36.ティアの願い
あそこまで聞かれてしまっては、たしかに隠し通すことなど不可能だ。
僕がリーシャをちらりと見ると、彼女はぴょんと立ち上がりティアに向き直った。
隠し通すことは出来ないと判断したのだろう。
「私がお兄ちゃんの妹だっていうのは、別に嘘っていう訳じゃないよ? 私はたしかに、お兄ちゃんの妹として生まれるはずだったから」
そう言ってリーシャは、ティアに自らの正体を話し始める。
前世で同じスキルを持って、世界中のバグを倒すために行動していたこと。
さらにはチート・デバッガーというスキルについても。
「お兄ちゃんのスキルのことも、バグのことも、絶対に他人に教えたらダメだからね? そんなスキルがあるなんて知られたら――悪用しようとする人が居たら、大混乱になる」
「もちろん。……こんなこと話しても、誰も信じないわよ」
ティアはこくりと頷いた。
それから不安そうに瞳を揺らすと、
「それにしてもリーシャが、バグに呑まれて消えてたなんて。ただでさえ外れスキル持ちなんて馬鹿らしい理由で、居場所を奪われて――どうして、そんな危険な旅まで。どうしてアレスが、そんなことをする必要があるの?」
ティアは泣きそうな表情でそう言った。
その言葉は、僕の身を案じてのものだろう。
次期領主の地位を奪われ、挙句の果てには危険な旅を押し付けられる。
ティアから見れば、そんな風に見えるのだろう。
「ティア。この力は、僕の夢のためにも、絶好の力だったんだよ」
「……どういうこと?」
「僕が世界の果てを目指していることは、ずっと前から言ってたよね? 師匠が見た広い世界――師匠が叶えられなかった夢を、僕が代わりに叶えたいって」
「うん」
ティアが素直にうなずく。
「家族のために。領のために生きなさいって――それが貴族って物だって。家族の期待に応えることだけを考えてきた私にとって、あまりにも身勝手な夢で……。でもあの日の言葉は、何故か輝いて聞こえたから――」
ティアは、何か大切なものを思い出すように、そう言った。
「うう、身勝手でごめん……」
「感謝してるのよ。アレスが居なかったら、私は今もつまらない生き方をしていたと思うから――」
ティアとの顔合わせの日。
僕もその日のことは覚えている。
はじめて会ったティアは、どこか達観した様子を見せていた。
自らの役目に忠実に生きる行儀の良い人形のようだった。
既に自らが政略の道具であることを理解しきって、醒めた目をしていたのだ。
普通に考えれば馬鹿にされるだけだろう。
そんな彼女に、何故、僕はそんな夢の話をしたのだろう?
それでも何にも興味のなさそうだったティアは、たしかに興味を示したのだ。
「あの日のことは本当に忘れて欲しい。何も知らずに、ただただ無邪気に夢を語って――恥ずかしいよ。……それなのにティアは、何度も夢の話をせがんでくるんだもん」
「アレスがそんな夢を見ていたから。そんな人も居るってことを知って、はじめて親の敷いたレールから外れてみようかなって思えたんだから」
やがては領主となることの重みも、婚約の意味すらも。
なんにも理解していなかった、幼い子供の無邪気な夢だ。
そんな幼い日の言葉だからこそ、ティアにとっては、忘れられないものになったのかもしれない。
僕が胸の奥に封じようとしても、ティアは何度でも夢を話すことをせがんだ。
そして最後には、決まって「叶うと良いね!」と笑ってくれるのだ。
「その日から私は、家のために生きるのを止めたのよ。アーヴィン家に相応しい強さを手にするためにって両親を説得して、冒険者に混じってクエストを受けるようになったけど――そんなのぜんぶ建前。ほんとうはすべて、アレスの隣に立つためだった」
「ティアは、僕が旅に出ることを望んでたの?」
「――分かんない。望んでたけど、望んでない。次期領主になろうとするアレスも、一生懸命だったもの。ときどき夢の話が、幻なんじゃないかってって思うぐらい」
「あの夢は、ティアにしか話したこと無いもん。僕が立派な次期領主になることが、師匠の望みだったしね」
ティアは恥ずかしそうにしながらも、はっきりと言葉を紡いでいく。
……彼女がここまで自らの心を口に出すのは、本当に珍しい。
僕もティアとの出会いを思い出すように、ゆっくりと口を開いていた。
