第3話 最初の依頼

 入ってきたのは、藍色の礼服に身を包んだ若者だった。頭には、宮殿での官位を示す緋色の帽子。飯屋で聞いた話によれば、この色はけっこうな高位だったような気がする。

 腰には剣。

 なにか兵士関係の、しかも偉い人なのかもしれない。


「徐文という男だ」


 仙夏がそう教えてくれた。李珠りじゅはぐいと腕を引かれて立たされ、奥の椅子にすとんと座らされる。

 王仙夏は机を挟み、李珠の斜向かいに腰を落とした。


「いつまでも床に這いつくばるな。かえって居心地が悪い」


 王仙夏は口を曲げてしまった。入ってきた男は、まだ入り口で細い目をぱちぱちやり、李珠と王仙夏を見比べていた。


「これはまぁ……」


 意外と穏やかな声だった。


「こんな小さな子供を、さらってきたのですか?」


 王仙夏は心外そうに顔をしかめる。


「ふん、勝手に来たのだよ」


 入ってきた徐文という人もあやかしの類いかと思ったが、尻尾もないし角もない。

 李珠からの視線に気づいたのか、徐文はにこりとする。安心させる笑顔だ。


「ああ、僕は人間ですよ。君子は怪力乱神を語らず、さ」


 徐文は座らず、壁に背を預けた。

 王仙夏はしばらくの間、大きめの椅子に座ったまま、腕を組んでいた。香炉から立ち上る香りが、だんだんと李珠の心を落ち着かせてくれる。

 よくよく見ると、店全体は古びてはいるが、椅子や机の品はいい。紅木に龍や葉が彫り込まれていて、実は立派なお店なのかもしれない、と李珠は思い直した。


「さて、私の仕事を話そう」


 人の背丈ほどもある尻尾が、床をずるりと動く。李珠は慌てて姿勢を正した。

 そうだ、『ただの』お店ではない。


よろずのことを生業にしている。つまりは、主に困りごとを退治するのだな」


 特に、と店主の目線は壁にいる徐文へ向けられる。


「首府には、あやかしが出る。大抵はなんということはないが、表の道士の手に余れば、こうして私を頼って客が来る」


 道士、と聞きなれない言葉が李珠の頭に残った。夜叉国の職業なのだろうか。


「他にも失せ物探し、人捜し――」


 続ける王仙夏に、李珠は身を乗り出してしまった。


「人捜し! そ、そうです、お姉ちゃんを……!」

「おぬしの望みも同じだ。対価があれば、やってもよい」


 王仙夏は意地悪げに、片眉をぴんと跳ねあげた。


「でも、わたし――」


 口ごもる李珠に向かって、王仙夏は面倒そうに手を振る。


「金がない。けっこう、では働くがよいのだ」


 王仙夏が目線で示したのは、壁際でぽつねんと聞いていた徐文だ。徐文はわざとらしく両手をぽんと叩く。


「あ、なるほど。つまり、僕が持って来た依頼を、この子に手伝わさせようと?」

「ええ!?」


 李珠は椅子から飛び上がってしまった。


「て、手伝うって、何をです?」

「私の仕事をだ。徐文、おぬしが来たということは、新しい面倒ごとがあるのだろう」

「それはもう」


 徐文は深々と頷いた。


「もう宮殿はしっちゃかめっちゃかですよ。今夜中になんとかしないと……」


 苦り切った口元に、李珠はおそるおそる尋ねた。


「し、しないと?」

「大辰国がめちゃくちゃになってしまうかもしれない」


 ええ、と李珠はまたも跳びあがる。


「めちゃくちゃって?」

「それはもう……めちゃくちゃなんだ」

「だから、そのう……」

「大辰国の、さる貴いお方が、呪いをかけられたんだ」


 不穏な言葉に、李珠はどきりとする。


「呪い?」


 李珠は震える声でくり返す。細かいことは分からないけれど、自分がとんでもないことに巻きこまれつつあるのは気付いてきた。

 徐文は帽子を揺らし、神妙な口調で語り始めた。


「そう。圭城府は、大辰国の中心、つまりは世界の中心だ。君らのいう天子様――皇帝陛下がおわす場所。僕はそこで働いていている」


 徐文は礼服を着ているし、立派な緋色の帽子もつけている。庶民とは格が違う人物であろうとは思っていた。


「そこに、呪いをかける怪物が現れたんだ」

「ど、どんな……?」


 徐文は腕を組んで、腰に吊った剣をみやる。。


「体は、見たところまさに牛だった。牛の体に人の頭がついている。そしてある人物に向けて呪いの言葉をはいた」


