

 赤茶けた髪に、燃えるように紅く煌めくピアスはよく合っていた。


「そうなの?」


「渡り鳥だ。冬になる前にフィリピンの方に行くんだ」


「よく知ってるね」


「前に本で見た」


「幸せの青い鳥かなあ」


「あれのモデルはキジバトらしいぞ」


「何でも知ってるね」


「何でもは知らないよ。知ってる事だけ」


「その台詞は委員長である私が言いたかった」


 まさかの物語ネタである。彼との会話は楽しい。接穂を探さなくていい会話の何て、ストレスフリーな事よ。


「昨日から気になってたんだけどさ」


 昨日と言うのは嘘で、たった今気になったんだけど。

 顔色を窺うように、少しだけ声のトーンを落とす。


「その紅いピアスって、お洒落な感じだけど」


 偶然かもしれないけど、沙那が付けてきたピアスと同じ色。しかし、昨日の昼休憩の件が疑惑を一蹴させない。や。別に関係あったからと言って何でもないんだけども。ええ。色恋話に興味あるだけですとも。

 ただ、同じ色といっても品質的には八坂君のピアスの方が良さそうに見える。


「誕生石なんだよ。[yasa]って知ってる? そこのブランドから貰ったんだよね」


「[yasa]!? めっちゃ好きだよっ!

 え!? 八坂君て関係者かなんかなの!? 」


「テンション高っ」


 いきなり二トーンどころか、四オクターブぐらい振り切れてしまった声量にも彼は全く動じない。そんな事は些事であり、重要なのは[yasa]の関係者である事だ。

 推せる。

 八坂君は私の推しメンだ!


「おーい、委員長」


( ゚д゚)ハッ! と、して顔を上げると教壇で檜垣先生が苦笑いしていた。

 一瞬の沈黙の後、クラス中がどっと笑いに包まれた。この日、初めて自分の頬が朱に染まる音を聞いた。やらかした。

 後、何故だか沙那が不貞腐れた顔をして、こっちを見ていた。


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 特筆すべき事もない授業が一段落し、昼休みのチャイムが鳴る。

 購買、食堂に向かう生徒達は我先にと教室を出て行く。八坂君はリュックを手にして席を立った。


「八坂君、良かったら一緒に食べない? 沙那や結衣も一緒だし」


「や。今日は先約があるんだ。悪いね、また誘ってよ」


 即断即答だ。何の迷いもなく、学年一の美少女との至福で至高なランチタイムを無下に出来る者がいるとは、流石は私の推しメン。


「先約とは私の事かしら?」


 涼やかな風鈴の音が耳朶に入る。

 教室の引き戸に仁王立ちしていたのは、二学年一の美少女と評される柚木 美桜さんだった。昨日に引き続き、耳目を集める中で堂々たる足運びで、八坂君の前に立った。

 モデルをやってるだけあって立ち姿も美しい。ハーフという類まれな美貌とプラチナブロンドの髪も相まって、西洋人形のようだ。短くしたスカートから伸びる足は細く、長く、肌は白磁のよう。柚木さんはかなり背が高いが、それでも八坂君を見上げる格好となる。


「久しぶりですわね。裕也さん。一年振りぐらいかしら?」


「そんなもんかな。日本に帰って来てたんだな」


「去年の春には戻ってましたよ。連絡したのだけど、繋がりませんでした」


「前のスマホは壊れたからな」


 八坂君は肩を竦めた後、柚木さんの側を通りぬける。


「ちょ、ちょっと何処へ行くんですの!?」


「悪いな。先約は美桜じゃないんだ」


「婚約者を蔑ろにするほど、大事な先約なのかしら?」


 柚木さんが爆弾を落とした。

 一気に騒然となる教室。

 怨嗟の声の男子。

 黄色い悲鳴の女子。

 アリーナ最前列の私は何か「グゥっ」変な声が出た。


「ちょっ! ユウ! どういう事なの!?」


 沙那が鼻息荒く、端正な容貌を憤怒に染めて八坂君に詰め寄る。

 あれ? 沙那、キャラそんなんだっけ?