「私としては、喜ぶべきか、悲しむべきか、分からなかった。アレスは変わらなかったけど、どこか変わっていった」
完璧であるほど、夢からは遠ざかるっていくものね。
ぽつりぽつり、とティアが言葉をもらす。
「夢を追うことなんて、許される立場じゃない。僕だってあの日まで、たしかにそう思っていたからね」
「……神託の儀ね?」
僕はうなずく。
すべてが変わった日。
「それでアレスの夢と、さっきまで話してたバグは、どう関係するのよ?」
「世界の果てに行くためにネックになってるのは、やっぱり人間領を囲むように存在してる魔界だよね?」
「そうね。モンスターとの戦争は、日々激化してる。そんな中、魔界を突っ切って、世界の果てを目指すなんて自殺行為よ」
「その魔界、どうも【バグ】のせいで産まれたらしいんだよね」
「ま、まさか……」
ティアは息を呑んだ。
「僕もリーシャに聞いて驚いたよ。だから決めたんだ――バグを倒す旅をすることは、夢を叶えるための近道だからさ」
結局のところ、僕はどこまでも身勝手だ。
世界からバグを無くすことに前向きなのは、それが自分の夢に繋がるからだ。
すべては自分自身のため――世界をバグから守るためなんて、建前でしかない。
「そんな身勝手な理由の旅なんだ。だからティアのことは、巻き込みたくなかった――いいや、巻き込んじゃダメだと思ってたんだけど……」
ティアもいずれは旅に出ることを望んでいた?
だとしたら僕の考えは、まったくもって見当外れも良いところだ。
「……身勝手な理由、ね?」
ティアは、呆れたように繰り返した。
「ええ。そんな理由で、私のことを置いていこうとしていたのなら――ええ、本当に身勝手な理由よ!」
それからティアは、キッと僕のことを睨む。
そのまま力強く、僕の腕をギュッと掴んだ。
「巻き込みたくない!? それこそ今さら、何言ってるのよ!」
「……ごめん」
僕には、そう言うことしか出来なかった。
大切な婚約者だからこそ、こんな旅に付き合わせることは出来ない。
その思いはあったが、それ以上にティアの気持ちを優先したいと思ったのだ。
絶対に逃がさないとばかりに。
ティアは僕の腕をギュッと強く掴む。
「あの日、勝手に人に夢を語っておいて――ようやく夢を追えるようになったのに、どうして私のことを置いていこうとするのよ! ずっと一緒って、言ったじゃない!」
最初からティアは、こんな日が来たら、こうしようと決めていたのだろう。
否、それは来ない可能性の方が高かった。
順当にいけば、僕はそのまま次期領主の座に収まっただろうし、僕が夢を口にすることも無くなっていたかもしれない。
だからこそ、こうして夢を追いかけようというのに。
黙って旅立ち、合流してすら危険だからと置いていこうとする僕の行為は、まるで裏切られたようにすら感じられたことだろう。
ティアがそんな行動を選んだことは、正しいことかは分からない。
それでも彼女がそんな行動を選ぶようになったのは、間違いなく僕が与えてしまった影響だろう。
――それならどこまでも一緒に行くことが、僕に出来る誠意だろう。
「ごめん、ティア。僕、ティアが付いてきてくれた理由、何も分かってなかった」
「本当よ! 何も言わずに旅立って――次の婚約者はゴーマン? あの時、私がどれだけショックを受けたことか……」
両親の希望は、ゴーマンと婚約し直すことだったのだ。
それを無視して家を飛び出したこと――ずっと前から、ティアは覚悟を決めていたのだ。
それなのに家で安定して、一生を過ごすのがティアにとっての幸せだろうと、一方的に決めつけていた。
僕としては返す言葉もなかった。
「いいえ、それすらも関係ないわ。アレスがどこかに行ったとしても、勝手にどこまでだって――地の果てだって、追いかけてやるわ。今の私は、とっても身勝手なんだから」
冗談なのか本気なのか分からないことを、口にするティア。
「そんなことには、ならないよ。約束する――世界の果てはティアと見るよ」
そんな僕の言葉に、ティアは安心したように頷いた。
それでも僕の腕をつかんだまま、静かに眠りに落ちるのだった。
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