第5話 予言の意味
来たのと同じように、李珠らは黒い穴を通じて黒龍堂へ戻る。再び古びた家の空気が李珠らを包んだ。
「なるほど。やはり、呪いではなかったか」
王仙夏は相変わらず椅子に腰かけ、売り物であろう雑貨をもてあそんでいる。見るからに余裕がありそうで、気絶しそうなほど怖かった李珠は、相手も忘れて睨んでしまった。
「こ、怖かったですよ……?」
涙目で抗議すると、店主は重々しく頷いた。
「手伝うと言ったであろう。それが対価だ」
「でも……!」
「人が嫌がることをする。だから対価になる」
王仙夏は片方の眉をぴんとあげた。
「……むぅ」
店主の視線を追ってみると、机の上には絵図が載っていた。白い紙に黒い点が散らばっているものだ。よく見てみると、全ての点は中心から円状に並べられているようにみえる。
その輪の中央には、やはり一つの黒点があり、『北辰』と書かれていた。
なんだろう、と思ってみている内に、徐文が声を発する。
「王仙夏殿、紙と硯を借りますよ」
言うが早いか、徐文は別の机ですらすらと文字を書き始めてしまった。李珠は少ししか読み書きができないので、徐文の筆の速さに目を見張る。
あっという間に一枚が書き上がった。
「牛の言葉を書き写しました」
「うむ」
王仙夏は、広げられた絵図と、徐文が書き上げた文字を見比べる。
「これから牛の言葉を解き明かそう」
姉のことは心配だったが、李珠は不思議な絵図と、徐文の文字に気を奪われた。
王仙夏は、指を李珠が見つめる絵図に這わす。
「これはな。この圭城府から見える夜空を描いた星図――『
机の中央に置かれた香炉から、いつの間にか白い煙が立っている。煙は止まることなく登り続け、天井付近に達すると、小さな円になった。
王仙夏は指を振って、白い丸を次々と生み出し、天井全体へ散らしていく。
「うわぁ……」
星図が、そのまま頭上に写し取られた。
「こちらの方が分かりやすいだろう」
王仙夏は笑みを向ける。なぜだか優し気に見えて、李珠は変な気持ちになった。
「これら星の動きから、牛は警告を発していたのだ」
「警告?」
「うむ。言葉とは難しい。『お前は死ぬ』と言われたとして、死を定められた呪いとも聞こえるが、そこに死の回避方法が示されていたら、どうだ?」
李珠ははっとした。
「……た、助かると、思いますけど?」
「そうなるな」
王仙夏は徐文を見つつ、歪んだ口で笑う。
「徐文よ。宮では呪いをかける牛が出たということになっているそうだ。が、それは、話を最後まで聞かぬからだ。大方、恐ろしさのあまりに誰も最後まで牛の話を聞かなったのだろう」
徐文は持ったままの筆で、何度かこめかみの辺りをつついた。
「耳が痛い話です。その通りで……牛が現れた瞬間、何人かがその牛に切りかかってしまい」
王仙夏は頷く。
「ゆえに、李珠をいかせた。牛はもう、大人を警戒しておっただろう」
李珠ははっとした。王仙夏は徐文から怪異について聞いた時に、もうある程度の推察は済んでいたとでもいうのだろうか。
香炉から白い煙が立ち、王仙夏の周りにたゆたう。
異形の角が生えた顔は、つまらなそうに、あるいは無感情に、天井の星を追っていた。
「牛は人に近い動物だ。史上、牛が予言をした例というのもそれなりに多い。より東方では、『
さて、と王仙夏は言葉を切った。
「牛の予言を読み解く」
王仙夏は指の先を、天井の中央に向けた。
「牛が言った北辰とは、この星のこと。常に北の夜空の中心にある。ある意味で、宇宙の中心といえる星だ。人間に例えると――」
王仙夏は言った。
「大辰国の中心。中華の中心。天子、つまり『皇帝』ということだ」
指を下げ、王仙夏は天井の端に向ける。
「六星とは、南にあるこの星座のこと。結ぶと弓のようになり、この季節、夜空の南端に現れる」
弓の形になる六つの星が、心なしかきらりと輝いた。と、王仙夏はその傍らにある星を指す。
「他方、この日、この首府では、この弓が北辰に向いている。おまけに弓のすぐ側にある星座は、毒虫――サソリだ」
ふむ、と部屋の隅にいた徐文が頷いた。
「大辰国の中心を狙う、弓とサソリ――凶兆というわけですか?」
「うむ」
李珠は星図を見上げた。意識が吸い込まれてしまいそうだ。
