相模の獅子、龍虎を喰らい天下を目論む

その首、もらった

※関東の情勢は日本一複雑なので、少し説明を入れてあります。一応、上杉氏のことは高校の日本史の範囲なので、知っている方は飛ばしてもらっても構いません。

　※関東の情勢は日本一複雑なので、少し説明を入れてあります。一応、上杉氏の件は高校の日本史の範囲なので、知っている方は飛ばしてもらっても構いません。

　北条家は比較的歴史の浅い武家である。

　初代の北条早雲は、本名を伊勢新九郎盛時といい、今川家に仕える有力家臣だった。彼は今川家の後継者争いで手柄をあげて駿河の東部を領地として拝領すると、独自の軍事行動を起こして東へと侵略を開始。

　伊豆を平定した後、鹿を狩るための勢子 (猟師のようなもの)を入れると偽って小田原城を取り囲み、小田原まで手に入れてしまった。

　早雲は最終的に伊豆と相模を手に入れ、息子の氏綱にバトンタッチ。彼は上杉氏の内紛に乗じて武蔵野河越城を奪い取り、一気に領土を拡大した。

　ここに出てくる上杉氏とは上杉謙信の上杉氏とはまた別だ。

　足利尊氏が後の室町幕府を開く際に、関東は関東で幕府とは別の統治組織を置いた。鎌倉幕府が置かれていたこともあって、関東とは武士にとって他とは重要度が違ったのだ。

　そうして置かれたのが鎌倉府。その長官を鎌倉公方と言い、補佐官を関東管領と言った。初代長官には尊氏の息子である基氏が就き、関東管領には伝統的に上杉氏が就任していた。

　が、この鎌倉公方は強大な権力を持つがゆえに幕府と対立。それを諫言したりする関東管領ともしばしば対立し、足利持氏の時には大規模な戦にもなった。

　応仁の乱の際には、足利義政は鎌倉公方の懐柔を計って、足利政知を派遣して彼を鎌倉公方に就任させようと画策。この結果生まれたのが、政知の堀越公方と、元々鎌倉公方であった成氏の古河公方である。

　さらに、関東管領も山内上杉氏と扇谷(おうぎがやつ)上杉氏に分割。以上の4家が争い合うという構図があった。

　先述の北条氏綱は、堀越公方を倒した。当初、その動きは敵対関係にあった他の公方や上杉氏から歓迎されたが、強大な力を持つ北条家を次第に敵視し始めた。

　そして1545年、今川義元と結びついた古河足利、山内上杉、扇谷上杉は連携して北条攻めを敢行しようとしていた。

〜〜〜〜〜

　今川義元がついに河東に攻めてきた。氏康はただちに兵をまとめて西へと向かった。それと同時に同盟を結んでいる武田晴信に仲介を求め、第二次河東の乱が起こった。

　北条家は現在駿河の一部、伊豆、相模、武蔵の一部、下総の一部の合計95万石を治めている。対して、今川義元は駿河、遠江を支配する55万石の大名。まだ領内に反発する勢力があるので、55万石に値するような国力があるかは疑わしいが、北条家に対抗できる大名家であることは間違いない。

　それに、北条は東部を両上杉や古河公方によって脅かされているため、本領発揮できない。つまり、動員できる兵力が限られているのだ。

　そんな中でも氏康は幻庵、綱高、富永直勝、多目元忠、風魔党、俺を動員。合計で4000人を動員して件(くだん)の河東へと駆けつけた。

「物見の報告によると、相手の兵力は8000人にも及ぶそうです。」

　数日かけて小田原から駿河の端に到着して軍議を開催すると、そんな情報が出てきた。普通に考えれば、この兵力差を逆転させるには策が必要となってくる。だが予想に反して、

「よし、お前らの意見はよくわかった。だが、策は講じず行こうと思う。異論はあると思うがわかってくれ。」

　と氏康は各々家臣が話し合う中で、そう結論づけた。

「あのバカ殿は何を考えているんだか。」

　軍議の帰り道、老臣の何人かはそうぼやいていた。俺や元忠、富永直勝などの比較的若い武将は氏康のことを全面的に信用していたから何か理由あっての無策なのだろうと思っていたが、老いぼれから見たら頼りないのだろう。

