後編
お母さんは私が言おうとした事を見事に当てた。
「なんでお母さん知ってるの!?」
その言葉を待ってましたとでも言うように笑って淀みなく話してくれた。
「玲香のおばぁちゃんの名前はなーんだ」
63歳とは思えないほど若々しくて
小学生みたいに簡単なクイズを出てきた。
「笹川キヨ」
「その小説の小雪キヨさんはあたしのおばぁちゃん。大谷茂さんおばぁちゃんの事諦められなくてこの小説を書いたらしいのよ。茂さんの死後見つかったらしくてねそれから行方不明になってたらしいのよ『乙女心は雨模様』。」
本当は大谷茂さんはキヨさんと駆け落ちしたかったんだね……
でも現実はそうはいかないから絵空事のような小説を書こうとしたのだろうか。
私はお母さんからその話を聴くとしばらくその場から動けなくなった。
その夜、夢を見た。
昔ながらの古い家の縁側に私ともう一人、
柔らかく笑ってそっと私の手を握ったその男性は
優しく庭にほろほろと落ちていく小雪を見ながらそっと声をかけてきた。
「僕は地位もお金も持ってない、それでも君と何気ない日々を過ごしたい。一緒に笑ったり泣いたりご飯を食べたり出来たら幸せだな」
何を言えば良いのかわからなかったが、
私が誹謗中傷されたショックでニートになった事で忘れていた事を思い出させてくれた。
一緒にご飯を食べる人がいて一緒に愛する家族と暮らす家が私にはあるのに慣れすぎてわからなかったんだ……
小さな箱の世界に囚われた私は、現実で周りにある幸せを探せていなかったことに気付かされた。
植え付けられた他人の価値観の中で生きていたのだ。植物人間。
私の右手を握ってくれた男らしい大きな手はとても優しい。
ついつい知らない人なのに温かいその肩にもたれかかってしまった。重力に負けて私の涙が男性の紺色の着物に染み込む。
何があっても護ってくれそうな両手が私の体をもっと近くに引き寄せて包み込んでくれた。
「そうですね」
柔らかくて少し温かいものが唇に触れたような気がした。
だんだん意識が遠のいていく……
そうですね………………
もっと一緒に…………
いた…………
……………
私はハッと目を覚ました。
枕が涙でぐしょぐしょに濡れていた。
鼻が詰まっていて息が出来ない。
横に置いてあるデジタル時計を見ると朝の6時半だった。
ガラガラと近所の人がシャッターを開ける音が聴こえてくる。
窓の外では木漏れ日が猫の背中に映り虎のように見えた。
周りに耳を澄ますと今まで聞こえなかった事や見えなかった事が色々出てくる。
あれ、なんか今日いつもと違うなぁ……
なんでやろう?
「玲香おはよう、昨日言ってた古本屋さん一緒に行くで!!」
母がワクワクしたような顔でウォーキングする時に着るおそろいのジャージを私に差し出してきた。
「うん……わかった、着替えるからちょっと待ってな」
「
散らかってものが散乱した部屋に落ちて丸まった原稿用紙と文房具を63歳とは思えない軽やかな動きで避けて、お母さんは部屋を出ていった。
私はベッドの横に置いてある小説を一応持っていこうと思って、
小説と色んな種類のゼリーが入った箱を紙袋に詰めてお母さんとおそろいのジャージを着て玄関に向かった。
「お母さん行こっか!」
「玲香あんた何持ってんの?」
「あの店のおばぁちゃんに渡すお土産と小説」
「ふーん、お母さんもゼリー食べたかったんやけどなぁ……帰りスーパー開いてたらエクレアとか買いに行かへん?」
「うん、せやな!」
私とお母さんは朝の澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込むと新しい朝を迎えた。
「お母さん靴新しくしたん?」
「よぉ気づいたなぁー!最近近くの靴屋さんで閉店セールやってたから買ってん!!」
「へーぇ、
「ありがとう!いい靴はいい場所に運んでくれるで!!」
無邪気に笑うお母さんは幼かった私を連想させた。
人は赤ちゃんから始まって赤ちゃんに終わるんかも
朝の挨拶を散歩ついでに挨拶しようと思って
中村書店に寄った。
ガラス張りの外から丸見えの
百均で売ってるような昆虫ゲージの中に枯葉と共に何が虫が入っていてそれを写真に撮って
「挨拶しに行かんでいいん?」
「うん……やっぱりえぇわ。古本屋さんこの近くやし行こ」
「お母さんが先に行くわ!新品の靴やしなんかえぇ事があるかもしれへん!!」
「ちょっと待って!先行かんとってや……もぅあとからゆっくり追いかけるわぁ……」
お母さんはトコトコ早歩きで古本屋さんの方角へ行ってしまった。元気やなぁー。
池のほとりにある木立はザワザワとお互いに触れ合って音奏でている。
亀が岩の上で気持ち良さそうに甲羅干しをしている池の下の方には二匹のモンシロチョウが飛んでいた。
思ったより早く到着したと思ったらそこには
『古本屋 柊』の姿はなかった。
その代わりに青いアサガオが咲いている。
とても美しくて、お母さんが話しかけてくれてる事に気が付かないくらい見とれてしまった。
「おーい玲香!!聴いてんの?お店ないなぁ!!
ホンマに此処で合ってんの?」
お母さんが私の耳に口を近ずけてしゃべっている。
「おばぁちゃんにお土産渡されへんくなったわぁ……どうしよ!!」
私はおばぁちゃんに、貰った小説を紙袋から取り出すとペラペラめくっていき、一番最後のページを開いた。
そこには昨日には書いていなかったはずの物語の続きが書いている。
『小さい家の縁側に僕ともう一人、
小さい手をした守ってあげたくなる幻のような女性に声をかけた。
「僕は地位もお金も持ってない、それでも君と何気ない日々を過ごしたい。一緒に笑ったり泣いたりご飯を食べたり出来たら幸せだな」
すると女性は僕の肩にもたれかかって静かに涙を零した。その姿は儚くて哀しくて、一生を共にしたいと思った。
気がつくと僕はその女性を抱きしめていた。
これが今の僕にできる精一杯の感情表現だからだ。
海と陸が接する渚で出会ったような人。
「そうですね茂さん。私ももっと一緒にいたいです」
硝子のように優しく傷つけないように接吻した。
ほろほろと
その時、おばぁちゃんが私に言ったことをふと呟いた。
「『乙女心は雨模様』は大谷茂さんの人生そのものなんやなぁ……」
お母さんが何かを懐かしむように目を細めて言った。
「そうやねぇ」
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