第2話
まばゆい光に照らし出された地面に、三人の影がはっきりと映っている。光子と広隆は前を向いて歩いていたが、広也は首を下げて自分の影を見ながら歩いた。歩き慣れない砂利道を必死で進む。もう少ししたら、この道が緩やかな斜面に変わることを広也は知っていた。
体力のない広也はこの駅から丘の上にある祖父母の家までの道のりが大嫌いだった。その果てにある家も、そこで迎えてくれる祖父母のことも、どうにも好きになれなかった。
つまるところ、広也は遠野が、この田舎が嫌いだった。
夏になると遠野にやって来るのは父が生きている頃からの習慣で、父が死んでからも広也が九才の夏まではそれが続いていた。しかし、三年前、広也が十才になり、四年生に進級すると、急に勉強が忙しくなり、その年から夏の遠野行きはとりやめになった。英語の塾には幼稚園の時分から通っていたが、四年生になるとさらに私立中学合格のために進学塾にやられることになった。
広也の夏の行き先は遠野の旧家ではなく東京の五階建てビルの一室になった。
しかし、その年から東京を出なくなった広也とは逆に、広隆はその年から東京を出て遠野に住みつくようになった。
広隆は変わった男だ。
我が兄ながらとらえどころがないと広也は思う。今は亡き父と、自分の母の前に父の妻だった女性との間に生まれた兄。生まれてすぐに母を亡くし、十二の時に父をも亡くし、それからの広隆は義母と年の離れた弟と共に暮らしてきた。これは広也のあずかり知らぬことだが、父が死んだ当時、遠野に住む祖父母が広隆を引き取るという話もあったのだ。
が、これには光子が反対した。
あの人の子供は私が育てます。と、光子は言い張った。
その後実際に、光子は女手一つで二人の息子を育て上げた。光子は専業主婦ではなく、結婚後も仕事を続けていたので、生活に困るということはなかった。
この時の光子の申し出が、純粋に亡き夫とその息子に対する誠意から出たものなのか、あるいは世間体を気にしてのことなのかはわからない。ただ、近所の噂では、自分が働いている間、幼い我が子の面倒をみさせるために前妻の子を引き取ったというのが通説であった。
あるいは、それも一つの事実かもしれなかった。実際に、夜遅く帰ってくる光子に代わって広也の面倒をみていたのは広隆だったから。
だから、広也の記憶の中には、光子の顔よりも広隆の顔のほうがずっと多い。あの頃中学生だった広隆の学生服姿は思い出せても、今より若かっただろう母のスーツ姿は思い出せないのが事実である。
しかし、この事実はいつも広也を不思議な気分にさせる。ずっと広隆に面倒をみてもらっていたのだから、自分はもう少し兄に懐いてもよさそうなものだ。兄は自分をかわいがってくれたのだから、なおさら。
広隆が広也をみていてくれるから、光子も安心して働きに出ることができたのだ。万事において、広隆はしっかりした子供だった。たった一つ、広也の勉強の邪魔をすることをのぞけば。
広也が宿題をしていると、ひょっこりと現れて弟の横で鬼や河童が出てくる昔話をはじめる。週に三回の塾の送り迎えも広隆の仕事だったのだが、広也を勝手に休ませて遊びに連れ出したりもした。何週間も続けて休ませて、塾からかかって来た電話に光子が仰天したこともある。そんなことがしょっちゅうだった。いくら光子にいさめられても広隆は聞く耳を持たない。この二人、別に仲は悪くなかったが、この問題に関してだけはよくいさかいが起こった。
だから三年前、広隆が岩手の大学に進学することになったと聞いた時、広也は内心ほっとした。これで勉強に集中できるし、母の金切り声を聞かなくてもすむと思ったからだ。
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