「なあ、道之助君はどう思うかね？」

　トボトボと歩いていると、直勝が声をかけてきた。彼は30歳半ばほどで、真面目な性格をしている。氏康をかなり慕っているようで、武勇に優れ、北条五色備の青備えを担当している。最近俺のことを気に入っているようで、会うたびに話しかけてくる。

「御屋形様は何か考えがあるんでしょう。」

「例えばどんな考えだ？」

「そうですね…。長期的な視点が御屋形様にはあると思います。」

「つまり…？」

「うーん。良くも悪くも、御屋形様は周りの大名からその力量を過小評価されています。今回勝ってしまったらその評価は覆ります。

ですので、ここは最小限の被害にとどめて次の戦で全力を出し尽くす。そういった戦略かもしれません。」

　問い詰められて、苦し紛れの返しだ。しかし、直勝はその考えに大変感心したようで、

「なるほどな。その考えはなかった！流石は策士だ。今回の戦いはそう重要ではないからな。河東を返還するのは既定路線。生産高も河東は5万石ほどしかない。

だが、武蔵方面は取られたら北条家の生命線が脅かされる。もし道之助君と御屋形様と考えが一致しているなら素晴らしいな。」

　と絶賛してきた。適当に作った話ではあるが、油断させるというのは戦術においても重要で、あり得ない話ではない。

〜〜〜〜〜

　戦いは唐突に始まった。

「伝令！伝令！前方から今川義元率いる7000ほどの軍勢が迫ってきております！」

　うちの陣にも伝令が飛び込んできた。指揮権は俺と通泰で分割しており、お互い同等の権限を持っている。

「若、我らの軍は後詰の役割を担っております。御屋形様の指示が出たらすぐに動けるように準備しましょう。」

　通泰はそう言って俺を落ち着かせた。俺の手は自分の知らないうちに震えていた。目の前に戦場が訪れ、緊張や不安や恐怖に支配されてしまっていた。

　もし、以前の俺だったら、平和ボケした現代にいた頃の俺だったら、きっと今の恐怖に支配された俺を笑うだろう。何をしてるんだ、実力を発揮するチャンスだろう？と。

　もちろんそのとおりだ。震えていても怖がっていても、戦はやってくる。だったら、堂々と構えて冷静に状況を把握した方がいいに決まってる。だが、理屈ではどうしようもないような感情が俺にまとわりついてくるのだ。

「ええ、大丈夫です。俺だって男ですから。」

　そうは言ってみたものの、震えは収まらない。かっこ悪いところは見せられないと思えば思うほど震えは激しくなっていった。

　閃撃部隊は先鋒には絶対にならず、戦況がある程度確定したところで、切り札として投入される部隊だ。その戦況をひっくり返すだけの力を有している。というのも、傭兵や農民兵は一人もおらず、全てが訓練された正規兵。いわゆる精鋭部隊なのだ。

　今回も今川義元の先鋒部隊と北条の富永直勝や北条綱高率いる先鋒部隊がぶつかり合い、戦況が整ってきたところで、出動命令が下った。

　直勝や綱高は全国でも通用するような戦上手。前線では上手くやっていた。

　槍と槍がぶつかり合い、あるいは刺されたりしたのか、断末魔のような声が前方から聞こえる。戦場では槍を使って戦うのが基本。俺もここ3ヶ月ほどはずっと槍術を鍛えてきた。

