第31話
「あの連中も、ぐえるげるの森を目指しているんだわ」
湿原を見渡して秘色が言った。
「こうなったら、森と林であいつらを追い抜きましょう。絶対に負けるもんですか」
そう言って拳を固く握り締める秘色の横で、ときわは大きくため息をついた。
(僕は別に、晴の里とか霧の里とかどうでもいいんだけど、秘色がいるとかきわと話せそうもないな)
「さあ、行きましょう。ときわ」
言って、秘色は歩き出した。ときわも彼女に続こうとした。が、その時、ときわの右の足首を誰かがわしっとつかんだ。
驚いたときわが足元に目をやると、地面から泥まみれの太い腕がにゅっと突き出て、ときわの右足を捕まえていた。
「うわぁっ、なんだよこれっ」
慌てて振りほどこうとしたときわだったが、腕はときわの右足をしっかりつかんで放さず、さらに恐ろしいことにはそのまま地面にずぶずぶ沈みはじめた。ときわを引きずり込むつもりなのだ。
「何やってんの、ときわっ」
「秘色! なんとかしてよこれっ」
ときわは情けない声を上げて助けを求めた。すでに右足は腕と共に足首まで沈んでしまい、ふんばっている左足もずぶずぶと泥にのめり込みはじめている。
「はやくなんとかしなさいよっ」
「どうやってっ? 」
「ええいっ、もうっ」
秘色はときわの手から刀をひったくり、すらりっと刃を引き抜いた。そして、ときわの足元、ちょうど股の間あたりの地面に刃を突きたてた。
ぐぎいいいああっ
ものすごい絶叫がこだまして、ときわの右足をつかむ力が消えた。
ときわは埋まった右足を泥の中から出して心底ほっとした。とはいえ、心臓はばくばくしっぱなしで、遅く来た恐怖のせいでときわは今頃涙ぐんだ。
「里の外が、こんなに物騒だったなんて……」
秘色も青ざめた顔でじっと地面をみつめている。
「もういやだ。はやく行こう。秘色」
ときわは秘色をせかした。もう一秒だってこんなところにいたくなかった。
秘色も頷きはしたものの、その場から動こうとしない。
(何してるの? )
そう言おうとして振り返って、ときわは絶句した。秘色は動かなかったのではなく、動けなかったのだ。彼女の両方の足首を、泥まみれの二本の太い腕がしっかりと捕まえていた。
「秘色っ」
駆け寄ろうとしたときわは、辺りの地面を見てぎょっとして足を止めた。
腕が——それはもう何十本、何百本ものおびただしい数の腕が、湿原のいたるところににょきにょきと生えているのだ。
あまりのことに、ときわは言葉をなくして立ち尽くした。秘色は手にした刀で自分を捕らえる二本の腕を切りつけた。ぎいっと呻いて、二本の腕は秘色から手を放した。秘色はぼけっと突っ立っているときわの手を取って走り出した。
「走ってっ! はやくっ」
秘色は金切り声を上げた。
「もう少しで森に出るはずよっ! 湿原を抜ければとりあえず安全だわっ」
(でも、このぶんじゃ森の中にも得体の知れないものがいるんじゃ……)
そうは思ったものの、ここに残って引きずり込まれるわけにもいかないので、ときわも黙って秘色の後を走った。もちろん、地面に生えた無数の腕を、踏まないように、捕まらないように、飛び越え飛び越え、二人は全力で走った。息が切れ、足も重くなったが、ときわは必死に走った。とにかく森へ。とりあえず森へ。
がむしゃらに走っているうちに、暮れかけていた日が完全に暮れ落ち、辺りが暗くなり走りにくくなった。それでも二人は走り続けた。
その時、無言で走る二人の耳に、はるか前方に悲鳴が聞こえた。
「うわあっ」
「きゃああっ」
二人は思わず顔を見合わせた。
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