(2)

 ☆私


「結局、事件っていうのはかつてのそれと同一犯だったの?」


「事件?」


「人さらいの話。店主とお客の男性の会話に食い違いがあったみたいだけど。さすがに犯人は分かっているんでしょ?」


「さぁ?」


「さぁ? って、あなたのしている話は十年も前の出来事なんじゃ?」


「そうなんだけどねー」


 話に登場するアリスやピエロは幼い。それに私のことをこの二人は十年以上も探していたと言っていたのだから、十年という時の流れは御伽の国とも違いないはずだ。もしかして、事件はまだ解決していないなんて言うのだろうか? 


「実は、すぐに王様に君を探すように命じられたから、事件の詳細については何も聞いていないんだ。それにミステリの結末を先んじて知ろうとするのはご法度さ」


「そりゃそうだけど」


 けど、最後まで聞いたってあなたは肝心のオチを知ら無いんでしょ? 喉につかえたそんな野暮な言葉を私は引っ込める。アリスがこっちの世界にやって来た理由に、さして事件は重要じゃないという事だろう。だったら諦めるしか無い。


 ため息をこぼした私を、ピエロは申し訳無さそうな表情で見つめる。そんな顔されても困るのに。「気にしないで」と声を掛ければ、「ごめん、王様にちゃんと聞いておけば良かった」と悲しげに呟いた。


「王様?」


 王様というワードは、二人の会話に度々登場していた気がする。確かママはその王様の命令でここにやって来たという話だったはずだ。そこにどうして私は違和感を覚えたのだろうか。その正体はすぐに分かった。ピエロの思い出話に登場しているのは、王様でなく女王様なのだ。女王様がいれば王様がいるのは当たり前なのだけど。命令を下している人が変わっているのは、単純に指示を出す役職が夫婦で分かれているからなのか。それとも十年ほどの間に主君が交代したのか。


 でも、ピエロの話の最後には王様が登場するらしいから、後者であるならこのお話の中でということになる。


 そのことを訊ねようとしたタイミングで店の扉がノックされた。


「あれ、お客さんかな?」


「大変だ! ほら、隠れないと」


 ピエロにそう言われて、私は彼を抱きかかえてカウンターの中へと身を隠した。ボウリングの玉を抱えたような重さだ。生首を抱えていると思うと気持ち悪いが、ピエロのメイクをしてくれているおかげか、気味悪さは少しだけマシだった。


 そもそも、彼は首だけだから、客が来て身を隠すのは分かるけど、どうして私も隠れてしまったのだろうか。別にここにいたって問題は無いのに。


「いらっしゃい」


「いいえ、客じゃありませんよ」


「あー、あんたかい」


 客じゃないとはどういうことだろうか。心でボヤいた私の疑問は、何も言わずともピエロが答えてくれた。カウンターの向こうには聞こえないようにヒソヒソと。


「たぶん、刑事さんだ」


「刑事さん?」


「うん。最近よく来るんだ」


 椅子に人が腰掛ける音が聞こえる。


「今度は何を聞きに来たんだい?」


「いえいえ、変わったことは無いかなと思いましてね」


 話し声は中年の男性という印象だった。渋く低い声だ。刑事というのは、重々しい雰囲気がある。けど、内面は優しい人たちばかりだ。そう思うのは、バス事故でお世話になった際に良くしてくれた思い出があるからだろう。


「客の来ない店に、あんたがちょくちょく現れるくらいなものさ」


「そうですか。それは何よりで」


「何がなによりなんだい」


「変わりのないご様子で安心しただけですよ」


「はぁ、嫌味かい?」


「そんなわけないじゃないですか」


「まったく、……そんなことを言いに来たわけじゃないだろう? 早く要件を言いな」


「無駄話はお好きじゃありませんもんね。……それじゃ、ここに彼女が来たりしませんでしたか?」


 紙が擦れる音がした。厚紙だ。恐らく刑事が写真を取り出したんだろうと思った。


「……、いいや知らないね」


「そうですか」


「彼女がどうかしたのかい?」


「いえいえ、こちらの話ですから」


「事情も話す気がないのに、一方的に提供されようなんて虫のいい話だ。あんたが探してるってことは、どうせろくな事件じゃない」


「ママさんは勘がするどいですな」


「バカでも分かるよ」


「とっくの昔に打ち切られた事件ですよ。十一年前のとあるバス事故。その事故のことを調べていましてね。被害者の一人である少女の身元が最後まで分からなかったんです」


「不思議なこともあるんだね」


「そうです」


「それで、これがその彼女なのかい?」


「いいえ」


 カラン、と氷の音がした。一瞬、私が呑んでいたグラスが鳴ったのかと焦ったが違った。ママが刑事のために新しいお冷を用意したらしい。おそらく、私たちが隠れたタイミングで、ママが片付けてくれたのだろう。カウンターの上にグラスが置かれる。刑事はお礼を言って口に含んだ。喉元を冷たい水が通っていく音が聞こえる。