 それより、八坂君の事を名前で呼んだよね。しかも親しげに。

 坂本なんか狼狽えまくってて、ウケるんですけど。

 学年一の美少女の参戦により、一層混沌を増す教室。離れた席で結衣が何故だか、頭を抱えていた。そんな坩堝な中で、八坂君は嘆息をひとつ。


「もう、婚約者じゃないだろ? あの時、美桜が俺を拒絶した時に終わったんだ」


「……それは裕也さんが、勝手に思ってるだけでしょ」


 気まずい会話に喧騒な空気が、一気に沈静化する。

 柚木さんの顔が苦々しげなものに変わった。

 それから、八坂君は沙那に何事か言おうとするも「そういう事だから」と、短く言葉を切り、教室を出て行った。

 この如何ともし難い空気を残して。


「貴女。先程、裕也さんの事を呼んでましたけど、彼とはどんな関係なのかしら?」


 剣呑な光を琥珀の目に湛えて、切れ味鋭く、柚木さんが沙那を見据えた。

 相対する沙那は窓から入る陽射しの光を受けて、紫檀色の目で真っ向から応じた。

 これがアニメや漫画なら二人の間で、火花が爆ぜているはずだ。


「もしかして、裕也さんを裏切ったという幼馴染?」


 沙那が言葉を発するよりも先に、柚木さんがまたしても爆弾を投下する。いや、分かって言ってるのだとすれば、殲滅せんとする絨毯爆撃だろう。



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 冷ややかなリノリウムの廊下をひたすらに歩く。

 第一棟と第二棟を繋ぐ渡り廊下を抜けると、場所柄と時間的に、しじまが広がっていた。

 違う空間に迷いこんだような錯覚を覚える。



 ジジッ。ジジッ。


 頭の中でホワイトノイズが鳴る。

 と、同時に足元が揺さぶられるような目眩がした。立っていられなくなり、壁にもたれかかりながら、ゆっくりと腰を下ろす。


 ジジッ。ジジッ。


 摩耗した蝶番の不快な音。

 誰かが部屋から出て行く。

 俺はそいつが誰なのか知っている。

 硬質なブーツの足音が遠ざかっていく。


 ジジッ。ジジッ。


 彼女は裸身をベッドに横たえている。

 シーツも掛けずに、俺が居るにも関わらずに、その身を隠そうとはしない。

 しなかったのではなく、しようとしなかったが正解なんだろう。

 どちらにせよ、その質疑は重要なものではない。この部屋で何が行われたかは問うまでもなく、彼女の肌に、ベッドシーツの上に、明白に痕跡が残されていた。

 彼女は虚ろな目で、虚空を見ていた。

 頬には幾筋もの落涙の跡。


「……美桜」


 呼び掛けに反応はない。

 躊躇いつつ、一歩足を踏み出す。

 割れるように痛む頭と、嘔吐きそうになる不快さを無理矢理に留め、そこかしこに散らばった服を取る。

 集めた服を、彼女の肢体を隠すように置いた。そこで、初めて美桜が琥珀の瞳で俺を視た。

 微かに鬱血した唇からは、呪詛の言葉が紡がれる。


「貴方が居なければ、こんな事にならなかった。貴方が居なければ、壊れる事はなかった」


 視界が変わる。冷え冷えとした蒼の世界。

 身体が震える。身体中の熱が逃げていく。


「消えて。今直ぐに、私の前から消えてよっ!!」


 ジジッ。ジジッ。


 情景が戻った。

 リノリウムが伝える冷たさが、少しだけ平静さを取り戻してくれる。


 柚木 美桜。

 俺が壊した。

 彼女は俺が壊した。


 窓の外でアオルリの鳴き声がした。


 ピリーリ。


 脇坂 早紀との会話が想起される。


「幸せの青い鳥かなあ」

「あれのモデルはキジバトらしいぞ」

「何でも知ってるね」


 チルチルとミチルが幸せの象徴である青い鳥を夢の中で過去と未来の国に探しに行くが、結局、最も身近な所に居たという、メーテルリンクの青い鳥の話だ。


 ゆっくりと立ち上がってみる。

 足に力も入る。何処にも異常はない。

 問題ない。大丈夫だ。

 窓の向こうを覗いてみたが、アオルリはすでに飛び去ったのか、最初から居なかったのか、見当たらなかった。

 チルチルとミチルは青い鳥を見つけたが、俺には、きっと無理だろう。

 美桜が今更、何を想って近づいて来たのかは解らない。知りたくもないし、興味もなかった。


 ああ--------時間を無為にしてしまったな。

 俺は約束の場所へと歩みを進めた。





[レセプションパーティまで、後二十日]


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