アンダーグラウンド

未架佐

終わりから始まりへ



 あぁ……だるい、疲れた。



 今の俺に何ができるだろうか。

 心躍るような将来の自分像、未知の可能性を抱いて社会へと歩みだす輝かしい未来。



 ――そんな自分の姿が今の俺には全く見えない。



 頭上に広がる淀んだ夜空のように、俺の前に広がる道は真っ黒に塗りつぶされていた。



 俺には両親はいない。幼いときに事故で亡くなったからだ。



 両親を亡くし、居場所がなくなった俺の面倒を見てくれたのは優しい祖父母。

 生活が苦しいのにも関わらず、ここまで支えてくれたとても親切な人達だ。



 いつか二人に恩返しをしよう、そんな思いを胸に一生懸命頑張ってきたつもりだった……。



 けれど――学校へ行けばいじめが絶えず襲いかかり、穏やかな学生生活なんてものは無い。

 教師には問題児扱いされ、そのせいで祖父母にも迷惑をかけてしまった。

 名誉を挽回しようと苦手な勉強に打ち込み、クラスの仲間たちに溶け込もうと明るく振舞ったりもした。



 何度も、何度も、何度も。



 でも周りはそれを嗤って跳ねのける。



 当然だ。俺の味方なんて誰一人いないのだから―――



 どれだけやっても何も上手くいかない。これから先やっていける自信もない。

 全部俺のせいじゃないのに……もう、これ以上は……無理だ。



 "こんなことで?"って思う奴もいるだろう。



 笑いたければ笑えばいい。俺はそれだけの人間だったって話だ。

 励まされようが、罵倒されようが、もうどうでもいい。



 ――今から何もかも消えて無くなるんだから。




 決意した俺を誘うように冷たい風が頬を優しく撫でていく。

 さすがにビルの屋上は風が冷たい。



 この場所は三ヶ月前に廃墟化したビルの屋上。整備も何もされていないただ古びていくだけのビルだ。



 屋上の端に立ち、今から自分が落ちるであろう場所を眺めていた。



 周りのビルや店には明かりが灯され、星空のように光り輝く綺麗な夜景が広がっている。

 今の自分にはこの夜景を優雅に堪能する余裕もないし、もちろん一緒に楽しむ友人も、彼女もいない。



 そしてこれから先も……。

 いや、そもそも“先”すら無くなるのだから、気にするだけ無駄なことだ。



 祖父母には心配を掛けないように今夜は友達の家に泊まると伝えてある。

 信頼できる友達なんて六年前に引っ越したあいつぐらいしかいないっていうのに……。


 

 ごまかし方がなっていない。緩すぎて自分でも笑えてくる。



 でも、これで二人を苦しめることはない。お荷物の俺が消えるからだ。



 さて、そろそろ準備をしなければ、と下を覗き込んだ。



 ――高い。



 覚悟してきたとはいえ、恐怖で足がすくんでしまう。

 でもここを乗り越えれば後は一瞬だ。



 ――そう一瞬。



 それが分かっていても、その一歩を踏み出すことができない。

 ここに来てからすでに二時間が経過しようとしていた。



「……度胸ねぇな、俺」



 情けなさに自分への愚痴がポロリと零れた。

 ただでさえ色んな人に迷惑をかけているのに消えることすらできないのか、と弱い自分に嫌気が差す。



 このままじゃ駄目だ。

 こんな状態じゃ、ひと思いに飛ぶこともできない。



「そうだ……」



 ――怖い、怖い、死にたくない!



「まだ時間はあるんだし……急ぐ必要はない……」



 ――どうして俺が死ななくちゃいけないんだ!



「もう少し気持ちを整理してから―――」



 ――俺は何も悪くないのに……!!



「う……うぅっ……!!」



 逃げたい素直な気持ちがノイズのように心をかき乱す。

 それを聞こえないように自分の耳を塞いで、下唇を噛んだ。



「今度こそ俺は度胸を見せるんだ……今度こそ……俺なんか消えた方が……」



 直後。

 ズルリと、嫌な音がした。



 両足に感じていたはずの地の感覚が消える。

 足が浮いたと錯覚した途端、視界が反転し、身体が宙に投げ出されていた。



「しまっ……!?」



 突風が吹いて屋上から足を滑らせたと気付いた時には、もう遅い。

 グルグルと視界が回り、落下に伴う風が勢いを増す。



「ま、て……まだ心の準備が……っ!」



 待ったなんて言葉が聞き届けられるはずも無く、重力に従い身体は下へ下へと落ちていく。



「―――あぁくそ!! もうどうにでもなれ!!」



 ぐんぐんと地面が近づき、これから来るであろう衝撃に備えてぎゅっと目を閉じた。



 落ちる。



 落ちる。



 落ちる。



 そして俺は地面をすり抜けた───


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