俺の目の前で婚約破棄された彼女こそ、俺が探し求めていた女に違いない。
レフトハンザ
第1話
「お可哀そうに」
「くすくす……まあ、彼女がユリウス様に相応しいとは思えませんから」
「ふふ、こんな場所で婚約破棄を言い渡されるなんて、わたくしでしたら恥ずかしくて二度と屋敷から出ませんわ」
意地悪そうな笑みを浮かべた令嬢たちが、憮然とした表情の令嬢を遠巻きに笑っている。
令嬢の名前はセリア・ユーベルバーク。ユーベルバーク伯爵家の長女だ。
彼女はこの華やかなパーティーの会場でたった今、婚約者のユリウスから婚約破棄を告げられたのだ。
侯爵家の長男でもあるユリウスは、公衆の面前で彼女の体面を重んじることもなく、こともあろうに婚約者ではない女性を傍らに抱き寄せながらセリアに向かって婚約破棄を告げた。
本来であれば、婚約者に対してそのような失礼な態度を取ったユリウスこそまわりから糾弾されるべきだと思うが、どうやらこの国の令嬢たちの常識は違うらしい。
ユリウスを糾弾するどころか、婚約を破棄されたセリアを嘲笑するような声が聞こえてくる。
俺がこの国に留学してから一年が経つ。
そのあいだに何度かパーティーで婚約破棄をされた女性を見てきた。
大抵は泣き崩れるか、泣きわめくことがほとんどなのだが、セリアは違った。
凛とした姿勢は崩さず、自分に向けられた侮蔑の視線を跳ね返すような堂々とした態度に俺は感銘を受けた。気位の高い彼女は悪役令嬢と誤解されることが多い。だが、俺は彼女が本当の悪役令嬢でも構わない。
俺が探していたのは、やはりセリアだ。
「セリア。どうぞこちらに」
気が付けば、俺は憮然とした表情のセリアに声をかけていた。
驚いた表情で俺を見つめる彼女の瞳にはほんの少しだけ涙が見える。
まったくこのお嬢様ときたら、人前で涙をこぼすことを良しとしないらしい。
「……ありがとう」
差し出した俺の手を取るセリア。その細い指が震えている。無理もない。気位の高さで有名な彼女だが、ここでは誰も彼女を守ろうともしていない。心細いのは当たり前だ。彼女だって女の子なのだ。
「では参りましょう。貴方は何も悪くはない。本来であれば貴方が退場する必要はないのですが、こんな場所に貴方を置いておくことは俺にはできない」
「……そうですね。ここから退場する必要があるとは私も思いませんが、あなたがそう言うのであれば……」
俺に続いてセリアが会場を後にする。
そんな俺たちの背後からは令嬢たちの嘲笑の声が聞こえてくる。
「成り上がりの伯爵家が」
「ユリウス様が目を覚ましてくれて良かったわ」
「あの男は?」
「さあ、隣国の貴族としか聞いてませんが」
会場を出ると俺はセリアを庭園へと案内した。
この状態では屋敷に送りとどけたとしても心配だ。
薔薇の咲き誇る庭の椅子に俺は彼女を座らせる。
彼女は黙って腰を下ろしたが、俺の手を離す様子がない。
「セリア。もう手を離していただけると」
そう言うと初めてセリアの表情が変わった。
俺の手を握って離そうとしなかったのは無意識のことだったのだろう。
そのことに気づいたセリアは耳を真っ赤にしながら手を離し、横を向いた。
「ごめんさい……」
「いいんですよ。俺とすればセリアにずっと手を握っていただけるなら、それはそれで嬉しいことですから」
俺の言葉に「えっ?」と声を出すセリア。嬉しいのは嘘じゃないが、今の彼女にそんなことを言うのは卑怯な気もする。
「失礼。今の貴方に言うべき言葉ではありませんでした」
「い、いいのよ……」
膝の上に置かれた自分の手に視線を落としたまま彼女は沈黙する。
まだ婚約破棄された現実を受け止めきれないでいるのだろう。
そんなことは当たり前だ。
親同士が決めた婚約。そこに恋愛感情が無かったとしてもだ。
侯爵家に嫁入りするために努力を重ね、ユリウスのために誠実であろうとした彼女が公衆の前で晒しものにされたのだ。
そんなことをする権利がユリウスにあるとでも? いや、断じてありはしない。
百歩譲ってセリアに非があったとしてもだ。
女性をあんな風に晒しものにして良い権利など誰にもありはしない。
「……くやしい……」
消え入るような声でセリアは呟いた。
握りしめた手が震えている。
その手に落ちる雫を見て、俺は心に決めた。
「貴方の価値は何も変わってはいません」
「ありがとう。そう言ってくれるのはアイルだけだわ。でも、ユーべルバーク伯爵家にとっては、わたしが侯爵家の婚約者であることが何より重要なことだったのよ。今となっては、わたしに存在価値などないわ。伯爵家は弟のデミスが継ぐことになってるし、行き遅れの女などただの邪魔者に過ぎないから」