「みんなそちらの方を探るんですけどね。彼女は、まるでシンデレラのような綺麗なドレスを着てしいましたから。ガラスの靴を忘れていないかと躍起になっているんです」


「ふざけた言い回しだ。手がかりだろ?」


「そうとも言いますね。しかし情緒がない」


「情緒なんて必要ないだろ。警察っていうのは暇なのかい?」


「そういうわけでもないんですが。少々、冗談が過ぎましたかな。彼女の格好が特異だったのは違いありません。他がそちらばかり調べるのは納得のいくところです」


「じゃあ、あんたはどうしてこの子を?」


「この子もバスに乗っていた被害者なんですよ」


「そりゃそうだろうさ。私は、この子を探っている理由を聞いているんだ」


「刑事の勘です」


「それもまた可笑しな話だ」


「まったくです」


 そこでもう一枚写真が出された。「こっちは?」とママが訊ねる。


「こういう女性に見覚えは?」


「どうだろうね。見たことのない顔だ」


「いえいえ、あくまで『こういう女性』をですよ。これはイメージ写真でしてね。つまり、訊ねているのは、顔ではなく服装です」


「服装? 近頃は見かけない格好だ」


「昔は客引きなんかでよく目にしましたけれど。どこも厳しくなってますから」


「そうしてるのは、あんたたちだろ?」


「違いありません」


 写真がしまわれる音がした。刑事が席を立つ。恐らく話していたバス事故というのは私が遭遇したものだろう。ドレスを着ていたという方が私のはずだ。目覚めたのは病院で、入院着に着替えさせられていたから覚えていないけど。つまり、刑事が探しているのは私じゃない。それはママの反応で分かった。


「それに、このバス事故は運転手の不注意で起こったものとされていますが、私にはそうとは思えんのですよ」


「仕組まれたものだってことかい? そういう根拠は?」


「これまた刑事の勘ですな」


「便利な言葉だ」


「全くです。当時、事故の起きたバスは念入りに調べられましたから。異常は見つかりませんでした。だから、一人で捜査しているんですけどね。妄想だと笑われ、誰も相手にしてくれないもので」


「周りが正しいね」


「えぇ。ただ、この服装の女性が乗客の中にいたという証言もあるんです」


「証言っていうことは、確証はないってことかい?」


「そうですね。緊急車両が着いた頃にはいなくなっていましてね。乗っていた気がするという話がちらほらと出ただけで。少女と同じようなドレスを着ていたとの話もあります。ですが、怪我は軽症とは言え激しい事故でしたから、その日の記憶が定かでない人もいて。どこまで信頼のある証言なのか分かりかねるんです」


「もし、その女がバスに乗っていたとして。あんたが探しているってことは、そいつがバス事故を引き起こしたと?」


「その可能性もあるでしょうな。犯人が現場に残る理由はないですから。それに証言が一人なら錯覚やショックで見た夢で済ませられます。しかし、共通点があるというなら怪しむべきなので。これは刑事の長年の経験則です」


 バス事故の詳細を聞くのは、ほとんど初めてに近かった。当時、警察側に話せることはなにも無かったし、自分の身に起きた事故のことは、あまり聞きたいことじゃなかったから、わざと遠ざけていたのもある。


