君が書いて、僕は描く。

吾妻栄子

君が書いて、僕は描く。

 はい、本日は「永澤光ながさわひかるの世界展」にお越しいただき、どうもありがとうございます。


 ええ、実質は僕との共同展示ですね。


 もちろん、他の方が作画を手掛けた作品の展示もありますけど、何せ量が違うものですから。


 ヒカリとの共同制作を始めたのは、ええ、彼女は本当は「ひかる」と書いて「ひかり」と読ませるんです。


 出版社が一度、「ひかる」と間違えてルビを振ってしまいまして、本人も特に訂正せずにそれをペンネームとして通しました。


――私は原作者で要は黒子だし、女だと世間にあまり知れない方がいい。


 よくそう言っていました。


 実際、「原作者:永澤光、作画:藤崎宏美ふじさきひろみ」というクレジットを目にすると、大抵の人は僕らの性別を逆だと誤解しましたね。どちらも本名なんですけど。


“男性原作者らしい骨太な物語と女性作画者らしい艶麗なキャラクター”


 誤解されたままそんな風に評されたこともあります。


“女の漫画家は綺麗な絵は描けても雄大なストーリーは書けないから男の原作者がブレーンについた方がいい”


 そんな引き合いに出されたこともありましたね。


 彼女が性別を隠そうとしたのは、女性と分かれば矮小化され不当に貶められると身を以て知っていたからでしょう。


 話を共同制作を始めたきっかけに戻すと、僕は中学生の頃から投稿サイトに絵を発表していまして、大学一年生の頃から商業イラストやライトノベルの挿し絵などを手掛けるようになりました。


 クリエイターとしては彼女に先駆けて単独でデビューしたわけです。


 ええ、彼女とは大学の文学部の同期でした。これは今までもあちこちでお話したことですが、僕は親の反対で芸術系や美術系の大学には端から受験させてもらえませんでした。


 ゲームの三国志が好きで何となく中国史には興味があるからという程度で文学部の中文専修に進んだ訳ですが、興味は完全に絵にありましたから、講義でも居眠りばかりしていましたね。


 彼女は「いつも前の席に座って聴いている小柄な女の子」という印象で互いに顔は見知っていましたが、一回生の内は特に親しく話すこともなく過ぎました。


 ちなみに、僕がイラストの仕事をしていることは文学部の同期にも何となく知られていました。


 ですが、誰もが知る著名なイラストレーターなどとはとても言えませんでしたし、報酬も掛け持ちでアルバイトしていた額の方が高いくらいでした。


 何より自分にしか出来ない作品を発表出来ていないという思いが強くあって周りにも誇る気にはなれませんでした。


 僕が描きたいのはイラストより漫画だったんです。


 *****


 あれは、そうですね。二月も半ばを過ぎて梅の香りが路地に匂い出した頃でした。


 僕は、名前は伏せますが、大手のある出版社に原稿を持ち込んだ帰りでした。


 投稿サイトで比較的好評だった短編漫画を手直しして持っていったんです。


 その出版社では以前に挿絵の仕事をしたことが一度だけありまして、もしかしたら、という期待がありました。


 結果はまあ、ケチョンケチョンに貶されました。いや、持ち込みの作者で全面的に褒められる人なんてまずいないでしょうけどね。


 ただ、

「ストーリーや展開に説得力がない。綺麗な絵を繋げれば美しい物語になる訳じゃないんだよ」

と言われたのは痛かったですね。


 それまでもイラストレーター出身の漫画家の作品を読んで、

「この人は作画は綺麗でもストーリーはちょっと弱いな」

と感じることはちょくちょくありました。


 自分も正にその典型なのだと。


“小手先の絵面が綺麗なだけで中身のない人間”


 我が子である作品を通して自分がそう切り捨てられた気がしました。


 出版社を出た午後の道を歩きながら、その日はアルバイトの予定もないし、かといってこれから帰って新たに何か描く程の気力もちょっと起きないし、どうするかな、寒いし、カフェでコーヒーでも一杯飲んで時間潰すかと思って見回した所で、リクルートスーツにヒールを履いた、しかし、胸には僕よりも厚みのある茶封筒を抱き締めた若い女性の姿が目に飛び込んで来ました。


 普段、キャンパスで見掛ける服装とは異なりましたが、緩い天然パーマのポニーテールの頭には見覚えがありました。


「あれ?」


 思わず声を出すと、何だか怯えた風に目を伏せて早足で歩いていた相手もこちらに気付いた風に振り向きました。


 その瞬間、ふわりと梅の香りが通り過ぎたのを覚えています。


 いや、これはこの子の着けた匂いではない。


 近くのどこかで咲いている梅だ。姿は見えなくても確かに僕らの近くで花開いている。


 そんな風に思ったことも。


「藤崎さん?」


 最初に相手の名前を口にしたのは彼女でした。


 動かした小さな唇が微かにグロスで光って普段、キャンパスで顔を合わせる時には化粧気がないのに、薄化粧をしていることに改めて気付きました。


「ナガサワ……ヒカリさんだっけ」


 この子はきっとこの近くの会社のインターンか、塾講師のアルバイトか何かの帰りなんだろうなと当たりを付けつつ、こちらは教室で耳にした名前を頭の中でやっと繋ぎ合わせるので精一杯でした。


