旦那たちの愛を見届けろ/14

 独健のはつらつとした若草色の瞳は、今や焦りを見せていた。広い部屋に夫二人きり。かくれんぼのルールは、相手に好きと言って、キスをする。


 それなのに、自分は廊下側の壁にもたれかかったまま。紺の肩より長めの髪を持つ光命は、反対側の窓際に優雅に佇んでいる。


 もうどれくらい時間が過ぎたかわからない。時計など持っていないし、計りもしない自分だから。だが、感覚として、一時間近くにはなっているだろう。


 お互い動くこともなく、話すこともなく。それどころか、光命は独健に見向きもしなかった。


 どこかの高貴な城の窓枠に、グレーの細身のズボンの片足で腰掛け、百九十八センチの背丈だからこそできる、茶色のロングブーツを履くもう片方の足で横座りを大きくするように窓に寄りかかりながら、綺麗な角度をたもって、大理石の床で体を支えている。


 冷静な水色の瞳はどこまでも冷たい。人々を魅了するガラス細工の花のような儚く秀美な顔は横を向いたまま。


 物憂げに窓の外を眺める王子――


 指先から髪の毛の一本まで取っても眉目秀麗で、まるで映画のワンシーンを見ているようだった。


 作曲家でありながらピアニスト。その容姿の美しさだけでも、人々を魅了する、この優美な男は。


 遊線が螺旋を描く男性としては高めで、独特の響きを持つ声色は、この部屋に入ってきてから、ずっと息を潜めている。


 そんな夫に見惚みとれそうになるが、とにかく今はかくれんぼである。独健はひまわり色の髪をかき上げて、部屋を見渡す。


(何から話せばいいんだ?) 


 小さなおもちゃ箱のすぐ隣で、アーミーブーツは何度か大理石をその場で踏み鳴らし、手首に巻きつけているミサンガが、ミリタリー ズボンの脇ポケットに出たり入ったりを繰り返す。


(いきなり言うのもな。ムードがないだろう?)


 戸惑い気味の影がさしている若草色の瞳には、濃い紫のシャツにピンクのストールをエレガントに首からかけている、どこからどう見ても王子様にしか見えない夫が映っていた。彼のしている結婚指輪が放つ小さなシルバー色が目に染む。


(光が話してくると思ったんだが……。光も恥ずかしがってるのか? 珍しいな)


 視点はぐるっと反転する――


 冷静な水色の瞳は、細い指先で開いたレースのカーテンの隙間から、夜色がかっている窓にずっと向けられていた。


 光命の中性的な唇は動くことはなく、紺の髪が肩へ落ちるたび、耳にかけるだけを繰り返す。だが、その手のひらの中には、マリンブルーの数字盤を持つ懐中時計が常に握られていた。


 ――十七時十五分十五秒。あと、八分三十秒。


 他の夫たちの到着地点を探り、光命は自身との距離を測る。


 八人全員、玄関ロビーにいる。

 私たちが最後であるという可能性が九十九.九九パーセント。

 私は勝った――


 負けず嫌いの王子さま。そんな彼の冷静な水色の瞳は、真っ暗な外の景色など見ていなかった。


 その手前の、今は鏡のように部屋が映り込む窓ガラス。その中に立ち尽くしている、ひまわり色と若草色の瞳を持つ夫だった。


 時計を持ったままの手は人差し指を軽く曲げて、細いあごに当てられる――思考時のポーズ。


 窓の外を見ているふりをしながら、ガラスというワンクッションを置き、夫の様子をさっきから、デジタルにうかがっていた。


(独健が右に動いたのは、こちらの部屋に入ってきてから、十七回目。左に動いたのは十八回目……。髪をかき上げる仕草は、九回目。ズボンのポケットに手を入れるのは、六回目。視線の動き……)


 視点はぐるっと再び反転する――


 独健は二回目のかくれんぼが始まる時。主導権を握れる瞬間移動をかけようとした時のことを思い返していた。


 サッカー好きで、自分はどちらかというと体育会系。光命は音楽家で、インドア派。運動などしているところを見たことがない。乗馬ぐらいだ。


 瞬発力には自信があった。夫十人中、一、二を争う速さだ。だが、この優雅でありながら、同じく俊敏な策士にやられたのだ。


 颯茄のカウントダウンとともに、瞬間移動を独健は光命にかけた。しかし、ロックがかかっていたのである。


 いや落ち着いて考えれば、夕霧命に武術の何かの技で、他の人に勝手に動かされない方法を使ったのかもしれなかった。


 連れて行こうとしたが、先手を打たれていた。驚いている隙に、独健は光命の望む場所――この部屋へと連れてこられてしまったのだ。


 光命の髪と瞳の色と寄り添うような、青を基調にした空間。二人の間には、優雅な夫の分身ともいうべき、グラウンドピアノが神秘的な黒の光を放っていた。妻の裏をかいた隠れ場所。


 視点はまたぐるっと反転する――


 十七時十八分十五秒。あと、五分三十秒――。


 窓に映る独健の隣で、冷静な水色の瞳はついっと細められた。


(独健は落ち着いていないように見える。そうですね……?)


 そうして、紺の髪の奥にある、全てを記憶するデジタルな頭脳の中で、土砂降りの雨のようにデータが流れ出した。神業のごとく必要なものだけを拾い上げる。 


(それでは、こちらのようにしましょうか)


 ここまでの思考時間、0.1秒。レースのカーテンを押さえていた指先は何気ないふりで外された。几帳面な性格のはずなのに、少しの隙間を残して、光命は今初めて、独健へ顔を向ける。優雅に微笑み、遊線が螺旋を描く芯のある男の声で、二人きりの部屋の静寂を破った。


「どうしたのですか?」

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