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 予定より一時間以上遅れてライブは始まることになった(これを「押し」というらしい)。出演者のうちひとりは来れなくなったそうで、四人でのライブとなった。ライブの観覧料みたいなものを払おうとしたけれど、どうやら「投げ銭」というシステムらしかった。気に入ったミュージシャンに気に入っただけのお金を払えばいいらしい。ぜんぜん気に入らなかったといえば酒代だけでライブを観れるわけだ。まあお金のないひとが多い高円寺らしいシステムだなあと思う。客入りはあたしを入れても三人だけ。出演者のほうが多いわけだ。ちなみに出演者がお客をひとりも入れることができなかったら、罰金みたいなものを払わないといけないらしい。それでセイコは知り合いにキャンセルされてあんなに怒ってたんだなと分かったし、あたしが歌を聴きたいっていって喜んでくれたんだろうなと察した。ただ、罰金はたった五百円らしく、セイコがそんな小銭に執着しないといけないぐらい困窮してることにびっくりした。

 ライブハウスはそういうものなのか、お客さんも出演者もみんなタバコを吸っていた。茶色い粉みたいなものを紙で包んで火を点ける、手巻きタバコというものらしい。あたしもひとつ譲ってもらった(というよりむりやり持たされた)。タバコを吸うのは、小学生のとき弟とふたりでこっそり吸って以来だった。あのときはまずくて、咳き込んで、頭痛くて仕方なかったのに、この日もらったタバコはすごく美味しくて、頭のなかがぼんやりして、なかなかよかった。甘い匂いがただよう狭い部屋のなか、最初の演奏が始まった。

 ミュージシャンたちはみんなアコースティックギター一本の弾き語りだった。マイクはなくって、生声を響かせるわけだ。オリジナル曲はほぼなくて、だいたいがコピー。それもあたしでも知ってるようなメジャーな曲ばかりだった。「はじめてのチュウ」とか、ちょっと古いかんじの。まああんまり、というか、ぜんぜん上手くなかった。音は外すし、リズムは合ってないし、それどころか、歌詞を間違えたり、忘れて弾くのを止めちゃったり。ちょっと観たことがないぐらいひどいライブだった。でもみんな楽しそうだった。しょっちゅうおしゃべりしてて、あんまり真面目に聴いてるふうでもなかったけれど、演者がミスってもちゃんと笑ってあげて、茶々を入れてあげて、曲間のしゃべりではしっかりツッコミをいれる。そうか、これが「高円寺の音楽」なのか、とあたしはひとり納得をした。ちょっと嫌いになれないな、と素直にそう思った。共感性羞恥って言葉がある。誰かが恥をかいてるとき、それに共感し、自分も恥ずかしくなってしまう、という効果らしい。「高円寺の音楽」を聴いてるときの感覚は、それに近いなと感じた。ど下手くそな演者を観ていると、あたしも恥ずかしくなる。その感覚はあたしのものだから、けっして嫌いにはなれない。

 そんなもんだから、あたしはセイコの音楽にもまったく期待してなかった。たぶんどんぐりの背比べといったぐあいの、まあまあひどい音楽なんだろうな、と。音楽なんかどうでもよくて、あたしはむしろセイコのことを知りたかったから、もうライブのあとのことばかり考えて、これから始まるセイコの音楽には気もそぞろだった。ライブのあと、セイコと一緒にお酒を飲んで、いろいろしゃべって、できればメールアドレスを聞いて、もしできるなら次のデートの約束を取りつける。そんな作戦を考えて、どんなふうに誘ったらいいのか、頭を悩ませてばかりいた。

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