第138話 音速の彼方側

 物語の中なら私はヒーローだ――――



 築四十年は超えていそうなボロアパートの外階段が軋む音で、今日はギャンブルで勝ったのだと分かった。

 勝った時と負けた時では、階段を一段一段登る時の音が微妙に違うからだ。


 ガチャ!

 建付けが悪いドアを開け、その男は入って来る。



 男の姿を見た少女が笑顔を見せる。まだ幼い黒百合である。

 黒百合は、このボロアパートで父親と二人で暮らしていた。



「黒百合、ほら、漫画を買ってきてやったぞ」

「おおー」


 父親から漫画を受け取り、黒百合は目を丸く見開いて喜んだ。


「湾岸最速雷電のターボっていうんだ。少年漫画だけどな。俺は女の子のは分からんからな」

「ありがとーおと-さん」


 黒百合の家は元々裕福だった。

 祖父の代までは会社を経営し、大きな家と土地を持っていたが、父の代で事業に失敗したうえ詐欺師に金を騙し取られ、借金により会社も家も土地も全て失った。

 父は酒とギャンブルに逃げ、愛想を尽かした母は他に男を作って出て行ったのだ。



 そんな黒百合だが、世間の風は冷たかった。時に人は異質なものを排除しようとするから。


「黒百合ちゃん、いつも同じ服を着てる」

「やだー」

「貧乏なんだぁ」

「きたなぁーい」


 小学校に友達はいなかった。

 でも、黒百合は気にしない。

 物語を読んでいれば寂しくないから。

 物語の中では、何者にでもなれるし何処にでも行ける――――



 ある時、児童相談所と警察がボロアパートに踏み込んで来た。


「お子さんを保護します。貴方には育児放棄と虐待の通報が何軒も入っているのですよ」

「ちょっと待ってくれ……俺は何もしちゃいねえよ……。こんなはずじゃなかったんだ……」


 必死に言い訳をする父親だが、酒とギャンブルに荒れた生活は釈明のしようもない。


「おとーさん……」


 黒百合は児童養護施設に引き取られることになる。

 ボロアパートの暮らしは唐突に終わりを告げた――――




 湾岸最速雷電のターボでは、主人公のとどろきターボより好敵手ライバル神童しんどうキサラの方が好きだった。

 施設で育ち何も無かったキサラが、様々な敵を薙ぎ倒し巨大な組織の総長へと成り上がって行くストーリーに憧れたのだ。


 黄龍王イエロードラゴンロードとなら音速の彼方側に行ける!

 実際にバイクが音速になるはずがないのだが、伝説の神童キサラなら可能なのだ!




