第2話 天使長ラファの指令。

 ――天界。

 それは白の世界。

 地は常に雪に似た白銀が広がっている。

 街並みをつくる建物は神話の中の神殿もかくやとばかりに無垢。

 む者もまた百合のように純白で美しい。

 そして空でさえも――白、シロ、しろ……。


 数ある建造物の中でも、天をくほどの高さをもつ白亜はくあ尖塔せんとうが街の中心にそびえ立っている。

 その頂上にあるフロアの主に、少年の姿をした天使ミカエルは呼び出されていた。



「良く来てくれましたね、ミカエル。私に会いに来てくれて嬉しいですよ」

「ふん……自分で呼び出しておいて、どの口が言うのやら。相変わらず頭の中も真っ白なんですか、ラファ天使長?」

「ふふふ、相変わらず元気そうで何よりですよ」


 この世界における王、つまりトップクラスの権威けんいをもつ者に対して不遜ふそんな物言いをするミカエル。

 そんな彼に対し、ラファ天使長と呼ばれた長身の男性は不機嫌になることも無く優し気に微笑ほほえんだ。


 人間であれば20代ほどに見える彼はミカエルが皮肉ったように……いや、他の天使たちと同じように、真っ白な外見をしている。

 シルクのような上質な貫頭衣かんとういを着ている眉目びもく秀麗しゅうれいな彼は、全てを愛する優しさとけがれを許さない厳しさを持ったオーラをまとっており、信心深い者が見たら反射的にひざまずいてしまいそうだ。


「それで? ボクをわざわざこの天界の中でも最も退屈たいくつな空間に呼んだ理由は?」

「相変わらず連れないですね……。人間界と魔界まかいふくめても、もっとも美しい部屋だというのに」


 ラファは残念そうな言葉とは裏腹に、嬉しそうな声調トーンをしながら辺りを一瞥いちべつした。

 ミカエルの言う通り、この部屋――何故か地の果てまで延々と地面が広がっているが――は王がむ部屋にしては物が少なすぎる。

 あるのは白い大理石のテーブルに椅子いす、白いティーカップ、そして陶磁製のポットのみ。

 ちなみにカップの中身はミルクのように真っ白だ。


 そしてそれ以外にはラファとミカエル以外は何も存在せず、あまりにも殺風景な世界が広がっている。



「本当にまらない空間だよね。天使長の権限で模様替もようがえとかしないの?」

「ここは神よりあたえられし、天使長のための部屋。最も精白せいはくな者がまう、清浄せいじょうな場所なのです。……それは貴方も良く知っているでしょう?」


 ミカエルは「だからこそ詰まらないって言っているんだけどね」と目が笑っていないラファに聞こえぬようにボソっとつぶやいた。

 付き合いの長い彼には、目の前の心優しい天使長は神に関する悪口を言うとすぐにキレると知っているからだ。

 これ以上余計なことを言って、無駄に拘束こうそく時間を増やされるのはミカエルも本意ではない。



「……ふぅ。まぁ小言こごとはこの辺にしておきましょう。それより用件を伝えておきます。貴方、また人間界で不用意に能力ギフトを使いましたね?」

「やっぱりそのコトか。まったく、リィンめ。ボクの弟子なら上手く誤魔化ごまかすとか、もうちょっと気の利いたことをしておいて欲しいんだけど……」


 この場には居ない、あの明るくやかましい少女を思い浮かべるミカエル。

 しかしあの能天気のカタマリみたいな子がそんな忖度そんたくをできるはずがないことを思い出し、深いため息をく。



「私だって年上の貴方に一々こんなことを言いたくはありませんよ。これは天使長という立場だけではなく、昔からの友人、ひいては貴方の後輩こうはいとしてご忠告申し上げているのです」

「はいはいはい。分かってるよ、分かってますって。ラファ使


 どうしてボクの弟子や後輩というのは小うるさいヤツばっかりなんだ、と心の中で愚痴ぐちるミカエル。

 だが、もしその声が弟子たちに聞こえていたらきっと「貴方に似たからですよ」と答えていただろう。

 それに、ラファ天使長のいう事ももっともなのだ。


『天使はシロのココロを持ち、常に潔白であれ。そしてそのシロを世に広めよ』


 白は、それ以外はあらずとして認めない。

 天使とは、異常とも思えるほどに潔癖けっぺきな生き物なのである。


 逆に魔界に棲む悪魔あくまはクロを信奉しんぽうしている。

 彼らは善性を持つシロをきらい、やみひそむ。


 シロとクロ。

 まるでオセロのように、通常はどちらかのイロでしか存在できない。

 人間のように混沌こんとんとはなれない生き物なのだ。

 それは人間が死ぬとき、生前の行いによって必ずどちらか一方に生まれ変わるから、という理由もあるのだが。


 ――そして天使も悪魔も人間と同じようには生き、そして死ぬ。



「天使はクロと呼ばれる悪行をすると次第に黒く染まっていき、最終的には闇に飲み込のみこまれてこの世から消失ロストしてしまうのは御存知ごぞんじでしょう。私は貴方ほど偉大な天使が消えてしまうのはしいのです」

