旦那たちの愛を見届けろ/5
大騒ぎのプールがある場所とは、屋敷のほぼ反対側にある芝生の上を歩いている靴が二組あった。背丈も歩幅も一緒。だが、まったく違う歩き方をしている靴たち。
前を歩くのは、男らしくつま先を左右に広げ、ウェスタンブーツのスパーをカチャカチャと鳴らしながら、豪快に芝生を踏み分けてゆく。
後ろからついてくるのは、音がまったくしない。芝生を踏んで歩いているのに。モデル歩きのように交差するまではいかないが、綱渡りのように一直線な足運びの裸足に草履。
ペンダントヘッド、指にはめた太いシルバーリング六つ。ウォレットチェーン。金属音ばかりの明引呼はカウボーイハットを片手で押さえながら、少しだけ振り返った。
「隠れんのにいいとこあんぜ?」
自宅だ。どこにどんな場所があるのかは知っている。袴の袖も裾も音がしないほど静かに歩いている、夕霧命の地鳴りのような落ち着いた声が、不思議そうに聞き返した。
「どこだ?」
夕闇色に染まるガタイのいい男の背中を、無感情、無動のはしばみ色の瞳で追いかける。鋭いアッシュグレーの眼光は建物の角にターゲットを絞っていた。
「オレについてきやがれ」
しゃがれた声を最後に二人は何も言わなくなった。
ウェスタンスタイルと袴姿の体格のいい夫たちは、時々もれ出ている部屋からの明かりに照らされたり、星が
あと一歩で建物の角を曲がり、人気のない庭の影に入るというところで、明引呼の厚みのある唇の端がニヤリとした。
(無防備についてきやがって。襲ってやっか?)
振り向きざまに、すぐ後ろを歩いていた夕霧命の首筋に向かって、左腕をストレートパンチを食らわすように素早く伸ばした。
「っ!」
明引呼は夕霧命の首を自分へと強く引き寄せ、そのまま二人とも芝生の上に倒れようとした。
無感情、無動のはしばみ色の瞳は驚くどころか、一ミリも視線は動かず。夕霧命の呼吸は何ひとつ乱れることなく、体が勝手に反応する。
(くる。右斜め前)
それはほんの一瞬の出来事で、伸びてきた明引呼の腕の内側から外へ払うように、夕霧命の右手が持ち上げられた。それ以外に武道家の揺れ動いたものは、右の袴の白い袖だけだった。
二人の腕が触れるか触れないかの
「っ!」
明引呼は息が詰まったのと同時に、いやそれさえも気づけないうちに、五感どころか、思考も全て寸断され、暗闇と無音が訪れた――
どれくらい時間が過ぎたのだろう。息苦しさを覚えて、明引呼は意識を取り戻した。
「っ……」
すぐ近くで、夕霧命の地鳴りのような低い声が振動を持って響いた。
「すまん」
武術をするから、合気モードになるのではない。合気の中で、夕霧命は常に生きている。夫夫でもいきなり手を伸ばされたら、体は修業という名の反射神経で勝手に動き、技をかけてしまう。
気をつけてはいたが、夕霧命は十五年しか生きていない。性格はまっすぐで正直。対する、明引呼は二千年以上も生きている。駆け引きもして瞬発力もある。
少しずつ正常化してくる意識と呼吸。カウボーイハットは芝生の上に持ち主を失って、一人ぼっちで落ちていた。
「……いいぜ」
何とか話せるようになった明引呼の視界には、夕霧命が着ている袴の白い合わせ目がすぐそばにあった。
月が見え始めた、庭の芝生。夫二人きりの建物の影で、夕霧命の胸の中に、明引呼が力なく倒れ込んでいた。
乱れていた呼吸も、途切れてしまった意識も完全に戻り、急接近している夕霧命の腕の中から起き上がり、明引呼は口の端でふっと笑って、こんなことを言う。
「っつうか、寄っかかってるだけってか? 地面に伸びてんのかと思ったのによ。まぁ、記憶はマジで飛びやがんな」
芝生の上からカウボーイハットを、片足を後ろへ蹴り上げる形で拾い上げている、明引呼が何をしてきたのかわかって、夕霧命は珍しくため息をついた。
「……罠だった」
「今ごろ気づきやがって」
兄貴は負けたりはしない。一か八かの綱渡りのような境界線の上で、ギリギリでノックアウトを交わすようなスリルをわざと味わいながら、全速力で生きている。
一日中武術のことばかり考えている夫に、むやみやたらに手を出したら、今みたいになるのくらい百も承知だ。
動と静。真逆の二人。プロポーズされた男も違う。夕霧命は光命。明引呼は月命。顔と名前は知っていたが、お互い好きだったわけではない。愛している男と結婚したら、配偶者となった男。
夕霧命は明引呼の内側――性質は見えている。そうでなくては、今のように技はかけられない。だが、動機という心情は武術ではわからない。
「なぜした?」
返答次第では許さないだろう、夕霧命は。宙を一回転させて投げ飛ばす技だ。今は途中で止めたから、バランスを少し崩して、寄りかかった程度で済んだが。受け身も知らない、武道もしていない相手にかける技ではない。
「そりゃ、合気っつうもんがどんなんか体験したかったからだろ? 何度頼んでもよ、夕霧が断ってくるからよ」
兄貴は単純に気になったのだ。自分がしたこともない、いや落ち着きのない自分が、極めることが決してできない武術が。
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