「星座というものは妙なものでな」
王仙夏は宙を見上げて言った。
「何の意味もないように見えるが、きっかけがあれば、途端に意味が生まれてくる。牛のあやかしは、今の星図を読み解くきっかけを与えることで、予言としたのであろう」
李珠は胸に手を当てた。あのあやかしの目の奥にあった、恐れと喜びはそういうことだったのだ。
予言が伝わらないことを、牛は恐れた。
せっかく出て来たのに、伝えられないことを、恐れていた。
「……あれ?」
だとしたら、『呪い』じゃない。
善いあやかしだ。
李珠は恐ろしさに気を取られ、悪いものだと断じていたことに気づいた。
「あやかしを、たやすく信じるなよ」
王仙夏が冷や水をかけた。
「……え?」
「たまたま、そういうあやかしが出たというだけだ。恐ろしいあやかしも、多いのだからな」
王仙夏が指を鳴らすと、夜空の絵図はかき消えた。残されたのは薄汚れたはりが目立つ、古びた天井だ。
飾り格子にもたれて、徐文は頭をかいている。
「それで……」
徐文は情けなさそうな顔をしていた。予言してくれたあやかしを、自ら退散させてしまったからかもしれない。
「どうすればいいのですか?」
「予言を聞いた『お方』は、弓を頂戴しているはずだ。その矢筒の中を調べてみよ」
徐文は細い目を伏せて、気まずそうに笑った。
「……そこまで、お見通しですか」
「うむ。夜天祭の季節に、皇帝が弓をもらうのは大辰国の習わしだ」
王仙夏はもうつまらなそうな顔をしていた。
「北辰とは、北極星。夜空の中心――つまり天下中華の中心を示すにはうってつけよな」
李珠はへたり込む。
大人同士で難しい話を交わされて、急激に眠気が襲ってきたのだ。
李珠には、今一つ予言の意味がとれていない。けれども役目は終えられたらしい。
徐文が近寄ってくる。
「……疲れたかい」
「はい。ちょっと、くらくらします」
徐文は李珠を支え、椅子まで連れて行ってくれた。
「先ほどは言えなかったが、君が救った人物はとても偉い人なんだ。あとで褒美が出る。宝石や銀が、きっとたくさん――」
「い、いえ、それより」
李珠ははっとして立ち上がり、きっと王仙夏を見つめた。
「お姉ちゃんを見つけてくださいっ」
李珠の言葉に、王仙夏は頷いた。
「無論のことだ」
王仙夏が手を振ると、広げられていた絵図が、勝手に丸まった。そのとき、李珠はふと気付いた。
南天にある弓とサソリから、北辰を守るように、ある星座が控えている。
それは――龍の星座だ。
尾を揺らめかせて、王仙夏は言う。
「対価、確かに受けとった。おぬしは待っていよ」
姉を探してもらえると知って、李珠は深く安堵した。
気を張っていたせいか、意識がぷつんとそこで途切れてしまった。
◆
気付くと李珠は、家で眠っていた。
もう朝だ。
お祭りに連れて行ってくれた郭おじさんは泣いて喜んでくれた。よかった、よかった、と言ってくれた。
夜天祭で李珠達とはぐれ、街の人達は総出で探してくれたらしい。それなのに家を見てみたら、李珠がすやすやと寝ていて、みんなで仰天したようだ。
「郭さぁん!」
「ちゃんと家の中みないとダメだよっ」
「一番最初に見るところだろ」
郭おじさんが散々に言われている。
李珠はぱちぱちと瞬きした。夏の気配がする朝。小鳥の声。温かい日差しと風。
昨日のことは夢だったように思える。
ぼうっとする頭に手をやると、李珠は不思議なものに触れた。固い。
「
宝石などはあしらわれていない、木でできた普通の
李珠は隣の寝台を見てはっとした。
「お姉ちゃんは……?」
「お姉ちゃん?」
集まっていた同じ
それぞれが顔を見合わせていた。郭おじさんが不思議そうに口を開く。
「君は……一人っ子だろう?」
李珠は愕然とする。
お姉ちゃんが消えたのは――夢じゃない! ぞっとした寒気が
王仙夏の声が聞こえた。
――おぬしの姉について、様子がわかった。少しばかり、込み入ったことになっているようだな。
郭おじさんに「親戚の家へ行く」と告げて、李珠は
――黒龍堂へ、来るか。
「は、はい!」
李珠とあやかしの物語は、始まったばかりのようだった。
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