リビングレッドを殺せ
ここほひ
プロローグ 落下物
アンコンは空を眺めていた。空からは様々なものが降ってくる。
雨や雪、そして今しがた彼女が肩にくらった鳥の糞。
遠く離れた異国では魚の群れが降ってきたという話もある。
さらに、彼女の父曰く彼女の母は空から降ってきて出会ったそうだ。母も話を合わせるものだから子供ながらに信じていた彼女だが、大人になった今ではもう信じてはいない。そう、人間が降ってくるなどあり得ない。あってはならない。だが。
「あー、父さん。今なら信じられるよ……」
曇を突き抜けて見知らぬ人間が降ってくるのを彼女ははっきりと見ていた。
正確に言えば、人間が入った巨大な透明のカプセルが空から降ってきていた。
そして、それは彼女の勤め先「手伝屋マゲイロス」の事務所に直撃した。
手伝屋マゲイロス。依頼すれば大抵のことを代行してくれるサービス業者。
庭の草刈りから浮気調査まで、プロの腕には一歩及ばないものの高水準で低価格、
なにより人柄の良さから人々に親しまれている。
その事務所がたった今、崩壊したのだ。
「困りごと、代行します」と書かれた看板を貫通し、大穴の開いた二階建てレンガ造りの建物には既に人だかりが出来ている。直撃した一階部分は半壊状態でいつ崩れてもおかしくないという状況だ。
「おいおい、大丈夫かよこれ」
「困ったなぁ、俺午後から依頼しようと思ってたのに」
「んなこと言ってる場合かよ!中に人がいるかもしれないんだぞ!」
「すいませーん!道開けて!」
ガヤガヤと騒ぐ野次馬共を押しのけ、アンコンが事務所に近づいていく。小柄な彼女には入り口など全く見えていない。
「お、あれアンコちゃんじゃね?」
「あー、最近入った子か。若いのに大変だな。職場吹っ飛ぶなんて」
「いや、俺は前々からここはキナ臭いと思ってたね。噂じゃ隣町のヤクザと……」
「いいからどいてくださいよぉ!」
道を塞ぐ肉壁の隙間からすぽん、と身体をひねり出し、ようやく事務所の全貌を見ることが出来た。同時に、彼女の顔が青ざめる。
「コバちゃん!ゼロ!リーダー!みんな無事⁉」
アンコンは後ろから聞こえる雑音を無視して、事務所に駆け込み同僚達の名前を叫んだ。
事務所はまるで砲弾でも撃ち込まれたかのようにガレキの山と化している。
透明なことと中に火薬の代わりに人間が入っていることを除けば、あのカプセルはほとんど砲弾と大差ない。
もし誰かが怪我でもしていたら、と彼女の心臓は激しく動いていた。
「おーい、誰かいないの!無事なら返事を!」
「お、アンコか?ここだ~……」
涙目になりながらガレキを掻き分けていると、奥の方から男の声が聞こえた。
見る影もないがあそこはソファとテレビが置いている居間だった場所。
急いで声のする方へ駆け寄り、ガレキの隙間から見えた太い人間の腕を掴み山から引っこ抜こうと力を込める。
が、小柄で非力な彼女ではびくともせず、結局中の人間が自力で山を崩して出てきた。
「ゲホッゲホ」
「リーダー!無事だったんだな!はぁ~良かった……。あ、怪我はない⁉」
「おうおう抱きつくな。大丈夫、ピンピンしてる」
モグラのように山から出てきた大男、マゲイロスは抱きついてきたアンコンを引きはがし、身体の塵を払い落とした。この巨体で顎髭をたくわえた大男はこの事務所をまとめ上げるリーダーであり、アンコンの憧れの存在でもある。
「他のみんなは?」
「コバルトは今日は休みだが、ゼーロイバは隣の書斎にいた。まぁ無事だろう」
「その通り、ゼロちゃんは無事だよ~っと」
マゲイロスの言葉を遮るように隣部屋の扉が開き、長身の細い男が姿を現す。
「ゼロー!良かった、無事で良かった!」
ベージュのトレンチコートを着た細見の男、ゼーロイバの姿を見るなり、アンコンが子供のように飛びかかる。彼は笑顔でアンコンを受け止め、ぐっと上に持ち上げた。
「はい、ゼロちゃんだよ。遅れてきてよかったなぁ。アンコ?」
「……」
「ん?」
「ごっ、ごめんなさい……」
アンコンの顔からすっと笑顔が消え、絶望に吞まれたような目で謝罪する。
この状況で遅刻を咎めるのか、このもやしめ。と彼女は心の中で精一杯の悪態をついた。当然、決して口にはしないが。しばしの沈黙が流れ、二人を呆れたように眺めていたマゲイロスが声をかける。
「ゼーロイバ、大丈夫か」
「ああ、問題ない。むしろ落下地点に一番近かったアンタが無傷なのがわけわからんよ」
「丈夫なのが取り柄だからな。さて……」
マゲイロスが居間の奥にある部屋へと視線をずらす。
降ってきたカプセルはあそこに直撃し、壁と扉を壊して居間を広げていた。
