命を燃やせ。時間よ溶けろ。

一縷 望

プロローグ お仕置きは、後で受けます

──後で僕の命が燃えて灰になっても、時間がいくら無駄になってもいい。

 

 だから、お願いです。


 もし神様あなたがいるのならば、僕に今だけ、力をください。あの人を、いや、僕の大切な人を救う力を。──


 

 真夏の深夜、暑さも和らぎ、皆が寝静まるころ。新月の闇の中、僕は自転車で目の前の車を追っていた。


 あいつらが高速道路に入る前に、どうにか追いつかなければならない。もし逃したら、あの人の命は消される。絶対に、そうはさせない。


 湿気を含んだ重い空気が、肺に負担をかける。いくら吸っても酸素が足りない。ふらついた僕のすぐ側を、街路樹が掠めていった。もうかなりのスピードが出ているのだ。


 そんなことを考えていたからか、僕は目の前のコンクリートブロックに気づかなかった。


 突然の衝撃に前のめりになったと思えば、次の瞬間には世界が反転し、高く飛んでゆく前輪と真っ黒い空が視界を占めた。手がハンドルから離れ、自転車が景色の中に置いてけぼりとなる。死の直前や事故の瞬間は、スローに見えると聞いたことがあるが、その通りらしい。全てが、とてもゆっくりと流れていった。


 だが、ここで死ぬわけにはゆかぬのだ。


 長年使ってこなかった筋肉が断裂するのを覚悟で捻り、体を回して膝から地面に着地した。アスファルトに擦った手と額がひりひりするが、関係ない。立膝をついて起き上がり、一歩、また一歩と踏み出す。足に激痛が走り、何か温かな液体が脛を伝った。だが、こんなものは、あの人の苦しみに比べたら大したことではない。


 己を奮い立たせるための咆哮と共に、駆け出した。


 あの車の後部座席にいるはずの、小さな命へ向かって。


 だが、車は次第に離れていく。やはり、人間の足では、限界があるのか。そう思った時、遠くで赤い光が煌めいた。気のせいだろうか。いや、あれは、確かに光っている。力を足に込めて、近づいていく。


 その光は、テールランプの光だった。


 車が、停止していたのだ。


 後部座席のドアが勢いよく開き、あの人が駆け出してきた。僕が膝をつくと、血みどろの胸にその人が顔を埋める。僕はひしとそれを抱きしめた。


 不意に赤い光が消え、車が走り去っていった。


 僕の腕の中からその人は、それに納得したような、動揺したような不思議な目で車を見送っていた。


 彼がこちらに向き直るのを待ってから、僕は彼の目を見て言う。


「さあ、もうひとつの人生を始めよう」


 その人の目に、もう迷いはなく、決意が滲み、溢れている。


 僕にとっても、君にとっても、良い人生となるように。

 



 






 

 


 






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