 もちろん、警察から嫌でも聞かされたことはあった。けど、事故で処理されてからは、警察側も無理に記憶を思い出させようとはしなかった。


「その女が犯人だとして、あんたはどうやってバス事故を引き起こしたと思ってるんだい?」


「分かりかねますな。本人に聞いてみたいものです。運転手を眠らせたり、意識を朦朧とさせられる魔法でも使えれば簡単なのでしょうけど」


「魔法かい。絵空事だね」


「冗談ですよ……。はて、この絵はなんですかな?」


 私が描いたバニーガールの絵が机の上に置きっぱなしになっていたらしい。


「ただの落書きさ」


「絵がお上手なんですな」


「人並み程度だよ」


「いえいえ、中々ですよ。それにしても偶然、奇遇とはこのことですかな」


「そうだね。なんなら持っていってくれても構わないよ」


「さすがに遠慮しておきましょう……。近頃は世間がうるさいですから。では、何か気づいたことがあればご連絡ください。以前に携帯の番号は渡してありますよね?」


「あ―。常田つねたさんだったかな?」


「そうです。ママさんに覚えて頂けて嬉しいですよ。常連さんに嫉妬されちゃいますかな」


「常連は愚か客なんていないよ」


「それはそれは。では私が常連ですかね」


「名前も覚えちまったしね」


「では、また来ます」


 店の扉がそっと閉じられる音がした。



 *


 刑事が帰ったことを確認するために、私とピエロはカウンターからおずおずと頭を出した。


「もう大丈夫だよ」


 ママにそう言われて、私は客席の方へ戻る。ピエロは「もー、急に来られると焦るよー」と言いながら、だらんとカウンターの上で横になった。


「あの刑事さんはよく来るんですか?」


「最近は割と頻繁に来ているね……、」


 横になったピエロを持ち上げて、ママは取り出したクッションの上に乗せた。柔らかい素材が心地よいのか、彼はすりすりと頬を擦り寄せていた。 


「それよりも、バス事件っていうのはあんたが言ってたやつだろ?」


「多分そうです」


 うーん、とママが顎に指先を当てて思案するように唸る。


「……、やっぱりあんたはアリスかもしれないね」


「どうしてですか?」


「あの刑事は勘がいいんだ。というのも、どうして私の店に来ていると思う?」


「どうしてかと言われても。調べているっていう事故とここが関係あるからなんじゃ……?」


「この店とその事故の関わりってなんだい?」


「私がいることとか……?」


 半ば冗談だった。だって、あの刑事がここに来るようになったのは、私がここを訪れる前からのはずだから。私は偶然この店にやって来ただけ。刑事は、私がここにいることを知らないはず。つまり、刑事にとってこの店とあのバス事故は何の因果関係もないのだ。――だったら、どうして?


「私が御伽の国から来ていることに気づいているのさ」


「えっ?」


 私が訊ねる前にママが答えたのは、私がそういう顔をしていたからだろう。さすがに心を読み解いたわけじゃないはずだ。この思考は誰の目にも見ても明らかだから。


「正確には、私たちがここじゃないどこかから来ていることに気がついていると言った方がいいかもしれないね。あの刑事が御伽の国を知っているわけじゃない」


 あの刑事は、ママがこの世界の住人じゃないことだけを察しているということらしい。


「でも、どうしてあの刑事さんは、あなたが別の世界の住人だって気づいたんですか?」


「以前、彼自身が可笑しな事件に巻き込まれたらしい」


「可笑しな事件?」


「詳しくは聞かなかったけどね。タクシーに乗って別の世界へ連れていかれたことがあるとか言ってたね。大人を育てるためにどうだとか、そんなことを話してた。それで彼は自分の身に起きたその事件を調べているんだと。そもそもバス事故の話で来たのは今日が初めてだ。彼は以前からここに来ている」


 御伽の国の話を信じている手前、今さらママの話を「そんな可笑しな話があるわけない」と否定することも出来ない。すべては、首だけのピエロの存在のせいで肯定されてしまう。


「刑事さんが興味あるのは、バス事故ではなく身元が分からないってところですか?」


「そうだろうね。あんたがここではないどこかからやって来たというところに興味があるんだ。偶然、バス事故のあんたの存在を知ったんだろうさ」


 つまりママが言いたいのは、刑事が調べているということが、逆説的に私が御伽の国からやって来た証拠になっているということだ。


「ついでにいうと、そのバス事故を調べているのは、彼自身に起きた事件のヒントになりうると考えているからだろうね。それで目を付けていたこの店に事情を聞きに来た。彼もまた欲望に突き動かされているってわけだ。……けど、そのおかげで私とあんたに因果関係が生まれる」


 ママの双眸が細くなる。私こそが二人の話すアリスで、その事件を機に記憶を失くしたという話に信憑性が出てきていると言いたいらしい。ママが他所の世界の住人であるという事実を感づいている刑事の言うことだから信用できるという話だ。


 私はやはりアリスなのだろうか。そうであればいいという希望的観測が、そうなのかもしれないという確信的なものに変わりつつあった。私が彼らの探しているアリスであるならば、この世界で行き辛いのも納得できる。だって、私はこっちの世界にいるべき人間じゃないから。


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