四章 三話 ### 十六時 三二分 ###
「お義父さん、お久しぶりです。英くんをこちらに渡してださい」
加織は探るような上目遣いで、父を見ていた。
「聞けんな。日色の恥は日色家の中で始末をつける。月花の出る幕などないわ」
「こちらも聞けません。家でなく、彼自身の問題の方が、私には大事です」
「何を言う! 我が家の問題は世界の根幹をも揺るがす大事よ! この愚息の行為は日色の唯一にして最大の汚点! これを消さずして、終えてなるものか! 神に一矢報いてやろう!」
嵐のような気迫にも、加織は顔色を変える事はない。
忌憚なく、怖じる事もなく、容赦もなく言う。
「何を今更そんな事を言ってるんですか。そんなに神様に逆らいたいんだったら、もう一度、中央にいけばいい。エリが眠る彼の地に行けばいい。あなたのしていることは当てつけです」
加織にぴしゃりと言われて、父はヌウウ、と唸った後、黙った。
それができない事は父もよくわかっていた。もう既に手は尽くした後だった。
それは、この終末期の人間にだけの話ではない。
海須家に対する抗議も暴動も反乱も、この四百年の人類史の初期にはもうやり尽くされている。
中央区。そこには海須の本邸がある。
エリの復活、そして世界終焉の呪いが施されたのち、即座に危篤状態から目を覚まして、戦える程に快癒した父を筆頭に、日色家と月花家の実力のある能力者が中央に乗り込んだ。
しかし、中央区内に足を踏み入れた瞬間、全ての超能力が無効化するという事態に陥った。
無力化され、それでも海須の当主の元に詰め寄ったが、解呪は不可能であることが示された。
「ふん、くれてやるわ」
父は乱雑に俺を屋根の上の方に放る。
身体があちこち痛んで怪我の状態もよくわからない。大量の出血で視野も朦朧としていた。それでも求めるように俺は起き上がる。
数時間ぶりの姿と声に、涙が出そうになる。
「加織…」
「俺もいますよ」
そこにもう一人の人物が長い脚でつかつかと瓦を踏み、にやにやとしながら割って入った。
「更にボロ雑巾みたいになってるじゃないすか。それより、やってくれたっすね。あの後全然出れないわ、光毅さんに怒られるわで大変だったんすから」
加織が一歩前に出る。
「英くん」
「かおちゃん、俺が」
「いいの」
賢臣にそう言って、加織は丸腰で近づいてきた。武器があろうがなんだって構わなかったけど。
「ログを見て驚いたよ。あなたが実家に戻るなんて。私の実家には行くと思ってたから、賢臣に足止めしてもらってたんだけどね」
加織が端末を開くと、ウサギ型の AIアシスタント〈ハクト〉が飛び出す。
「ワタシに罹れば道案内なんておちゃのこさいさいですピョン」
勝気な白うさぎで、ナガナキと一緒に起動すると必ず口論を始める。
どうやら、俺の端末にはすでに細工がされていたらしい。ナガナキのログを辿ってきたということだ。
しかし、俺にとっては好都合だった。もう、限界でもあった。
「加織ぃ…」
すごく情けのない声が出た。でもそんなのかまわなかった。半泣きになりながら、加織に近づく。
「俺ずっと、会いたくて…」
「…私があなたを殺そうしてるの、忘れたの?」
加織の様子は、戸惑いの方が大きいような感じがした。
「悪いことは直すから…。できる限りのことはするから。ごめん、今日しかないのに…」
もうなんでもいいから抱き留めたいような気分になっていたが、堪える。
俺は瓦三列分ぐらいの間を取って、立ち止まった。加織の紫の瞳を見つめる。
「ここ最近の俺はずっと君と過ごす最期の瞬間を想像してた」
「…」
「君も俺が生きているのを恥だと思ってるのか? 俺が嫌いになったのか?」
「そんなことない絶対にないよ!」
強く否定してくれて、思わず顔が綻んでしまう。
そうか! 嫌われた訳じゃなかったんだ!!!
よかった!!!