「そうです」


 茶封筒を抱え直した彼女は照れたような、寂しいような笑顔で頷きました。


「この近くでインターンか何かしてるの?」


 この界隈は出版社が多いから、もしどこかの大手でインターンしているなら、その伝手でまた新たに持ち込みしようか。


 そんな思いが頭を掠めました。


 その時の僕には普段着のジャケットを羽織った自分と違ってリクルートスーツ姿の彼女がクリエイターではなくむしろ編集者とかそちらを目指す側に見えたのです。


「ううん、小説の持ち込み」


 彼女は思い切って恥を打ち明ける風に笑ってポニーテールの頭を大きく横に振ると、苦い声で小さく付け加えました。


「でも、もう行かない」


 そこで唐突に思い出した風に震えながら茶封筒を潰さんばかりに抱き締めました。


「急いで逃げたから、コート置いてきちゃった」


 急に彼女の小さな顔がグシャグシャになって泣き出しました。


「ちょっと、そこで話そう」


 僕らは傍のカフェに入りました。


 *****


「私も昔から作家になりたくて、最近、短編小説のコンテストで入選したの。そこの出版社の編集部にメールで今書いてる長編の一部を送ったら、一度書き上げた原稿を持ってきて欲しいって返事が来て、今日はそれで行ったんだ」


 まるで就活の面接試験のようにきっちりリクルートスーツを着てお化粧までした彼女は何も入れないコーヒーを啜りながら語りました。


「三十代くらいの男の編集者さんと二人で話していて、最初は普通だったのに段々様子がおかしくなってきて、手を握られて、怖くなって振り払って逃げちゃった」


 それで二月の寒空の下、コートも着ずに原稿の入った茶封筒を抱き締めて歩いていたというわけです。


「もう、向こうでも私なんか出禁できんでしょうね」


 彼女は寂しいような、しかし、どこか突き放すような笑いを浮かべていました。


「そこで出したい作家志望はいくらでもいるし」


「災難だったね」


 僕は熱過ぎる抹茶ラテを吹き冷まして啜りながらそう答えるしかありませんでした。


 ええ、彼女はブラックコーヒー、僕は薄甘い抹茶ラテを飲んでいたのです。


 これは後で他の人から指摘されて気付いたことですが、そういう細々した好みも一般的な男女を逆転させたような感じでしたね。


 二人でいる限りはそれが自然だったので意識することもありませんでしたが。


「でも、そういう所は端から作家を尊重してないから逃げて良かったんだよ」


 僕もイラストや漫画を投稿する内に交流の出来た仲間から、あそこの出版社はああだ、ここの編集者はこうだという噂を耳にすることはちょくちょくありまして、中には若い女性のクリエイターや志望者にセクハラやパワハラを働く人がいることも聞き知ってはいました。


