第12話




(あれは犬。あれは猿。馬はどこにいったっけ……)  

 カーテンの隙間から差し込む月の光を頼りに、広也は馬の姿を探していた。

 なんとなく寝苦しくて、布団に横たわったままぽっかり目を開け、天井の染みを眺めている。昔、広隆がやはり寝苦しくてぐずっている広也をなだめるのに、天井の染みを指して、

「あの染みの形、犬に似ているなあ。あっちは猿。じゃあ、馬はどこにいると思う?」

 そんなふうに言っていたのを、なぜだか思い出したのだ。  

 広也は静かに溜め息をついた。東京にいた三年間には、封じられていたかのように思い出されなかった過去の記憶が、遠野に足を踏み入れた途端、怒濤のように押し寄せてくる。妙に鮮明に思い出すこともあれば、中途半端でおぼろげな映像しか浮かんでこなかったりもする。いづれにしても、こうして一人、何もすることがないでいると、過去の記憶だけがひょっこりと顔を出し、心を占拠してしまう。その記憶のほとんどが、広隆といるか、一人でいるか。

 広也は天井から目をそむけて、枕元の腕時計を取り上げた。すでに二時をまわっていた。

 どうやら眠れそうにないので、広也は布団から身を起こし、のろのろと畳の上を這っていき、窓を開けて顔を出した。なまぬるい空気のこもっていた室内に、少し涼しすぎるくらいの夜風が吹き込んでくる。広也は窓枠にもたれかかって外を見た。肩の辺りが少々寒かったが、広也は窓を閉めようとはせず、そのままじっと外の景色を眺めていた。

 外にはただ雑木林がひろがっているだけ。なんらおもしろいことはないのだが、それでもなぜか落ち着ける。

 さわさわさわ。

 ざわざわざわ。

 辺りのものが皆眠りにつく真夜中は、葉ずれの音がよく響く。動くものも一つ、風に揺れる葉の影ばかり。しばらくの間、広也はその黒々とした葉の動きをみつめていた。 さわさわさわ。

 ざわざわざわ。

 と、その時、広也は再び葉の影の中にかすかな光を見た。思わず身を乗り出した広也の前で、白い光が確かに宙を漂っていた。

(あの光は、さっきの……)

 気のせいじゃなかった。淡い頼りない、白い光が、ふわふわと、所在なげに虚空をただよっている。

——蛍かなんかだろ。

 広也はほとんど無意識に立ち上がって、座敷から飛び出した。廊下を駆け渡り、スニーカーに乱暴に足を突っ込んで玄関の外に出た。

——それとも、人魂か狐火かもな。

 そんなわけない。人魂だとか、狐火だとか、そんなものはまるっきり信じちゃいない。

 広也は雑木林のほうへ向かって走り出した。白い光はまだそこにいた。だが、広也にみつかると、光はすいっと雑木林の中に隠れてしまった。慌てて雑木林に飛び込んだ広也は、一寸先の闇の中でふわふわと漂う光をみつけた。その光は、まるで広也が来るのを見計らっていたかのように、再び林の奥、闇の中にすいっと溶け消える。

 広也は一瞬ためらった。幸い、パジャマではなくTシャツにジャージといういでたちで寝ていたため、林の中を歩きまわるのに差し支えはないのだが、辺りを包む真夜中の闇が広也を尻込みさせていた。

 一体何をやっているのか。あんな光など放っておけばいいじゃないか。追っていく意味がどこにあるんだ。

 広也の常識はそう告げていた。しかし、その一方でもう一人の広也が、あの光を追わなければと叫んでいた。なぜだろう。なぜかはわからないけれど。

(蛍とは、違う気がする)

 根拠は全くないけれど、広也はそう思った。

(いいさ。林の中なら兄さんとよく歩きまわった。山のほうに入りさえしなければ、迷いやしない)

 意を決して、広也は雑木林の奥へと駆け込んでいった。



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