第219話 いざ出陣!
民族大移動――――
その昔、四世紀から六世紀のヨーロッパにおいて、人類が大挙して西方へと移動する事象が起きた。
この民族大移動には、気候変動や人口爆発や疫病の蔓延などが要因とされている。
そして今、ここ日本でも民族大移動が起きていた。
「春近! なによこれ? 人が多くて全然動かないじゃない!」
気の遠くなりそうな人混みを眺めながら渚が呟く。
春近と渚は早朝から電車を乗り継ぎ新橋まで出てきたのだが、もの凄い人で全く身動きができなくなってしまう。
渚にとっては、こんなに混雑した駅は初めてなので、何が何やら分からず混乱してしまっていた。
「しまった……大崎からの方が良かったか……いや、どっちも凄いのは同じか……」
春近が答えるが、連日の寝不足で足元がふらついていた。
実は、渚の激しい夜を乗り越えた春近だが、翌日は咲がやって来て一晩中イチャイチャしまくりだったのだ。
それはもう甘々でラブラブで幸せな時間だったのだが、翌朝は寝不足によりフラフラ状態になってしまう。
鬼になって格段に強くなったはずなのに、睡眠が必要なのは前と全く変わらなかった。
大江山で酒吞童子たちが酒を飲んで寝てしまったところを、源頼光や四天王に討ち取られたのも今なら理解できる。
「ちょっと、春近……何でそんなにフラフラなのよ? あたしが少しやり過ぎちゃったかもしれないけど、あれから日も経っているのだから大丈夫でしょ」
「渚様……それがですね。昨日は咲がやって来て、朝までずっとエチエチしていたので……もう、お風呂で洗いっ子したり、ベッドでマッサージし合ったり、キスしまくりのエッチしまくりの朝までイチャイチャしていたら……って、イタタタッ! 嫌い、痛いです!」
「ハ・ル・チ・カ! あんた、喧嘩売ってんの!? 何であたしが、あの子との熱々エピソードを聞かされないとならないのよ!」
「す、すみませ~ん! 眠くて思考が停止気味で失言でした~」
うっかり失言した春近が、渚にぎゅうぎゅうと抱きしめられている。
周りから見たら、イチャついているようにしか見えないが。
新橋から新交通システム車両に乗り換えてお台場へと向かう。
この車両は電車ともモノレールとも違うらしいのだが、今はそれどころではなく超混雑するホームから車内へと移動するので精一杯だ。
渚の威圧感により周囲の人間が近寄らず、ほんの少しの空間が開いていたのだが、満員の車内では物理的に空間を空けるのは不可能になってしまった。
揉みくちゃになりそうな車内で春近は思った――――
渚様の体を、他の誰にも触らせたくない!
ここはオレが守らないと!
「渚様、こっちへ! オレが守ります! ぎゅぅぅぅ~っ!」
「ちょ、ちょっと、は、春近ぁ♡ 何してんのよ!?」
突然抱きしめられて、渚は困惑する。
周囲の乗客たちからしたら唐突にラブシーンが始まり、ただでさえ暑いやら混雑やらでキツいところに、更にキツい事象が重なり勘弁してくれといった感じになってしまった。
乗客たちが愚痴の一つも言いたくなるが、渚の威圧感が凄くて目も合わせられないようだ。
「は、は、春近ぁ♡ あんっ♡ ダメっ……こんな所で……♡ ひ、人が多いのに……皆に見られてるからぁ♡」
「渚様、少しだけ我慢して下さい。すぐ到着しますから」
すぐ着きますからと言ってから20分以上経過して駅に到着した。
大勢の人に囲まれた中で春近に抱きしめられ、『アンアン』と変な声まで漏れてしまい、もう恥ずかしいやら何やらで渚は限界だ。
「うくぅうううぅ~っ♡ もう限界よぉ♡」
「渚様、もう着きましたから」
「あんっ♡ 春近ぁ、覚えてないよぉ♡」
「俺のせいじゃないのに」
駅に到着しただけで渚が限界に近い。
「着きましたよ。あそこに見える個性的な建物が東京ビッグバンホールです」
「えっ、ええっ、えええっ!」
春近が指差したその先に不思議な形の建造物があり、そこに至る道には辺り一面に人の波、何処を向いても人、人、人である。
正に民族大移動のような人の列が建物まで続いていた。
「えっ……なに……これ……」
「渚様、さあ、行きましょう! いや、逝きましょう! 戦場へ!」
「はあ? 逝かないわよ! 縁起でもない!」
「ふっ、もうこうなったらオレと渚様は戦友! 我ら生まれた時は違えども、逝く時は同じ!」
「そういうのはいいから! 何なのこれは!」
そして、何時間もの行列を経て、二人は戦場へと辿り着いたのであった――――
テーブルの上に