 一般企業の面接などもそうですが、自分が採用担当として権力を持つ立場になると、勘違いしてしまう人が必ず出るんですよね。


「ありがとう。プロからそう言われると嬉しいよ」


 彼女は今度は本当に曇りのない、目を輝かせた笑顔でそう言いました。


「プロって……」


 一瞬、それが自分のことだと思えませんでした。僕だって貶されて突っ返された原稿入りの茶封筒を隣の椅子に置いた立場ですからね。


 一応は原稿を読んだ編集者の方から呼び出された彼女より作家志望者としてはもっと劣位にあるように思えます。


「藤崎くんが挿絵を描いた本、私、買って持ってるよ」


 それはどちらかというと中高生向けのライトノベルだったので、大学の中文の同期、特に彼女が読んでいたのは意外でした。


「元の小説より藤崎くんの絵の方が奥行きがあって良かった」


「ありがとう」


 率直に言って、その挿絵の仕事は原作者さんとも上手く折り合えず、本自体も売れ行きが悪くてその原作者さんは次の本を出されることもありませんでした。


 自分としても苦い失敗として記憶していた商品をそれまでまともに話したことのなかった彼女が買って評価してくれたのはとても嬉しかったです。


 そして、次の言葉が決定打になりました。


「私の小説がもし出版されたら、表紙や挿絵は藤崎くんの絵ならいいなって思ってたの」


「そうなんだ」


 僕は熱さがちょうど良い加減に落ち着いてきた抹茶ラテのカップを置くと、先ほどからずっと言いたくて言えなかったことを切り出しました。


「永澤さんの原稿、ちょっと見せてくれないかな?」


 そうです、その時、彼女が茶封筒に入れて持っていたのが「呉越麗人傳ごえつれいじんでん」の草稿でした。


 後々書き直した小説版も出ましたけどね、元からあれはヒカリが小説として出版することを目指していた作品だったんです。


 読み始めてすぐにヒロイン二人の顔が浮かびました。そう、西施せいし鄭旦ていたんです。


 次に、湖とそこを取り巻く海棠かいどうと桃の花の咲き誇る大きな絵が浮かびました。


 不思議な気分でした。


 いや、それまでも他の人の漫画を読んだり映画やドラマを観たりして

「自分ならこう描くかな」

と考えることは良くありました。


 しかし、文字を読んで次々漫画として描きたい絵が次々浮かんだのはあれが初めてです。


 他人の作品とは思えませんでした。


 何か、自分に描かれているのを待っていたような、自分に絵として描かれるために文字の形で書かれた物語に感じました。


 この子は自分が漫画として描きたいストーリーを小説として書いているのだと思いました。


 一章を読み終えた所で、僕は鞄からルーズリーフと鉛筆を取り出しました。


 ええ、何か浮かんだ時や描きたい物を見つけた時のためにいつも持ち歩いていたんです。


「君のキャラクターはこうじゃないかな?」


 微笑んで振り向く西施と湖で瞳を伏せた鄭旦の姿を素描しました。


「ええ」


 彼女も驚いた風に目を見張りました。


「私が頭で思い描いた通りというか、藤崎くんの絵の方がもっと自分の書きたい物語に相応しいイメージに磨かれている気がする」


 それからは、一章読む度に新たに出てくるキャラクターや風景のイメージを素描して語り合いました。


 ええ、隣の椅子に置いた自分のボツ原稿が入った茶封筒の存在などすっかり忘れていました。


 彼女の原稿を全て読んで素描を終える頃には、二人の飲み掛けのコーヒーと抹茶ラテのカップはテーブルの隅に置かれたまま、カフェの窓の外はすっかり暗くなっていました。


「君の小説を原案にして漫画を描きたい」


 そう告げると、彼女も迷いなく頷きました。


「そうして」


 瞳を潤ませて微笑みました。


「私も続きを書くから」


 窓の外の夜景を反射したその両目が星のように輝いて見えたことは忘れられません。


 僕のジャケットを彼女に貸して、代わりに彼女から譲り受けた小説の原稿の入った茶封筒を抱き締めて帰りましたが、馥郁とした梅の香りの漂う夜道を歩きながら、不思議と寒さを感じませんでした。


 *****


 それから、彼女が原案、僕が作画を務める二人三脚の漫画家人生が始まりました。


 僕らは足し算ではなく掛け算のようなコンビでした。


 彼女の純粋な小説や僕が単独で描いた漫画より二人で創り上げた漫画の方が桁違いに売れるのです。


――私がいなくても彼は既にプロのクリエイターでしたが、彼がいなければ私はプロになどなれませんでした。


 ヒカリは常にそう語っていましたが、僕こそ彼女がいたからこそヒットメーカーと言われる漫画家になれたんです。


 あの日、梅の香りがする路地で茶封筒を抱えた彼女に鉢合わせしていなければ、僕のクリエイター人生は学生時代の片手間仕事で終わっていたでしょう。


 ヒカリにはいくら感謝しても足りません。


 はい、互いを縛りたくないので私生活では事実婚という形を取りました。


 書面上は夫婦ではありませんでしたが、僕らは仕事の上でも生活の上でもずっとパートナーでした。


 むろん、どちらでも衝突は少なからずありましたが、決して別れようとは思いませんでした。


 僕にとって彼女は自分の半身のようなものでした。


 切り離して別々に生きることも他の人に替えることも出来ません。


 一度流産してからは子供は出来ませんでしたが、二人で創り上げた作品は、月並みな言い方になりますが、皆、大切な愛し子たちです。


 ええ、発禁処分になった「薔薇の皇朝」を含めてです。


 ヒロインの皇女が帝位に就く展開が現行の皇室の男系世襲を否定したとのことで、発表当時は僕らの仕事場にも脅迫が相次ぎました。


 ヒカリはあの時の心労が元で流産したのです。お腹にいたのは女の子でしたけど。


 あの作品は今はネットのオークションでも高値で取引されているようですね。


 今回の展示ではそちらの原案草稿と当時の掲載誌の一部も公開しています。


 はい、もちろん、今、連載中の「WOMEN」の展示もあります。


 今後の掲載についてですか?


 ご心配なく。ヒカリは癌で余命宣告を受けてからも最後の力を振り絞って原案小説を最後まで書き上げて渡してくれました。


 ここでは明かせませんが、もう僕の中ではこれから描くストーリーの結末まで決まっています。


 それでは、皆さん、「永澤光の世界展」を是非とも最後までお楽しみ下さい。

(了)

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