第16話 それはなぜ?

「それじゃあ次はまといに挑戦してみましょう。さっきと同じようにやってみせるからちょっと見ててちょうだい」

 初めて聞く単語にはてなと首を傾げるリリィをよそに、ミムはおもむろにリリィの作り出した障壁に近づき……


 無造作に繰り出した拳で、いとも容易く破壊して見せた。とても人間の力では壊すことなど不可能に思えたバリアが、まるでガラス細工のように砕け散る様子はリリィに少なからず驚愕を与える。


「うおおーー……」

 驚きの声を上げるリリィに、ミムは丁寧に説明してくれた。


「これがまといよ。精神体に流れる魔力を意識的に肉体へと流し込んで、身体能力と身体強度を引き上げる技術。新人はまず障壁魔法とまといを教わって、身を守る手段を覚えるのが決まりなの」


 現代日本人として考えるなら、体育の柔道で最初に受け身を教わるような感覚だろうか。

 たしかに、これから軍人として活躍してもらう人材に身を守る術を教えるのは至極当然。せっかく育てた新人に早死にされれば時間とコストに無駄が出る。


 これが軍人としての最初のステップなのだろう。

「コツとしては魔力を流し込むってよりは、うーん……魔力のよろいで肉体を守るみたいな感覚かしら。これも感覚が重要だからまずはチャレンジしてみましょう。最初は利き手だけに集中して、さあやってみて」


 リリィはミムの指示に従い、魔力を右手へと流してみる。

 すると気がつく。魔力を線にして操作することとは全く違うということに。


 魔力検査の時は、電気回路を繋ぐように線を伸ばすだけで良かったが、まといは根本的に異なっている。


 なんと表現すべきだろうか。肉体に流し込もうとすると押し戻されるような、肉体が魔力の侵入を拒んでいる感じがする。

 魔力をただ流すのと、魔力を流し込んで肉体に纏わせるのとでは難易度が段違いだ。


 魔力は本来は精神体に流れるものである。それを踏まえると肉体は魔力のあるべき場所ではないから、なんらかの反発が起きていると考えても良いかもしれない。


 魔法を使う時の緻密で繊細な魔力操作では、きっと一生かけてもまといは達成できないだろう。もっと大雑把に、大量の魔力で肉体の抵抗力ごと押し流すようにしなければ。


 リリィは腹に力を入れて、魔力を操ってみる。魔法を使う際にはインクを少しずつ使って細い線を描くイメージだったが、それとは違い、インクをぶちまけて大量の面積を塗りつぶすように。


 するとリリィの努力の甲斐あってか、どんどんと右手に魔力が浸透していく。肩から二の腕、肘のところまでくると、押し戻される感覚は弱くなり、するりと右手まで魔力が行き渡った。


 しかしリリィの胸中に到来したのは、達成感ではなく違和感だった。

 なにかが違うような気がする。パズルの最後のピースだけ上手くはまらないような感覚……といえばわかるだろうか。


 ミムは魔力の鎧を着込むような感覚と言っていたのに、リリィの魔力は鎧と言い張るにはどことなく頼りないような感じがする。


 これでは鎧というよりも綿わたを腕に巻いているようなものではないだろうか? 初めてだとみんなこんな感じなのだろうか?

 どうだろう、これでいいのかと考えているとミムの声が鼓膜に届く。


「そうそう! すっごく上手よ! じゃあそのまま私の手にパンチしてみて」

 ミムは左手を胸の高さで開いてこちらの突きを待っている。

 一体どのようにして他人の魔力操作を感じ取っているのかはわからないが、そこは熟練の軍人だからこその感覚なのだろうか。


 疑問はあるが後にしよう。リリィは指示通り、ミムの手の平に向けて突きを放つ。

 女性に対して全力で拳を打ち込むなんて、と思わなくもなかったが、彼女は到底壊せそうもない障壁を一撃で粉砕した戦士なのだから、自分のパンチ程度じゃどうにもならないだろう。


 そう思い至り、リリィの拳はミムの左手に直線を描いて突き進む。

 そして、拳がミムの手に当たった瞬間……


 ポヨン。


 と柔らかな感触がリリィの右手を包み込んだ。

 それは障壁を砕くような強烈さなど微塵も感じさせないような感触で。


「「え!?」」

 二人は異口同音に驚愕の声を上げる。


 ……。


 なんだか妙な気まずさを感じて黙っているとミムが口を開いた。

「ま、まあ最初だしこんなこともきっと起こるわよ。気を落とさないでリリィさん」


「そ、そうですか……」

 明らかにありえない状況に遭遇してしまった……という反応をしていたミムが咄嗟にフォローしてくれるが、流石に今のは自分でも異常だとわかる。


 まといそのものはミムが褒めてくれたこともあったのだから成功していたはずだ。このセルム支部で大隊長を任されているミムが、それを見間違えるとは到底考えられない。


 一体どんな作用があってあんなに柔らかい感触になってしまったのか。魔力の鎧というよりもあれでは緩衝材でしかない。

 考えても結論は出ずに悩んでいると、ミムから声をかけられる。


「えーと、さっきの障壁魔法を見る限り、リリィさんは魔法の方が得意みたいだからそっちに挑戦してみましょう。大丈夫、まといも慣れていけばできるから、まずは長所を伸ばしましょう」


 ミムはそう言うと障壁魔法とはまた別の術式破砕紙を手渡してくれた。

「これは灯火ともしびの魔法よ。小さな火種を発生させる魔法で、触っても少し熱いだけで火傷まではしないわ。攻撃手段としては使わないけど、これも軍人として基本的な魔法なの。さあやってみましょう」


 確かに彼女の言う通り、まだまだ新人だから失敗してしまっただけかもしれない。リリィはそう考えて灯火の魔法に取り掛かる。


 先ほどの障壁魔法と同じく、術式破砕紙はすぐにクリアできた。浮き上がった水色の図形はパキィと音を奏でながら砕けて成功したことを知らせてくれる。

「うん。やっぱりリリィさんは魔力の精密操作の方が得意なのね。よし、じゃあ次は実際に使ってみましょう」


「はい、じゃあいきますね」

 やはり得意不得意の問題だったのだろう。同じ魔力操作でも精密さが要求される魔法と、力強さが重要なまといとでは異なっていて当然だと言えよう。


 リリィは意気込んで灯火の図形を空中に描き、今度は二秒もかからずに描き終えた。

 そして水色の魔力の線が輝き、灯火の魔法がその姿を表す。かに思えた次の瞬間。


 ぽすっと情けない音と共に、リリィの魔力は霧散した。


「……え?」

 リリィは呆けた声と共に完全に困惑してしまい、隣にいたミムは眉間にしわを寄せて一言。


「どういうこと……?」

 とだけ呟いた。



 〜〜〜〜〜〜



「リリィちゃん、率直に言うね。軍人になるのは諦めた方がいいと思う」


 場所は変わってここは診察室。

 そしてリリィはゼレーナからドクターストップをもらってしまった。


 気分はまるで選手生命に終わりを告げられた高校球児のよう。

 そのあまりの唐突さに、リリィは「へ?」と間抜けな声を出すことしか出来なかった。

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