それが杏子のペンネームらしい。
春近と渚は、やっと杏子たちと合流できた。
二人共フラフラになっている。
「春近君、大丈夫ですか……大嶽さんが凄ことになっているみたいですが……」
ブースに到着すると、杏子が心配して声をかけてきた。
渚は綺麗にセットした巻き髪も崩れ春近に抱きかかえられている。
「予想通り渚様は人の川で酔ってしまったみたいで……」
「それは予想通りの結果で……」
「少し渚様を涼しそうな場所で休ませてくるよ。後で交代して手伝うから」
「はい。あ、春近君が頼んでいた新刊は、愛宕さんに任せてあるので大丈夫ですよ」
「ありがとう。助かるよ」
ふと、春近がテーブルの上の杏子の作品に目をやると、『女王様はわきまえない~側近男子を調教しまくり~』というタイトルが見えた。
金髪で綺麗な巻き髪の美しい女王が、側近の男をあの手この手で調教しまくるストーリーのようだ。
ただ、その女王の顔が渚にそっくりで、側近男子の顔は春近にそっくりだった。
「杏子……これ、調教されてるのオレじゃないか……」
春近が小声で呟く。
――――――――
「さあっ! 行くわよ!」
渚が元気に声を上げる。
先程まで隅で休ませていたのだが、春近が膝枕したら急に元気になり復活した。
むしろ復活していないのは春近の方である。
「その前にトイレは何処かしら?」
「えっと、あそこに……」
女子トイレも長蛇の列になっていた。
これは何十分も待つことになりそうだ。
「は……春近……」
「渚様……おもらしだけは……我慢して下さいよ」
「もう、ムリ……漏れそう……」
「もう少しです!」
「ダメ……春近、ここで全部飲みなさい!」
「できるかぁぁぁぁぁあっ!」
何とかトイレも乗り切り、杏子たちと合流する。
「と、いう事があったのさ」
「災難でしたね……でも、春近君が飲んでたらと思うと……なんだかドキドキしてきます……ふひっ」
「いや、それはヘンタイすぎるだろ……」
何だか、杏子の同人誌を見るのが怖くなってくる――
あの本の中でオレがどんな凄い調教を受けているのやら……
「じゃあ、オレたちが売り子やるから、杏子と一二三さんは回ってきなよ」
「はい、そうさせてもらいます」
「んっ……行ってくる……」
春近が渚を連れてスペースの両隣に軽く挨拶をしてから椅子に座った。
「いいですか、渚様。イベントでは店や客ではなく、全員が参加者という扱いなんですよ」
「ここで、あたしは何をするのよ?」
「お金を貰ったら、この同人誌を渡すだけです」
渚が杏子の作った同人誌を見つめる。
「これ、誰かに似てないかしら?」
「渚様、気にしたら負けです……」
売り子として凄い美人の渚が座っていて、やたらと目立ってしまい周囲からの視線を感じる。
ただ、渚の威圧感が凄くて、遠巻きに見ているだけで近寄る人はいない。
「売れないわね」
「まあ、初参加だとそんな感じですよ」
杏子の作品は絵も素晴らしく上手くて、とても初めてとは思えない程だ。
「この絵……何処かで見たような……? 前にネットで話題になった絵師に似ているような……。何ていう名前だったかな? いや、まさかな……」
春近は杏子の同人誌の表紙を見つめながら自然と感想が出てくる。
そんな中、一人のMっぽい男性がブースの前に止まる。
杏子の作品の表紙絵を見て驚いているようだ。
「こ、これは……まさか……あの伝説の……」
何かに気付いた男性に、渚はドS全開だ。
「買うなら早くしなさいよ。踏み潰すわよ」
「ちょっと、渚様! 言い方!」
「ぐはっ、女王本人の言葉攻めまでセットでござるか!」
何故かMっぽい男性は大喜びで同人誌を買って行った。
その後、謎の噂が広がり、杏子の同人誌は一気に売れて完売してしまう。
春近たちの知らない所で、『あの伝説の絵師が同人誌を描いていた』とか『一時期話題になった伝説の絵師の正体は
初参加で完売という結果になり、皆で喜びながら帰路についた。
「杏子の作品が完売して良かったね」
「はい、凄く嬉しいです。ううっ……嬉しい……」
無事イベントも終わり、帰りの電車で春近に祝福され杏子が感極まる。
黒百合と一二三も祝福する。
因みに渚は、帰りの人混みで再び酔ってしまいヘロヘロになってしまった。
ただ、会場のコスプレを見て、『あたしもやってみようかしら?』と言っていたので、近いうちに春近に新たなコスプレを披露する時が来るのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます