23

その日は朝からどんより重たい雲が立ち込めていた。

いつもの日課のため中庭に出たレイラは庭師から声をかけられる。



「お嬢様、今日は大丈夫ですよ」


「あらそう?」


「はい、雨が降りそうなので鉢植えを移動しております。水やりも済ませていますので」


「そうね、お天気が崩れそうだわ」



じっとりと湿度が高く、雨の匂いがする。

鈍色の空を見上げて、すぐにでも降り出しそうだわ、とレイラは頷いた。



「お嬢様、落ち着きませんね」


中庭から戻ったあともそわそわしていると、通りかかったメイドに笑われてしまった。


「ええ、マリーは大丈夫かしらと思って」


「平気ですよ、雨になったら馬車が迎えに行きますし」


「そうなんだけどね」



頼んでいたチェーン飾りが出来上がったと店から連絡があり、マリーが学校の帰りに受け取りに行ってくれる手筈になっているのだ。


楽しみ半分、残りはなんだかざわざわして落ち着かない。



「お嬢様、楽しみなのはわかりますが、お勉強の時間ですよ」



ほらほら、と急き立てられて、レイラは仕方なく家庭教師の元へと向かう。


それからほどなくぽつぽつと降りはじめ、昼過ぎには夕暮れのように薄暗く、どしゃ降りの雨となった。



執事学校の終了時間は毎日ほとんど同じだ。

生徒の多くが実際に使用人を勤めているため、決まった時間に終わるよう配慮されているのだろう。


そろそろ迎えに行ってくる、とモンタールド邸の馬丁が馬車の準備をはじめる。


雨が降ると執事学校の前に各貴族の馬車が並ぶらしい。もちろん辻馬車で通う生徒もいるだろうが、使用人と主人の子供たちが同世代の場合、先に執事学校を回ってから貴族学校に向かうのだそうだ。


話を聞いておもしろいとレイラは笑った。



「じゃあ3人で帰ってくるわよね。マリーに『今日はいいから早く帰ってきなさい』って言ってくれる?」



馬丁に伝言を頼むと、「どうでしょうねぇ」とゆるく笑われてしまった。


マリーがレイラの用事を後回しにするなんて思ってもいないのだろう。


「では、行って参ります」


がらがらと大きな音を立てて馬車が屋敷を出ていく。



どしゃ降りの外はすこし肌寒い。

馬車を見送ったレイラが腕を擦ったのを見て、メイドが「温かいお茶でもいれましょうか」と室内に促す。


モンタールド邸で働く者はみんな出来た人ばかりだ。だからレイラも安心できる。



「ええ、そうね」



屋敷に戻ろうとしたレイラの耳に、がしゃがしゃとけたたましい音が届く。


忘れ物でもして戻ってきたのかしら、と振り返ったレイラは大きく目を見開いた。



それがデル・テスタ家の紋章の馬車だったから。


「お嬢様!!」


そして。



「マリーが怪我をしている。はやく手当てを!」



飛び降りてきたロイドが、ぐったりとした上にずぶ濡れのマリーを抱えていたから。




***

その後のモンタールド邸は大騒ぎだった。


メイドたちが大あらわでマリーを連れて行き介抱する。彼女たちにとってもマリーは大切な仲間だ。



「何があったの、ロイド」



そしてもちろんレイラにとってもかけがいのない存在だ。



マリー同様びしょ濡れだったロイドは、シャワーを借りて身体を温めるや、モンタールド邸の応接間に案内された。


そこにはレイラ以外にも、母親であるモンタールド侯爵夫人と弟のトマの姿もある。



ロイドは濡れた藤色の長い髪をタオルで雑に拭う。

いつになく荒々しい仕草に、彼が怒っていることをレイラだけでなく全員が察した。



「お嬢様、今日マリーに学校が終わった後、頼み事をしていたでしょう」


「ええ」


「それを聞いて私も一緒に行こうと思ったのよね。雨も降ってきたしちょうどいいと思って、マリーを迎えに行ったわ」



ロイドはそのために自分の学校は早退したらしい。呆れる。



「早く着きすぎちゃって、まだマリーは出てきそうになかったから、ちょっと驚かそうと思ったのよ」



それでロイドは部外者なのに学校の中に入って行ったらしい。呆れる。


だが執事学校は貴族の行動に寛容だ。

宮廷芸術家であるデル・テスタ家の人間相手なら尚更。



「正面入り口の近くで言い争う声が聞こえて、何事かと思ったらマリーとブノワトだったわ」


「!」


「マリーが一方的に怒ってる感じだったけど、ブノワトはマリーを突き飛ばしたのよ」


「…っ!!」


「彼女たちがいたのが数段とはいえ階段の上で、かなり悪意を感じたわ」



レイラはぎりと奥歯を噛み締める。



「もしあの場に居合わせなかったら、なんて考えただけで恐ろしいわね。間一髪で助けられたからマリーは足を痛めただけで済んだけど…」


「…え?マリーぐったりしてたわよね?」


「あれは酸欠よ」


「……なんで?」


「察してよ、お嬢様」


「~~っ、ロイド!!あなたってば…!」



レイラは一気に頭が沸騰した気がした。


話を聞いていたトマも顔を赤くして、母は口許を押さえてぷるぷると肩を震わせている。



「話を聞く限りマリーは大丈夫なようね」


でも、と母は言葉を続ける。


「この件はお父様に報告しておくわ。それにしてもマリーはブノワトと何があったのかしら?」


「そうよね、最近はマリーも変な様子はなかったのに…」



レイラが首を傾げていると、こんこんとノックの音がしてメイドがひとり顔を出した。



「お話中失礼します。馬車が戻ってきました」


「ただいま帰りました。ノアです。」



メイドの後ろからノアが顔を出して、レイラはカッとなった。



「ノア!あなたは一体なにをしていたのよ!」


「え、ええ?」



ノアはまだ状況を分かっていないようだ。



「まあ怒られるのも仕方ないな」


トマがうんうんと頷く。


「ノアちゃん、貴方も覚悟なさいね」


母がにこりとやさしく微笑む。怖い。


「…………」


ロイドは眉を寄せたまま、ノアに一瞥すらくれなかった。



「ええと、はい…?」


優秀な従者であるノアはわけがわからなくてもとりあえず頷く。



「それよりあなた一人なの?ブノワトは?」


「いや、こちらも探していたんです。まだ戻ってませんか?」


怪訝な顔をするノア。


馬丁の話もあわせて聞くと、学校について馬車に乗り込んできたのはノアひとりだったらしい。しばらく待ってみてもマリーもブノワトも現れず、仕方なく屋敷へ出発したらしい。


マリーはロイドの馬車で帰ってきたけれど…。



「ブノワトはどこに行ったわけ?」



レイラの問いはいまこの場にいる全員の疑問だった。

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