 久しぶりに父が施設に会いに来ていたが、何やら何処かの役人と話をしている。


「つまり、娘には恐ろしい力があるから、オンミョーチョーとかいう役所に預けると? 金は貰えるんですかね? へへっ、酒が切れちまってね……」


 あっさり父親は目先の金に目がくらみ、娘を陰陽庁に差し出してしまう。



 父のことは嫌いではなかった。

 ただ、ちょっと弱いだけなのだ。

 人は誰もが弱い存在なのだから――




 陰陽庁の管理下になった黒百合は、監視や呪力や神通力の検査を受けながらも、管轄のマンションで一人で暮らし始めた。

 パソコンを使いマネーゲームで金を儲け始める。


「ふっ、私は電脳世界の帝王……ふんす!」


 この頃から、黒百合は奇抜な恰好をするようになる。

 まるで何かから自分を守るよう武装するかのように。


 自動二輪免許を取得し念願のバイクを手に入れた。

 黄龍王イエロードラゴンロードのモデルとなったマシンだ。



 そして、黒百合は湾岸へと向かった。


黄龍王イエロードラゴンロードに乗れば、私はヒーローになれる! 物語の中では、何者にでもなれるし何処にでも行ける。私はヒーローだ!」




 坂東ばんどう暴走連合という反社組織がある――――


 数々の暴走族や半グレ集団を吸収し、巨大な暴走族集団となっていた。

 しかし、麻薬や危険ドラッグを密売する犯罪組織でもあった。

 黒百合は湾岸で彼らの犯罪を見てしまう。


「ぐぎぎぎぎ……。こんなの違う! 神童キサラは、クスリだけは絶対に手を出すなと言っていた!」


 黒百合は、漫画で見たワルと、現実リアルの悪党のギャップに絶望した。

 そして、ヒーローに憧れる黒百合は、犯罪組織に立ち向かった。



「何だこのガキは!?」

「オラっ! ガキは引っ込んでろ!」


 突然現れたピンクのツインテール少女に、ヤカラどもは威嚇してくる。


「今すぐクスリの密売をやめろ!」

 見るからに危険な男たちを前に、黒百合は一歩も引かない。


「ああん? 何言ってんだこのガキ! このクスリで俺らはボロ儲けよ! 女も抱き放題よ!」

「先輩、このガキも、さらって沈めちまいますか」

「がははっ! そうだな、俺らは無敵の坂東暴走連合よ!」

「やっちまえ!」


「許さん! 神童キサラの名に懸けて、この伝説のブラックリリーが許さん!」


「うわっ、このガキ、自分で伝説とか言ってるぜ!」

「くそダセぇ! がははっ!」


 あざ笑う反社のヤカラたちだが、次の瞬間にその顔は絶望に変わる。


「うおおおおおっ、大天狗旋風直突きブラックリリーストライク!」

 ズババババババババ! ドガァーン!


「ぐわあああああっ!」


 黒百合のストレートパンチを受けた男は、後ろに吹っ飛び転がってゴミ箱にストライクした。完全にノックアウトされてしまう。


「何だこのガキは! やんのかコラ!」

「先輩になしてくれとんじゃボケぇ!」

「潰すぞゴラっ!」


「くらえ、伝説の拳! 大天狗旋風フックブラックリリーサイドワインダー!」


「ぐはああああっ!」

「ほげぇええええっ!」


「心に刻め、伝説の乙女! 大天狗旋風裏拳ブラックリリースピニングショット!」

 ブォォォォーン!


「ぐほおおおおっ!」

「ぎええええっ!」


「改心しろ、悪党ども! 大天狗旋風アッパーブラックリリーアセンション!」

 ズシャアアアアアアッ!


「ひえぇぇぇぇっ!」

「ぎゃああああっ!」


 黒百合は、集会に参加していた何百人もの不良を次々にノックダウンして行く。

 途中から呼んだ応援を含めて約千人もの構成員を叩き潰し、事実上坂東暴走連合は壊滅してしまった。



「ば、バカな……何が起きてんだ……ガキ一人に最強の組織が……」

「総長、逃げましょう!」


 一部の幹部がクルマで逃げ出した。

 ヴォオオオオオオーン! ギュルギュルギュル! ギュワァアアアアアアーン!


「逃がさない!」

 ギュヴォン! ウォォォォオオオオーン!


 黒百合も黄龍王イエロードラゴンロードに跨り、逃げて行くクルマの後を追う。


「ぐははっ、たかが400ccのバイクで、この700馬力の超高級スーパーカーに追いつけるわけがないだろ! 軽く300キロオーバーよ!」


 ギュワァアアアアアアァァァァー! ガァアアアアアアアーン!


 幹部の乗った超高級スーパーカーは怒涛の加速で、黒百合のバイクを遠く引き放す。

 世界トップクラスの最高速度を叩き出すスーパーカーと400ccの古いバイクでは、まるで相手にならないと誰もが思うはずである。


「私は伝説のブラックリリー! 私は負けない! 私はヒーローだ!」


 千人と戦い体力も精神も神通力も限界に近い黒百合は、最後の力を振り絞った。


大天狗旋風衝撃波ブラックリリーインパクト!」

 ブォオオオオオオオオオオオ!!


 その瞬間、黄龍王イエロードラゴンロードが風に包まれ弾丸のような超加速をする。

 まるで漫画のワンシーンのように、音速を超えたかのような超スピードで幹部の乗ったスーパーカーをぶっちぎった。


「な、何だあれは? 神か? 悪魔か?」


 キキキキィィィィィィー! グワシャアアアアアアアァァァン!! ドガァアアアアーン!


 黒百合の神か悪魔の如き走りに目を奪われた男は、ハンドル操作を誤りクラッシュして自爆した。



 この日――――

 警察さえ潰すことのできなかった広域犯罪組織は壊滅し、幹部や構成員は警察の御用となった。

 湾岸にはピンクの悪魔と最速の伝説を、全国の不良たちにはおそれと憧れだけを残し、伝説のブラックリリーは表舞台から姿を消したのだ。


 ――――――――――――




 そして現在――


「春近、もっとサービスしろ。ふんす!」


 黒百合が、春近の膝に乗って甘えている。

 何故か春近のあそこをぐりぐりして刺激しているのはいつものことだ。


「ちょっと、そこはダメだって!」

「ぐへへ、ここがええのか?」

「もう、イタズラばっかり」

「ふふっ、ほら春近、早くキスをしろ。ちゅー♡」


 春近の膝の上で甘えている少女が、まさか伝説の乙女だとは誰も知らない。

 ただ、今でも不良たちの中では、伝説として語り継がれているだけである――――

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