第519話名前の価値

「は、初音!?な、何持ってるんだ!?」


「電動ノコギリだけど、そんなことよりそれ、何してるの?」


 明らかにそんな軽く済ませていいことじゃないだろ!で、電動ノコギリ!?


「お、落ち着いてくれ初音、と、とにかくそのノコギリを下に置いて────」


`ウィン!ウィィィィィィィンッ!`


「ひっ!」


 俺が初音にノコギリを下に置くよう言うと、初音はその電動ノコギリのスイッチを押して鉄の響く音を鳴らした。


「そーくん、聞こえてないのかな?何してるのって聞いてるの」


「な、何してるって、何が・・・?」


「その手のことだよ、とぼけるの?」


「手・・・?・・・はっ」


 俺は少女の口元を自分の手を抑えていることを思い出し、すぐにその手を少女の口元から離す。


「そんなにしてまで声出ないようにして、何しようとしてたの?」


「え、え?あ、ち、違う!別に何もしようとなんてしてない、むしろ阻止してたんだ!」


「・・・・・・」


 初音が『疑』の文字を目に宿しながら俺のことを見つめている。

 こ、これはまずい・・・そうだ、この人にも証明してもらおう。


「は、初音、この人に聞いてくれればわかる、俺は何もしようとなんてしてない、そうだよな?」


「はぁ?いきなり口元抑えてきたくせに何言ってんの?」


「は、は!?い、いや、それはあなたが俺に名前を教えようとしてきたからだろ!?」


「だから名前ぐらいで何そんなムキになってんの?キモいんだけど」


 ・・・いや、まあ、正直今回の件この人は悪くない。

 どちらかといえば俺が異常なぐらいだ。

 普通に考えれば彼女がいたとしても他の女性の名前を聞くなんてことは本当になんでもないことだ。

 ─────が、残念なことに俺はそんな裕福な恋愛をしていない。

 名前だけでも俺には十分死ぬ可能性が生まれてしまう。


「お、俺にとっては名前だけでも命懸けなんだ」


「・・・そーくん、なんで私が質問してるのに他の女と話してるの?」


「え・・・」


「もしかしてもう浮気してるのかな?っていうか浮気だよね?私がいるのに私以外の女と部屋で2人きりになってしかも口元抑えて声出ないようにしてたって状況証拠的にもう浮気確定だよね?」


「た、確かに状況だけ見たらそうかもしれないけど・・・で、でも本当に違う!信じてくれ!」


「・・・そーくん気付いてる?さっきから自分が浮気するが決まっていうことしか言ってないってことに」


 初音がそういうと、少女は「確かに」と薄く笑った。

 ・・・言われてみればそんな気もするけど実際その通りなんだから仕方ない。


「そう、なんだけど・・・本当なんだ」


「・・・・・・」


 初音は少しの沈黙の後、電動ノコギリのスイッチをオフにして俺に言った。


「じゃあそーくん、この女の前で、今、私に、キスして」

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