「なら、訳を教えてくれ、加織。君からは俺、逃げないよ」
「君から、は…」
加織の表情が翳る。
俺は必死になって、手を広げる。
「ああ! そしたら俺、君になら、刺されたっていいさ! だけど、俺、最期まで君と一緒にいたいんだ。君と生きたいんだ! 君さえいれば、いい」
俺は加織に手を伸ばす。
加織は見たことのない表情で俺を見返した。はっきりと形容できない。今まで人生の殆どを一緒にしてきたが、その日常のどの場面にもなかった表情。怒っているようで、悲しんでいる。完全な無のようで、笑っているような。
加織はその小さな口を薄く開いた。
「今のあなたに語る必要はない」
茫然自失とする間もなく、一斉に無数の瓦が俺に向かって突っ込んでくる。
屋根から飛び降り、軒先に掴まって、振り子のように勢いをつけて家の中へと退避した。
そこは畳何十畳もある大広間だった。障子の空いた反対側には中庭が見える。
大勢での会食等に使われていた部屋だ。小さい頃、雨の日などはここでよく駆け回ったり、ここで爺ちゃんが遊んでくれたりした。
背後で瓦の雨が降り終わった後、すたっという着地音。
振り返ると、加織が乱れた髪を整えながらこちらに歩いてきていた。
「あなたはこのままでいいの?」
加織の問いに俺は凍りつく。肺が空気を求めているのに、締まった喉に阻まれて、口がはくはくと動くばかりだった。
それがなんだか、急に、可笑しくなってきた。
同時に怒りにも似た感情も込み上げる。
「世界が終わるっていうのに、何しようっていうんだよ、今更」
吐き捨てるような言葉が飛び出て、口を覆った。
でも、本心だった。俺はもう。英雄なんかじゃないんだ。
「俺は、全部忘れて、ただ君と」
「やっぱり」
加織が着ていたシャツを脱ぎ捨てる。露わになったのは戦闘時に着るスーツ。
日色家と月花家の共同開発によって作られたものだ。月花家が主導となり、光毅さんの管轄下にある。
特別製で火にも水にも強い伸縮性の優れた素材でできている。強い衝撃を和らげ、弾丸も跳ね返すほどの防御力。
俺も今、服の下に着ている。光毅さんにシャツをいただいた時に一緒に貰ったものだった。上の上着もシャツもズタボロになっているので、裂け目から覗いていた。度重なる攻撃に耐えられたのも、このスーツのおかげだ。
襟が首の中間くらいまであって、ピッタリとしているので、俺は苦手だった。
スカートも、ぱさりと足元に落ちる。
体型にフィットした全身スーツ姿になった加織は、下から上に撫であげるように両腕を動かす。
「あなたは私が殺すわ」
彼女の周囲の畳がぱたぱたぱたと震え出し、空中に浮かだ。次いで俺に向かって突進。
避けようとしたが、複数の畳が目の前を塞ぐように襲ってきて、畳表に衝突して反対側の中庭に押し出される。
「ハン、なんだ、お前も目的は同じではないかァ」
屋根の上で反対側から覗いた父が、野次を飛ばす。
「ええ。でも、お義父さん、この役目は…私がやります」
今朝と同じ超音波での攻撃。食らった畳を投げ返して防ぐ。
加織はひらりと軽くかわした。
「私、あなたのためなら何んでもなるって決めた。英雄と呼ばれるあなたが出来ないことだって」
あの大敗の日の記憶が蘇る。
復活したエリによって蹂躙された街。エリの能力によって大水に飲まれ、辺りにへばりつくようなヘドロの臭い。
そんな中、呆然と立ち尽くす俺の背を抱いて、彼女は言ってくれた。「あなたができないことは私がするから」と。
いつだって加織がいたから生きてこれた。
その時。
背後の賢臣に気が付かず、背中に強烈な蹴りの一撃が入り、転がった。
「殺さなければ、いたぶるくらいなら俺もやってオッケーってことすよね、かおちゃん」
立ち上がろうとすると、そこに今度は大岩が飛んできて、かわす。
父はもう一つ大岩を片手に、こちらに向かって歩いてきていた。
「やはり、ぬるい。我慢ならん」
三人に囲まれた状態になって、全方位に神経を研ぎ澄ませる。
俺を殺そうとしている三人対、大怪我をした俺一人。分が悪すぎた。
——くわん。
その時、鼓膜の奥まで届く、かき回されるような目眩が襲う。
「ぐっ…」
急激に、ぐちゃぐちゃに視界が歪んで、立っていられなくなった。加織に超音波を浴びせかけられた時のようだ。しかし、加織も同じように膝をついていた。
「なに、コレ…」
「か、かおちゃん、これは…」
「貴様何を…」
三人も同時に苦しみ出す。
続く、脳内にだけ響く声。
〈(印の子よ)〉
年寄りの、おそらく男性の、知らない人物の声。
「なんだ、この声はっ…」
「声…? 何言ってるの?」
「聞こえ、ないのか?」
他の二人にも聞こえている様子はない。いや、実際に会ったことはないが、知らない声ではない。一体これは——。
〈(此方にこい)〉
フッと身体が宙に浮いた。身体が遠く、引き寄せられる。そして、身体が足下から消えはじめた。
何者かによる外部からのテレポーテーション。こんなことができるのは——。
体の転移と共に白けていく視界と思考の中、加織が何かを叫びながら、俺に手を伸ばしていた。
そして、指先が触れ合いそうになった瞬間、目の前には何も無くなった。
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