「我々は左から側面攻撃をしましょう。左方面は敵が密集しています。さらに、味方の攻めが甘いようです。

ですので、ここを突けば敵は大打撃を受けるはずです。」

　通泰は戦況を瞬時に分析してそう提案してきた。よく見れば確かに、北条軍は右側から多く敵が突撃してくるので、そちらを庇うように戦っている。

「今川軍は右側から攻撃を仕掛けて俺たちをそちらに集中させて、その隙に左側から一気に畳み掛けようとしていたわけですか。」

「その通りだと思います。あの密集した敵はすぐにこちらへ向かってきます。我々が止めねば。」

　戦術の勉強はしたが、実際の戦場を見るとそれがいかに役に立たないかが身に沁みてわかる。戦場ではどれだけ冷静に頭を使うかと、経験値がものを言いそうだ。

　そして、俺たちは左側へ整然と移動し、ついに戦端が切られた。

「なッ、これは閃撃部隊か…！」

　相手の密集した部隊を率いていた将はそう言って俺たちを見て、軽く戦慄する。いきなり攻撃を仕掛けられたことで、将だけでなく兵も混乱している。

「若、私も前線へ出ます。指揮は若に任せますよ。」

　通泰はそう言って俺を置いて前線へと出た。俺に指揮をさせてみようという試みだろう。俺は周りを確認しながら必死に部隊に命令し続けた。

「おい、そちらから大勢敵が来るぞ！気張れ！」

「包囲されないようにその群集した敵兵を蹴散らせ！」

「そうだ、前へ前へと押し出していけ！前方部隊が孤立しないように、右翼左翼も敵を押し出し、退路を確保しながら進め！」

　この閃撃部隊の兵力は100。交戦している敵兵の数は300ほどはありそうだ。こうなると、包囲されたら即終了で、逃げたい時に逃げ出せるように準備しながら戦わねばならない。

　俺の指揮はどうやら上手く行っていたようで、閃撃部隊はどんどん敵を切り崩していく。相手は農民兵もあわせた雑兵。しかし、こちらは正規兵でなおかつキツい訓練を施された精鋭だ。

　この閃撃部隊はすべての兵が強い絆で結ばれており、非常に連携も上手く行っていて強い。というか戦況を見ていて思ったが、本当に強すぎる。嬉しい誤算であった。

　常に閃撃部隊が相手部隊を押し続ける中、部隊は陣形を保ちづらくなり、押してはいるが、一旦立て直しても良いと思い始めてきた。そんな時、混乱した戦場の中、俺を目掛けて雑兵が一人飛び込んできた。

　どうやら、指示を飛ばす俺を指揮官と認識した様子で、閃撃部隊の兵らの隙間を掻い潜ってきたようだ。

「その首もらった！！」

　農民兵ではなく、武士と思われるその兵士は槍を俺に向かって突き出してきた。邪魔なので槍を持っていなかった俺は、慌てて刀を抜いて槍の穂を抑える。

　槍と刀の戦いではリーチが長くて殺傷力の高い槍が十中八九勝ってしまう。だが、初撃の槍の突き出しを抑えた場合はぐっと勝率が上がる。

　俺は通泰に言われたことを思い出した。槍はリーチが長いが、間合いに入られたときの対応が難しいというニュアンスのことを言っていた。なので、隙を見て前進。槍の柄の部分を刀で抑えながら近づき、十分に相手に近づいたら、一気に首元に斬りかかった。

「ぐぁぁぁぁ…。」

　いつか見たゾンビ映画のゾンビのような声をあげて相手は喉を抑えたままその場に倒れた。人の肉を斬る感触が手にまだ残っている。何とも言えない嫌な感触であった。

「若、大丈夫ですか！？」

　心配してきた通泰に、俺は何も言えず立ちすくみそうになった。まだ戦場だと自分を鼓舞してようやく、

「撤退するぞ。」

　という声が出た。先程までとは打って変わって弱々しい声だった。

「撤退の指令だ！まず中央部隊から下がり、それに合わせて左右翼両隊も撤退せよ！」

　通泰が迅速かつ適切に撤退指令を出したおかげで、問題無く撤退は完了。俺たちは窮地を脱した。