 続きを聞いて、李珠はもう家に帰りたくなった。


 ――『星が言う。おまえは苦しんで死ぬだろう』


 真っ青で口に手を当て、李珠は想像してみる。

 人の顔がついた牛。しかも呪いをかけてくる。

 これは怖い。ものすごく怖い。

 遭遇したあやかしを思い出し、李珠は椅子の上でガタガタと揺れた。


「あ、あ、あわ……あわわ……!」

「………………この子で大丈夫なんです?」

「少なくとも健康だ」


 王仙夏は珍しい生き物をみたように、くつくつと笑っている。


「むしろ天の采配といえるだろう。うってつけだ」


 徐文は腕を組んでこちらを見ていたが、首を振ってきた。諦めろ、ということだろうか。


「こういう類いの話は、昔からあってね。どうしてもあやかしが手に負えないときは、僕らはここに来ていた。あやかし達の街にね」


 李珠は手を挙げた。老師せんせいがいる場所ではそうして答えを聞くものだと、飯屋の雑談で聞いていた。


「はい、質問です」


 李珠はぐるぐる回る頭を必死になだめすかす。


「はい、小李李ちゃんどうぞ」


 徐文はけっこう優しい。


「む、昔からこんな場所があるのですか?」

「うん、そうだね。圭城府から迷い込むことは、本当はまずないのだけど……」

「そ、そのう……危なくないのです?」

「知らずに迷い込めばね。用心して、備えをしておけば、短い間であれば不自由はない。人を襲うあやかしもいるそうだけれど、危険なあやかしは、他のあやかしも襲うらしいから、街には少ない」


 そういえば夜盗や山賊のような悪い人は、里から離れたところに棲んでいる。あやかしもそうであるのかもしれない。


「あやかしが住まう夜叉国にも、街と山がある。圭城府からいけるのはこのあやかしの街だ。遠い砂漠の地にある、という伝承になっているけどね」


 李珠はごくりと喉を鳴らす。王仙夏は長い尻尾の先を揺らしながら、ゆったりと身を乗り出した。


「ただし、備えがなければ、あやかしの世界の空気は、人に毒だ。やがて生気を吸われて動けなくなってしまう」


 李珠は胸に手を当てる。姉が心配だった。


「お姉ちゃんは」

「言ったであろう」


 王仙夏が手を振り、遮った。


「探してやる。だが何度でも言うが、対価が必要だ」

「対価……?」

「対価をもらわずにあやかしが人間に力を貸せば、それは世の理を歪める」


 それで、手伝い。飯屋を手伝って駄賃を得るのと同じことだろうか。

 李珠が王仙夏の仕事を手伝い、そのお返しとして、姉を探してくれるということだろう。

 王仙夏の仕事とは――徐文が持って来た『しゃべる牛』の怪を、解決すること。


「は、はぁ……」

「まぁタダ働きはできぬと覚えておけ。それとも、問うが、おぬしは労役以外に何か出せるのか?」


 う、と李珠は唸ってしまう。

 怖かった。角の生えたこの人もまだ怖いし、あやかしだらけのこの世界も怖いし、姉を失うことも、もちろん恐ろしい。


「いいえ……出せません」


 李珠は膝で両手をぎゅうっと握ってから、浮かんでくる涙をぬぐう。


「あ、あたし、なんでもやります……!」


 うむ、と王仙夏は頷いた。


「決まりだ」


 王仙夏は立ち上がり、店に向かって手招きする。途端、雑然とした売り物の中から一本のかんざしが飛び出し、王仙夏の手に握られる。

 少し埃がかぶっていた。

 王仙夏は角の生えた頭を傾けて、息を吹きかける。すると埃があっという間に剥がれ落ち、かんざしは見事な姿を取り戻す。黒々とした宝石が、薄闇の中でさえ美しい。


「これを持て。あやかし共から守ってくれようぞ」


 王仙夏は李珠の頭にかんざしをさしてくれる。


「おぬしが私の仕事を手伝う間、私はおぬしの姉を探しておいてやろう」


 李珠は頷き、覚えている限りの姉のことを話した。


「翡翠の、髪飾り……?」


 王仙夏はその部分に少し反応する。


「ふむ……覚えておこうか」


 やがて王仙夏は口で何ごとかを唱え、壁を触った。

 と、壁が渦巻き状にうねりだし、ぽっかりとした穴が開く。夜風がひゅうひゅうと吹き込んできた。


「では、いくとよい。夜はまだ深い。あやかしと出会える刻限だ」

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