「えっ、カプセルあそこにあるんですか……?」
「落ちてきたのカプセルなの?」
「あの部屋だぞ……あ」
マゲイロスが振り向くと、アンコンは顔を真っ青にしていた。先程ゼーロイバに威圧されていたときとは比べ物にならないほどに暗い顔。理由は明白、あのガレキと化した部屋は、アンコンの部屋である。
「ぎゃあああああ!わたっ私のコレクションがああ‼」
絶叫するなりアンコンが部屋に飛び込んでいく。彼女はアニメグッズのフィギュアを集めるのが趣味であり、自宅にはもう置けないからと仕事場にも持ち込んでいた。
許可を出したのはマゲイロスである。
手前のガレキをどけ、部屋の中に入った彼女は……
「……!!」
泡を吹いて倒れた。棚は壊れ、そこに乗っていたフィギュアたちは土埃にまみれ、バラバラになっていた。総額が億を優に超える彼女の宝は、数分で塵芥となった。
「アンコ!?」
「あーあーこりゃひでぇや。リーダー、アンコちゃんもうダメかも」
「たかがフィギュアだろう」
何を大げさな、と言わんばかりの顔をするマゲイロスに対し、ゼーロイバは肩をすくめ大きくため息をついた。
「わかってない、わかってないよリーダー。周りから見りゃガラクタでも、アンコちゃんにとっては宝物なんだよ」
「そういうもんか?」
「そういうもん」
「う~ん、よくわからん。あ、というか」
思い出したように部屋の中央を見るマゲイロス。
「おっと、これは……」
ガレキの上に鎮座するひび割れたカプセルの中。そこで目を回していたのは、全裸の若い男だった。
「で、そいつがカプセルの中にいたと」
「ああ」
黒スーツの長身の女性、コバルトは顔に手をあてため息をついた。
今日は非番で休日を思いっきり楽しもうとしていた彼女だが、
「事務所が吹っ飛んだ」という理解不能な連絡を受けて急遽駆けつける事態になったのだ。元を取ってやろうと意気込んでいたケーキバイキングも、数年前から楽しみにしていた映画も、全てをキャンセルして来てみれば。
事務所は確かに吹っ飛んでいたが怪我人はなく、飛んできたのはカプセルで、中に全裸の男が入っていた。そして今、その件の男が同僚と共に目の前に座っている。この状況をようやく呑み込んだ彼女はただ呆れるしかなかった。
「で、なんでアンタは縛られてんの?」
コバルトが顔に手を当てたまま横を向く。比較的無事だった応接室のソファに縄でくくりつけられ、布を嚙まされている女。アンコンである。
「……事情はあるんだが、今開放したらこの男を殺しかねない」
「実際、一発殴っちゃったからね」
アンコンは意識が戻ったのち大泣きしながら、まだ朦朧としていた男をぶん殴った。まるで親の仇とでも言わんばかりの叫び声を上げながら。
現在は暴れてこそいないが、その目には確かな殺意が宿っていた。
「え~ちょっと見たかったかも……。いや違う。今はアンコじゃなくて」
「ああ、この男だな。アンタ、何者?」
「……わからない」
右の頬が腫れた件の男はひどく怯えていた。当然である。目が覚めたら突然見知らぬ女にぶん殴られたのだ。だがそれ以上に、男には不安な点があった。
「記憶がないんだ……」
「…………マジか」
「ああ、何も覚えていない。なぜカプセルに詰められていたのか、どこから来たのか。それと、はぁ。な、名前すら思い出せないんだ……」
男は今にも消えそうな声で身体を震わせながら答えた。およそ噓をついているようには見えず、本当に何もわからない不安だということは四人にもすぐに感じ取れた。
「記憶喪失の男とぶっ壊れた事務所。参ったぜ。なぁリーダー、今日から有休とっていい?」
「というかこのままじゃ仕事出来ないでしょう」
「あ、じゃあ長期休暇?やったぜ」
「んーッ!んんーッ!!」
「なぜカプセルに……」
一斉に喋りだす四人を尻目にマゲイロスは腕を組み、思考を巡らせた。彼はこの事務所の社長、社員は食わせねばならない。そしていくら元凶と言えども記憶の無い男を放り出すほど冷徹な男ではない。数分沈黙したのち、彼は手を叩き勢いよく立ち上がった。
「全員静かに!まずお前ら、仕事は場所を変えて継続!そして男!お前はうちで働いてもらう!ここの修理代稼ぐまでと、お前の記憶が戻るまでだ。以上!」
口早に、声高々に告げられた命令。
新生手伝屋マゲイロスの誕生宣言に男とコバルトは目を丸くし、
ゼーロイバはひっくり返り、アンコンは再び泡を吹いて倒れたのであった。
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