「それはキミにとって都合の良いこまが消えるから、だろう?」


 じとぉっとした目で素知らぬ顔をする天使長を睨むミカエル。

 ラファは彼の言葉を否定も肯定もしない。


「後輩の私を身代わりにして、面倒な役職から逃げ出にげだした貴方がそれをおっしゃいますか」

「……相変わらず大人しそうな見た目に反してよくしゃべる口だ」


 皮肉の応酬おうしゅうを笑顔で交し合う2人の天使。

 どう考えても天使というより小賢こざかしい子どものようだが、これでも彼らはこの天界のトップクラスに長命で重鎮じゅうちんだ。



「まぁ、これ以上言っても貴方の考えが変わることは無いと私はもう諦めました」

「それは今日一番の朗報だね」

「――なので、貴方には命令を下すことにいたしました。この私の天使長権限で」

「……えっ?」


 普段は慈愛じあいもった笑顔しか向けない天使長も、今回ばかりは悪魔のような笑みを浮かべていた。

 それほどまでに、この問題児ミカエルに散々手を焼いていたのだろう。


「天使ミカエルよ。貴方には人間界にある日本という島国で、悪魔討伐及びクロの影響を受けた人間の浄化につとめるよう命じます。期間は。更にサポートとして、見習い天使であるリィンを連れて行きなさい。――任務はこれで以上です」


 突然とつぜんの命令に言葉を失くし、呆然ぼうぜんと立ちつくしてしまうミカエル。

 期間の指定なしで人間界に行けというのは、イコール天界からの追放だ。

 シロを好む天使にとって、これは消滅刑しょうめつけいに次ぐ最も重たいばつと言ってもいいだろう。

 しかし、これを言い渡いいわたされたミカエルはと言えば――


「ふふっ、ふふふふ……。そうか、そういうことなんだね。ありがとう、ラファ。やっぱりキミは最高に天使良い性格をしていると思うよ」


 他の天使が聞いたら卒倒そっとうしそうな命令だが、彼は心から喜びの声を上げた。


 ミカエルの心理構造は普通の天使とは異なっている。

 何故なら彼の行動原理は、親友の復讐と復活の為のエネルギーを人間界でかき集めることなのだから。


「友人に過度かどなお礼は結構ですよ。それより貴方が探していた、あの天界最大の大罪人が日本で目撃されたとの情報が天使ブエルからありましたのでね。どうです、願ったりかなったりでしょう?」

「それは本当!? いや、監視塔のブエルが言うなら確実だよ。……そうか、やはりあの日本にひそんでいたんだね。ふふふ、ようやくだ。漸くアイツのかたきをとれる時が来たよ……」


 長年の時をて、目的の一つを果たせるきざしが見えたことでくらい喜びの声を上げるミカエル。

 その一方で、白いはずの彼の目が黒くにごり始めていた。


「ミカエル様、うらみの感情をつのらせるのはそこまでにしておいてください。貴方までクロにちてしまったら、私は貴方をこの手でめっさなければならなくなる」

「ん……。ごめん、ごめん。つい、ね……悪いんだけど、この件は他の天使にはだまっていてくれないかな?」


 クロを嫌悪けんおしている天使にとって、一部分であっても今のミカエルのように黒く染まることは穢れであり、おそれでもあるのだ。

 当然、知られないのにしたことはない。


「そんなあざとい態度をワザワザしなくても、ちゃんと分かっておりますよ。その代わりとは言っては何ですが……」

「あぁ、クロの因子を持って生まれてしまった天使リィンの事は任せておいてよ。というより、今回ボクについて来させるのもそういう理由だろう?」


 図星をかれたのであろう。天使長ラファは、悲し気なひとみを浮かべながら謝罪する。


「すみません。天使長である私でも、一人では彼女を守り切るのは難しいのですよ」

「気にしなくても大丈夫。彼女はボクの目的を達成するためにも、絶対に欠かせない存在だしね。マガイモノ黒白同士、せいぜい仲良くやるさ。――それにもし彼女がクロに堕ちたときは、ちゃんと師匠ししょうであるボクがから」


 自身の部下であるはずのミカエルに「よろしくお願いします」と深々と頭を下げるラファ。

 そんな彼に手のひらをヒラヒラとって返事をしながら、ミカエルはこのシロの空間からかすみのように薄く溶けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る