「貴方は悪くない」
「わたしも自分に落ち度があったとは思ってないのよ。でも、真摯にユリウス様をお慕いしていたかと聞かれると、答えることができないの。侯爵家の嫁として相応しくあろうと努力は続けてきたけれど、ユリウス様の心を自分に繋ぎとめる努力をしたかと自分に問えば……」
「それは、ユリウスも同じだ。ユリウスとて貴方を真摯に慕っていたかどうかは疑問です」
「でも、あの彼女は真摯にユリウス様を慕っていた。少なくともユリウス様にはそう見えた。重要なのはそこでしょう。だからこそユリウス様は彼女を選び、私を選ばなかった」
横暴な男に婚約破棄されたにも関わらず、セリアは自分にも非があったと言う。この度量の大きさ。人間としての器。気位が高いのは俺も認めるが、彼女の崇高な性格ならばそれも当然のことだ。彼女ほど自分に厳しい女性を俺は見たことがない。
「誰かが貴方をユリウスに相応しくないと言っていた」
「知ってるわ。ユリウス様には私のような高慢ちきなプライドの高い女は似合わないのでしょう?」
「逆ですよ」
「逆?」
「はい。逆です。そもそも貴方のような誇り高い女性に、凡庸なユリウスこそが似合わない」
本気で言ってるの?とでも言いたげに俺を見つめるセリア。
婚約破棄されたばかりの女性に優しい言葉をかけるなんて卑怯だとは思うがもう止まらない。
「俺が貴方に相応しい男だと言い切る自信はないが……」
俺はもう一度セリアの手を取り握りしめた。震えていた細い指は暖かい体温を取り戻している。
「隣国から留学してきた時はすでに貴方はユリウスのものだった。しかし、今は違う。なら、俺にもチャンスをいただけませんか? あなたの横に立つチャンスを」
「婚約破棄され捨てられた女に言う言葉ではないわ。恥をかくのはあなたの方よ?」
「まさか。もし貴方を国に連れ帰ることができれば、父は大いに喜ぶに違いない。俺が探していたのは貴族特有のちんけなプライドを持った女ではない。自分に厳しく、そして誇り高く、本当の意味で気位の高い女だ。セリアこそ、俺が探していた女だと思う」
俺の言葉にセリアは慎重に言葉を選びながら答えてくれる。
「婚約者に捨てられた今の私に殿方を選ぶ権利などありません。こんな私で良いと言ってくれるのならば、今すぐに貴方の胸に飛び込むべきかと思います。でも……」
セリアは握った手を振りほどき、そっと俺の頬にその手を添えた。
「あなたが私を真摯に慕ってくれていたのは分かっていました。こう言ってはなんですが、私もあなたを憎からず思っている。でも、今の私は貴方を受け入れることができない。ここであなたを受け入れることは、真摯に私を思っていてくれるあなたの心を裏切ることになるから。もう二度と同じ間違いは起こさない。今度こそ、真摯に向かい合い、お互いに何の後ろめたいところもなく、支えあえる関係を築きたいと思ってるの」
俺は、頬に添えられたセリアの手を握り返す。
気位が高い彼女は、自分の負い目が俺の好意に打算が付け加えられることを良しとしない。自分が目の前の男に相応しいと証明する。そして、そうなったときには、堂々と俺の前に立つ。彼女はそうした女なのだ。
「さすがはセリアだ。今この場所で、俺の胸に飛び込んで来てくれないのは残念だが、俺の横に立つ女としては満点に近い。そう遠くない将来、俺は君を迎えに来る。今度はお忍びの留学生としてではなく、ザルビア王国の王太子として」
俺の言葉にセリアはほんの少し眉をひそめただけで、すぐに平静を取り戻した。さすがは未来の王妃だけのことはある。お忍びで留学した甲斐があった。こんな素晴らしい女性を見つけることができたのだ。ユリウスには感謝しかない。もっとも、俺の代で属国になるであろうこの国の貴族に安寧の未来があるとは思えないが。
「侯爵家の嫁になるよりも、もっと努力が必要だとおっしゃるのですね」
「セリアなら問題なく解決できることだと信じている。貴方ほど自分を律することのできる女性を俺は他に知らないからな」
「自信はありませんが、努力いたします」
セリアは立ち上がって礼をすると、俺に手を差し出した。
微笑みを浮かべながら「今はまだ留学生でしょう?」と俺にエスコートを求める彼女は震えがするほど美しい。気位が高いとはこういう事を言うのだ。
おそらく近い将来、ザルビア王国の王妃の名が大陸中に響き渡ることになるだろう。
覇王に相応しい王妃が誕生したと。
俺の目の前で婚約破棄された彼女こそ、俺が探し求めていた女に違いない。 レフトハンザ @ryomoon0418
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます